昭和40年9月26日 京都駅
▲京都駅を華やかに彩ったキハ82系特急のもう一本、「白鳥」が8:48に1番ホームに進入する。京都駅1番ホームと言えば、歴代の上り特急や、御召列車も発着した栄えあるホームだが、電車特急の撤退で、明るい時間帯に1番ホームに発着する特急は「白鳥」と「雷鳥」の2本だけだった。「白鳥」の行き先は、青森、上野行き、7両2ユニットが直江津で分割され、上野行きは、信越本線経由となった。ところが、この年、富山~糸魚川の親不知付近の土砂災害により富山までの運転のまま改正を迎える。非電化、旧線、海岸沿いの富山~糸魚川~直江津は災害多発区間で、「白鳥」は運転打ち切りが多かった。40-10改正からは、青森行きの単独運転、新潟経由となり、大阪~新潟は14両、以降は10両運転となる。
▲8:36「比叡2号」が到着、クモハ165-118ほかの165系12連。新幹線が開業したとはいえ、関西から新幹線に乗って名古屋へ行く客は少数で、もっぱら在来線、それも準急料金100円の「比叡」は重宝され、この時期でも、神戸・大阪~名古屋に1~8号の8往復が運転されていた。「比叡」の車種は、80系、153系、165系と変化したが、40-10改正で東海道本線153系電車急行の大部分が廃止され、153系が余剰となるため、「比叡」は再び153系に戻る。
▲8:42に福知山発832レがC57 87[福]に牽かれて山陰2番ホームに到着、福知山ではなじみの集煙装置付きカマで、昭和24年に配置されてから、ずっと福知山で過ごし、昭和47年に苗穂に転出している。
▲当時は、1・2番ホームの間に上下2本の通過線があって、下り貨物列車も通過して行った。ブルトレ塗装に塗られたEF60 514[東]が通過する。 跨線橋が3本見えるが、手前は、テルハがあるように郵便・荷物用である。
▲9:02に東京行き急行「六甲」が到着、クハ153-502[宮]ほか153系12連。電車特急を補完する電車急行が多数運転されていた。新幹線開業で電車特急は撤退したが、急行はそのまま残った。しかし、40-10改正で新幹線も増発され、急行もこの「六甲」をはじめ、大部分が廃止される。右は、9:30発、山陰本線の「丹後1号」。
▲園部発1824レを牽いて、見慣れぬC57がやって来た。C57 43[梅]で、それもそのはず、この年6月に酒田区から転属して来たばかり、シールドビームが異色だ。ところが、わずか4ヵ月で豊岡へ転属してしまい、京都駅での出会いはこれ一回だけだった(これのみ昭和40年10月3日撮影)。
この頃の京都駅で撮った「駅撮り」を探したが、なぜか駅の西・東で撮ったものばかり。やっと探し出したのが数枚、これでお付き合い願います。⑴
⑵「鷲羽」
なぜか運転台のガラスが割れていた。
⑶DD91とDF50
⑷上り「こだま」と下り「つばめ」
厳密には駅撮りではありませんが・・
⑸C5872
山陰線でC58を撮ったのは、この一枚限り
私も山陰線のC58は生まれて初めて見ましたよ。72号機の履歴を見ても、ずっと鳥取区でした。考えられるのは、梅小路区は近隣区の蒸機の検査も請け負っていました。C58は、検査後の試運転だったのでしょうか。
米手作市様
山陰本線でC58が入線していたのは初めて知りました。このC5872は梅小路区で1965.5.4に撮影しておりますが米手さんの山陰線C58は非常に珍しいと思います。何か運用の都合で走ったのでしょうか。諸先輩の記録を見ますと山陰本線京都口は8620が走っていたことはあるようですが、C51、C54、C55、C57等ライトパシフィックの独壇場だったと思います。C5872は定期列車ですか、それとも臨時列車ですか、そしていつも同じことですがいつ頃お撮りになられたのでしょうか。教えて下さい。
京都駅の駅撮りで稲沢第二区のEF1035があったので私も貼り付けます。1964.5.4山陰線ホーム当たりで撮ったと思います。