やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る九州の蒸機 ㉛

佐々機関区  8620 C11

九州の西部、松浦線の途中には、佐々機関区がありました。配置されていたのは、C11のみが12両ほど配置されていて、タンク機のみの配置は、全国的に見ても、宇和島、加古川ぐらいで珍しい配置でした。松浦線の沿線にも小規模な炭坑があり、松浦線からさらに枝線も分岐していて、石炭の輸送に佐々区のC11が使われていました。重量物の石炭を、タンク機が牽くのも松浦線らしい光景でした。ほかに、昭和40年代前半には、松浦線にまだ多くの旅客列車が走っており、これらの牽引には、早岐区の8620とともにC11が牽いていました。

松浦線の江迎、到着する639レを牽くC11 259 当時の松浦線の旅客は、約半数がC11の牽く客車列車だった(以下、特記以外昭和45年9月)

松浦線から分岐する枝線のひとつ、臼ノ浦線の石炭列車をC11 165が牽く。終点の臼ノ浦に積出し港があり、臼ノ浦方面へ石炭を積んだ列車が走り、松浦線へは返空と、他の枝線とは逆になっていた(昭和44年3月)。

 

松浦線には、コンクリート製のアーチ橋が多かった。肥前吉井~潜竜を行く佐世保発有田行き632レ C11 165 同機は佐々から早岐、志布志へと転属し、昭和50年まで生き延びた(昭和44年3月)。

 

 

 

 

 

C11 257の牽く佐世保発伊万里行き632レ  昼間の客車列車は2両が定番だった。同機は、現在、福岡県の須惠町の公園に保存展示中。 江迎~平戸口(昭和44年3月) 楠久にて 乗車した急行「平戸」の窓を開けて、通過待ちの641レを撮影 C11 260  同機は中間市の垣生公園に保存展示中。松浦線のジャンクション、伊万里に到着の631レ C11260+貨車6両+オハユニ61+オハ35C11同士の交換も見られた。肥前吉井で交換する、右が伊万里発佐世保行き637レ C11 283 左は早岐区のC11370 (昭和44年3月)逆向で牽くシーンも 伊万里発平戸口行き633レ C11 285+オハ35+オハユニ61+貨車2両 本来は客車列車のはずだが、牽引定数のに余裕のある場合、適宜、貨車も連結していたのは、よくローカル線で見られた。田平~平戸口(昭和44年3月)C11 285の牽く634レ 戦時中の四次型の特徴の角型ドームであることが分かる 伊万里朝の佐々駅、発車する有田発佐世保行き625レ C11 285 右手に機関区があった(昭和44年3月)。

 やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る九州の蒸機 ㉛」への2件のフィードバック

  1. 佐々機関区は軽便線を引継いだ松浦線が昭和19年に開業して、閉鎖はSL廃止の昭和47、8年あたりと思われ、実働30年くらいで幕を閉じました。扇形庫の跡は、昭和50年代の夏に行くと、「兵どもが夢の跡」でコンクリ部が墓標のように残っていた記憶があります。
    臼の浦線、柚木線、世知原線の支線3線を持っていた頃が、松浦炭田の賑わいもあり、平戸以外にも活気がありました。国鉄から離れましたが、大水害などに遭遇せずに、生き残っていますが、存続が非常に気になります。

    • K.H.生さま
      松浦線の思い出、ありがとうございます。私も松浦鉄道になってからは、行ったことがありません。佐々機関区の跡や、三線の枝線の廃線跡も気になります。今では、途中の駅で、桜の見事な駅があるそうで、一度、行きたいと思っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください