鹿児島機関区(3) B20 8620 C12 C56 C57
鹿児島機関区の残りの形式をご紹介。もうひとつ鹿児島区のアイドルは、何と言ってもB2010でした。いまでは、京都鉄道博物館に保存されている同機ですが、当時は、小樽築港区のB201とともに、国鉄の現役蒸機としては最小で、15両が製造されたうち、2両だけが残っていました。用途は、機関区限定の入換機で、大きな給炭槽に、石炭をベルトコンベアで搬入するため、石炭を積んだ無蓋車・石炭車を、給炭槽の真下まで移動することでした(以下、特記以外昭和42年3月)。▲区のアイドルにしては、無骨な産業用の機関車だった。扇形庫の横の定位置で止まったままだったが、ほかの撮影を終えて、戻って来ると、ほんの数メートルだけ移動していることが多かった。
機関区内限定で、駅のヤードにすら出て行ったことのないB20 10にとって、まさかの本線走行が一回だけあった。それも蒸機の“四重連”の先頭に立つという信じられない運転だった。これは、昭和44年7月27日、鹿児島本線開業60周年の記念で、日豊本線重富駅で行なわれたB2010の撮影会に伴うもので、撮影者用の臨時列車も運転された。その目玉が、下り重富発鹿児島行きで、なんとB2010+C5510+C12241(逆)+48696(逆)+客車3両の編成だった。本線走行の特認を受けたのか、本を見ると、時速30kmで走ったと言い、往きの重富行きは、B2010は、単機回送された。
▲灰にまみれたのか、真っ黒ではなく、全体がグレーだった。驚いたのはナンバープレートで、ベニヤ板にペンキ書きだった。理由は分からないが、雑誌を見ても、かなり以前からだった。▲こちらはホンモノの入換機48674 入換の便のため右運転台になっている。テンダーがC56と同じ切欠きテンダーになっている。昭和44年3月
▲鹿児島駅でC12と連結した48679 こちらもC56様式のテンダーつき。昭和45年8月
▲C12も3両が配属、C12 287もその一両で、ラストナンバーに近い。指宿枕崎線の朝夕2往復の旅客列車のほか、貨物を牽いていた。写真は鹿児島駅で、客車の回送を牽引。旅客流動の中心の西鹿児島と、運転機関のある鹿児島の間には、さまざまな回送列車が走っていた。昭和44年3月
▲いっぽう2両いたC56は、宮之城線の貨物用。貨物の発駅となる川内までは、鹿児島本線の旅客列車の後部に連結されて回送された。鳥栖行き132レの後部のC56 156 上伊集院 昭和44年3月
▲ここからは、C57を。鹿児島機関区には6両のC57がいて、切取り式デフ、行き届いた整備のC57ばかりだった。C57 21は区の若番で、何度かお召列車も牽いた。昭和44年3月▲続き番号のC57 22 給水温め器には金モールが巻かれている。昭和44年3月▲転車台に乗ったC57 60 宇都宮、高崎から九州に来た。小倉工場でK-7型の切取り式デフを取付けている。昭和44年3月▲夜の西鹿児島駅で荷物1042レを牽く 先頭C6133、次位を勤めるC57 72 昭和45年8月
▲ C5785 昭和41年まで福知山区の所属で、私も福知山区で撮った覚えがある。佐倉区を経て、鹿児島に来た。補助灯を付けている。西鹿児島 昭和45年8月
▲こちらもK-7型切取り式デフを付けたC57 117 デフは廃車になったC5560から譲り受けたと言われる。その後、昭和48年の宮崎国体ではお召列車を牽いて先頭に立ち、一躍有名になった。▲鹿児島本線の列車牽引はC60、C61が中心だったが、一部にはC57牽引もあった。C57 122は、終戦直後までは梅小路区にいて、熊本を経て、鹿児島に来た。出水発227レを牽く 上伊集院~薩摩松元 昭和44年3月▲上伊集院で鳥栖行き134レを牽くC57 122 次位C6028と重連で牽く。昭和43年3月
▲▲架線の張られた上伊集院に進入するC57 122の牽く227レ 昭和45年3月
▲ C57 126 尾久、新鶴見、高崎一と、関東での配属が長く、その間に、お召列車も多く牽いた。鹿児島区のC57の活躍は、日豊本線がDL化される昭和47年まで続いた。
▲最後にD51を。どこでも見られたD51は、鹿児島に配置はなかったが、出水区には多くのD51が配置されていて、貨物を牽き、鹿児島区にもよく出入りしていた。D51 235 上伊集院~薩摩松元 昭和44年3月
総本家青信号特派員殿
貴君が日本の隅々まで蒸機を追いかけられていたことを 改めて感じながら拝見しています。ところでC5785を昭和39年5月に梅小路で撮っていました。
西村様
貴重な梅小路区でのC5785の写真、ありがとうございます。私は福知山区で同機を撮ったことがありました。改めて写真を見ますと、正面のナンバープレートの取付位置が少し高いですね。福知山区のC57ですと、C5741も少し高かったと思います。わずか数センチの違いでしょうが、私はこちらの方が締まった感じがして好きでした。