やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る九州の蒸機 ㊱

早岐機関区(3)  C57

36回続けてきた九州の蒸機、いよいよ最終回は、いちばん紹介したかった「早」のC57となりました。多くの蒸機形式のなかで、軽快でスマートな印象のC57、そのキャブに輝く「早」は、蒸機と区名板のイメージを見事に体現した組み合わせと言えるでしょう。

早岐区のC57は、初めて訪問の昭和42年時点で、13両がいました。働き場所は、長崎本線、佐世保線、大村線の旅客の牽引でした。この時、優等列車の牽引は、前掲のC11は特例としても、ほとんどDD51に替わっていましたが、一部の定期、臨時列車は、鳥栖区のC60、早岐区のC57を牽くことがあり、まさに「早」に相応しい舞台が残されていました。

 

初めて訪れた昭和42年の春休み、鳥栖の外れで写していると、長崎行きは鳥栖区のC60、佐世保行きは早岐区のC57に牽かれて通過して行く。写真は、早岐区のC57 158の牽く京都発佐世保行き「平戸」。特急列車は、長崎、佐世保行きは併結されていたが、急行は別立てでの運転で、旺盛な旅客需要があった(昭和42年3月 以下特記以外同じ)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早岐区の庫内のC57 9 同機は人吉区での活躍が知られているが、昭和38~43年は早岐に配属されていた。

転車台に乗ったC57 111 数字の並びもよく、整備の良い典型的な九州スタイルであり、早岐の代表的なC57だった。臨時急行「第二平戸」の回送を牽いて佐世保に到着。C57 111は、大分県の植樹祭でお召を牽いた実績もある。意外に活躍は短く、昭和43年には休廃車になっている。右手構外に西肥バスの車庫が見え、後部二枚窓のバスがいる。

 

C57 124 昭和42年に早岐に来た。普通デフを付けている。昭和47年に吉松へ転属した。

 

 

地上駅時代の佐賀駅、佐世保発鳥栖行き426レを牽いて到着のC57 124 古いけれども、打ち水されて掃き清められた朝の駅に、これまた磨き込まれたC57124が到着、まさに昭和の駅の風景だった。喜々津~東園、大村湾に沿って海岸沿いを行く325レ C57 154 いまは別線でトンネルができて、この区間は長与線として普通のみが運転されている(昭和45年8月)。

C57ブルトレを牽く!? 実は長崎駅での「さくら」の入換中のシーン。C57 154   前にも書いたが、長崎には配置機関区がなく、長崎区で駐泊する鳥栖、早岐の蒸機が適宜入換に駆り出されていたのだった。

早岐発佐世保行き1423レ後押しするC57 155 わずか9kmほどの運転ながら、前部に8620+C11が牽き、C57が後部に付く豪華な編成(昭和44年3月)。

地上駅の佐世保駅、発車を待つ佐世保発諫早行き841レ  C57 155 左に貨車が留置されているが、旅客車の留置に余裕がなく、到着後、すぐに早岐に回送された(昭和44年3月)。

早岐の扇形線で休むC57 158 暖房管がランボードに沿って前梁まで伸びている(昭和44年3月)。

公式側のC57 158 廃車後、同機は北九州市の児童館で保存展示されていると言う(昭和44年3月)。

C57の「早」付近を見る。いずれもタブレットキャッチャー取付のため、ナンバープレートが少し前へ移動している。区名挿しは2個あるが、どちらに区名板を挿すかは一定でないようだ。

機関区のC57 174 背後に給炭台、ガントリークレーンなどの機関区設備が見える(昭和44年3月)。

ロッドの下りたC57 175 いまも宮崎市内の公園に保存されていると言う。デフの斜めのステーと、前へ下りるランボードの角度がほぼ同じ角度に見える。こん計算された美しさも、九州のC57の魅力だと思う(昭和44年3月)。

 

もう50年前の蒸機を延々と並べてきました。私自身は、撮ったことも、前後の様子もがすっかり忘れていましたが、時間を掛けて、当時のメモを引っ張りだし、時刻表や雑誌を調べるうち、次第にベールが剥がれてきました。これも巣籠もりが増えた、コロナの余韻と言えるでしょうか。

今回の九州の蒸機は、昭和42年から始まり、昭和49年まで延べ8回九州へ行った時の記録です。自分でもよく撮ったものと改めて思います。とにかく、1両でも多くの蒸機の写真を撮るのに必死で、必然的に機関区訪問が多くなり、形式写真もどきを撮りまくりました。帰ってきてから、バイブルの車両配置表に、新規撮影のマルを付けるのが一番の楽しみでした。それでも、撮り逃した蒸機は多く、写したのは全体の7割程度だと思います。でも、よく撮ったものとです。デジ青ではあまり評価を得ない(?)テーマですが、この歳になって纏めておいて良かったと思います。“やっぱり蒸機が好き!”でした。

 やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る九州の蒸機 ㊱」への4件のフィードバック

  1. “デジ青ではあまり評価を得ない(?)テーマです”はまちがい!
    コメントがないから人気がないとは限りません。
    「豪華写真集」を見るようにこのシリーズを見ながら、かつての自分自身を思い出し、同じように行っていたのにこれほど熱心に撮っていなかったことを今さらながら悔やんでいます。
    もし可能なら他地域の機関区も見せてください。たぶん見ている方もそう思っているのではないでしょうか。

    • 米手さま
      いつも速攻コメント、ありがとうございます。人騒がせなことを書きましたが、米手さんの言葉で、慰められました。ダラダラ続けるのも如何なものかと思いながらも、同じやるなら、すべてを網羅したい思いで続けて来ました。はい、米手さんの言葉に勇気づけられて、またほかの地域でもやりますょ。

  2. 総本家青信号特派員様
    若き日の旺盛な活動がよくわかります。コメントが少なくて申し訳ありませんでした。私と総本家さんとは九州に関しては4年位撮影時期の違いがありますが、8回も行かれたとは驚きました。おそらく、九州での総滞在時間は相当なものと思います。機関区ですが、鳥栖、熊本、鹿児島、直方、大分、吉松等大型機の多い所ばかりでハチロク、キューロク、C11などの多い小機関区は訪問しておりませんでした。また、懐かしい話ですが、バイブルへの書き込みは楽しかったですね。当時の鉄道ピクトリアルに車両の動きという欄がありましたが、この情報で転属とか、廃車もチェックしていました。「好っきゃんねん蒸機(やっぱり蒸機が好き!)」は何れにしましても大作です。本にできますね。

    • 準特急さま
      立て続けに、“デジ青”レジェンドのお二人からコメントをいただき、ありがとうございます。何度も書きますが、準特急さんが「鉄道ファン」に載せられたC51、C59の写真に魅せられて、初めて九州を訪れてから、ほんとよく九州へは行きました。ほとんどは一人でしたが、時にはI原さんと宮崎へ行ったり、T淵さんとは、クルマで連れて行ってもらったりしました。とくに最初の頃は機関区巡りばかりでしたので、必然的に撮影点数が増えました。最後の頃は険悪なムードになりましたが、機関区では気持ちよく撮影ができました。いい時代だったと思います。車両配置表のマルつけは、まさにゲーム的感覚でした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください