気まぐれの開店です。連投を失礼いたします。
前回がひらがな駅名でしたので、今回はカタカナ駅名をまとめました。ここで、カタカナ駅名は、すべてカタカナ表記である駅名と定義しております。抜け落ちがございましたら、ご指摘願います。
トマム(石勝線)
ロイズタウン(札沼線):この中で最も新しい駅名です。
ニセコ(函館本線)
スポーツセンター(千葉都市モノレール)
ベイサイド・ステーション(舞浜リゾートライン):賛否両論ありますが、今回は含めました。ディズニーリゾートがコロナ禍で休園していた際も、定期運行を続けていたようです。http://www.mrc.olc.co.jp/
リゾートゲートウェイ・ステーション(舞浜リゾートライン)
テレコムセンター(ゆりかもめ)
フルーツパーク(天竜浜名湖鉄道)
ハーモニーホール(福井鉄道)
スクリーン(近江鉄道):多賀線にあります。
マキノ(湖西線)
コスモスクエア(大阪メトロ)
フェリーターミナル(大阪メトロ)
ユニバーサルシティ(桜島線)
アイランドセンター(神戸新交通 六甲アイランド線)
マリンパーク(神戸新交通 六甲アイランド線)
ポートターミナル(神戸新交通 ポートアイランド線)
フラワータウン(神戸電鉄)
ハーバーランド(神戸市営地下鉄)
オレンジタウン(高徳線)
スペースワールド(鹿児島本線)
ハウステンボス(大村線)
メディカルセンター(長崎電気軌道 大浦支線)
スタジアムシティノース(長崎電気軌道 本線)←旧 銭座町
スタジアムシティサウス(長崎電気軌道 本線)←旧 宝町
奈良の駅名研究家様
最初のカタカナのみ駅は、1961年に開業した富士山麓電気鉄道富士急行線の「ハイランド」でした。現在は「富士急ハイランド」になりカタカナのみの資格はなくなりました。
今回はJR駅についていくつか記します。国鉄の最初にカナ文字駅になったのは「ニセコ」ですが、改称前は狩太町に所在する「狩太」でしたが、町は「ニセコ」駅に変更するために町名を1964年にニセコ町にわざわざ改名し、1968年にようやく国鉄も「ニセコ」に改称しました。
二番目は1974年に開業した「マキノ」ですが、湖西線の開業時、通過しなかった朽木村を除き現在の高島市になった4町に原則1駅が開設されました。例外として東西に長かったマキノ町は「近江中庄」と「マキノ」の二駅になり、「マキノ」は当時のマキノ町役場やマキノスキー場に近かったから命名されました。(写真)
1987年に総合保養地域整備法(通称リゾート法)が制定され、全国にリゾート開発構想が策定されました。その中心となったものが各地に開業したテーマパークで、1990年代から2000年にかけて大小の箱モノが雨後の筍のように出現しました。直前に民営化されJRとなった各社も新規事業参入のひとつとして積極的に協力をし、この時開業・改称したのが「トマム」、「ユニバーサルシティ」(リゾート法とは直接関係はありません)、「スペースワールド」、「ハウステンボス」の各駅です。一部を除き経営が困難になり、スペースワールドなどは廃業されても駅名としては残っています。
先輩格の1983年に開業した東京ディズニーランドの最寄り駅「舞浜」は、当初は「西浦安」として計画され、開業時は東京を除き「ディズニーランド」とすることで千葉県、浦安市、経営・運営するオリエンタルランド、JR東日本間で合意が取れていました。ところが版権を管理しているアメリカのウォルト・ディズニー・プロダクションの了承を得ることができませんでした。反対の理由は、ディズニーランドとは関係を持たない駅前のパチンコ店などの商業施設などに『ディズニーランド駅前店』というような名前が付く恐れがあるということですが、最終的に所在地名の「舞浜」に落ち着きました。これに懲りてJRも舞浜方面への臨時列車名にも「わくわく舞浜・東京号」、「ワンダーランド号」、「イクスピアリ号」、「舞浜・東京ベイエリア号」など命名に苦労しています。
快速つくばね様
ご来店ありがとうございます。今回も勉強になりました。
テーマに該当する駅名をピックアップする作業は少し大変ですが、コメントをいただけるとその苦労が吹っ飛びます。今後ともよろしくお願いいたします。
1960年代後半までJRではカタカナの駅はなかったですね。私鉄でもなかったのではないでしょうか?最初のカタカナの駅はニセコでした。1967年の時刻表では狩太になっていました。いつから変わったのかちょっと調べてみると1968年に変わったとありました。その経過が面白いのです。1963年にニセコアンヌプリ一帯がニセコ積丹小樽海岸国定公園に指定されました。この玄関口であった狩太町は狩太駅をニセコ駅にしようとしましたが、当時国鉄の駅はその所在地の名前を付けることになっていたので、駅名の変更は認められませんでした。そこで町は町の名前をニセコ町にしてしまいました。当時の国鉄は変更に抵抗しましたが4年後の1968年に駅名を変えました。その後湖西線の開通でマキノ駅ができました。こちらはもともとマキノ町だったのですんなりと決まったようです。ところでマキノ町は、私が物心ついたときはもうマキノ町になっていて、日本最初のカタカナの自治体名でした。地元ではこのカタカナの名前を誇りにしていたようです。
JRにもカタカナの名前が増えて必ずしも地名からつけなければならないということはなくなったようですね。
大津の86様
コメントありがとうございます。やはり、カタカナ駅名にもいろろな歴史がありますね。勉強になりました。
滋賀県には、マキノとスクリーンという2駅がございます。近江鉄道乗車会の際に、スクリーンの駅名標、必ず写真に収めたいと思います。
駅名標は撮っていなかったのですがスクリーン前です。沿線には桜があり、スクリーン駅でも工場の中の桜をバックに撮影できます。ぜひお越しください。
大津の86様
写真のご投稿、ありがとうございます。
引退した車両ですね。乗ってみたかったものです。
ニセコとマキノは直ぐに出て来ましたが、規則しばりのキツかった国鉄時代の駅名選定の経緯が、上記2名の方の説明で、興味深かったです。
そこで思ったのが戦前の日本式で、南満州鉄道の端の方にはハルピンやチチハルがあり、これに無理矢理な漢字を宛てていますよね。
私の両親の世代でも、漢字で哈爾浜とか斉斉哈爾って書くより実際はカタカナで書いていたのではないかと推理します。
私の故郷のスペースワールド駅、悲しい印象で、一度も降りたことがないうちに、本体が廃業してしまいました。今年アウトレットに変りましたが早くもテナントの入れ替えや、何年続くのかに気を揉んでいます。SW目的の巨艦レジャーホテルの廃業が今年の北九州の大きな話題です。
余談の舞浜駅の話題も言わずもがなで、新聞社時代のあるときに、突然黒船のように著作権の使用問題が起きて、オリンピックとディズニーは、勝手な使用はまからんになり、新聞では五輪、TDLもしくはTDRという書き方が主流になりました。オリンピック釣具のように社名を変更した会社もあります。
そこで言及を広げると、近年阪急そばが若菜そばに、阪急共栄物産と阪急共栄薬局名が使えなくなり、ホールディングになってからの命名の変更を思い出しました。もちろん厳密であることに異論は言えないのですが、創業社長小林一三の”共存共栄”精神から、ゆるい解釈は遠くなったと感じる次第です。
K.H.生
ご来店ありがとうございます。
「阪急そば」の名が消滅していたこと、存じておりませんでした。情報提供をありがとうございます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
2024年10月1日、駅名改称により、長崎電気軌道にて新たなカタカナ駅名が2駅名誕生しました。
カタカナ駅名で思い出したことがありました。ことし、大津市歴史博物館で「湖西線」テーマで講演しました。湖西線には「マキノ」駅があり、日本で二番目のカタカナ駅名の蘊蓄も話しました。「マキノ」の語源は、もともと「牧野」が地域名で、近くにスキー場ができて、「マキノスキー場」となって知られるようになり、のちに町名も「マキノ」となりました。湖西線の駅名も、スキー場に由来する「マキノ」から採ったのが定説と話したところ、会場の最前列におられたご婦人から、横やりが入りました。なんでも、スキー場ができる前から、映画監督のマキノ省三の別荘が付近にあったためとのこと。終わってから、資料を調べたものの、マキノ省三とマキノの関係に行き着くことはできませんでした。快速つくばねさんのご出身とも聞いており、ご存じのことがあれば、ぜひお聞かせください。
総本家青信号特派員様
御指名がありました。結論から申し上げますと「マキノ町」、「マキノ駅」の語源は「マキノスキー場」(現:マキノ高原スキー場)で間違いないと思います。
「マキノスキー場」は昭和の初めにオープンした関西のスキー場きっての老舗で、京阪電鉄も開設にあたり相当な力を入れていたようです。京阪の出資会社である太湖汽船(2代目)が、1930年(昭和5年)1月に浜大津港-海津港間の夜行の「スキー船」の運航を開始し、海津村の海津港から西庄村の牧野区に所在したスキー場までスキーバスでピストン輸送をしたことを古老から聞いたことがあります。京阪も早速連帯運輸を開始し、天満橋-三条-浜大津-海津の連帯乗車船券の発売を開始しました。このため既に京阪本線に「牧野駅」があったので混同させないためスキー場はカナにしたという説がありますが、真偽のほどは分かりません。因みに江若鉄道が安曇-近江今津間の開業により全線開業したのが1931年(昭和6年)1月1日でした。
「マキノ町」は、いわゆる昭和の大合併の直前の1955年(昭和30年)1月1日に 海津村・剣熊村・西庄村・百瀬村が合併して発足しました。合併時には新自治体の名称でいつも揉めますが、私は4村の中で歌舞伎の勧進帳にも謡われ、今津・塩津と共に湖北三津と呼ばれて湖上交通の要衝として栄えた「海津町」となると思っていましたが、4村名からでなく全国的な地名となっていた「マキノスキー場」から命名されました。
「マキノ駅」は1974年(昭和49年)7月20日の湖西線の開通と同時に開業しましたが、この駅も旧村名でいえば海津村に所在するので「海津駅」になると思っていましたが、マキノ町の中心駅に位置付けられたので採用されませんでした。
余談ですが、平成の大合併で2005年1月1日にマキノ町を含む5町1村が合併し、市制施行して高島市が誕生しました。このとき鯖街道を通じて今津町と関係が深かった福井県遠敷郡の旧上中町(現:若狭町)が滋賀県高島郡6町村との合併(越境合併)を検討していた事実があったようです。同時期に長野県木曽郡山口村が県を越えて岐阜県中津川市に編入されていますが、もし旧上中町が滋賀県になっていれば、予定ルートでいえば北陸新幹線が滋賀県を通ることになりました。
快速つくばね様
さっそくコメントを頂戴し、ありがとうございます。文中の呼びかけをよく見ていただき、感謝申し上げます。やはり「マキノスキー場」が駅名の由来なのですね。皆さんの前で言ったことが間違いなかったことで安堵しました。地元ご出身ならではの話、興味深く拝見しました。やはり京阪牧野駅との区別もあって、カタカナ書きへの思いが強かったのですね。関西のスキー場では、いちばん著名なスキー場で、新聞の「スキー場だより」にも、いちばんトップに積雪量が記してあったと記憶しています。町名制定で「海津」案にも触れておられますが、下の地図、湖西線の着工前の構想時の新聞記事です。今とは異なる駅名が多く見られますが、「海津」と「マキノ」が並んでいます。現在の駅名と比較すると、当時の「海津」が現在のマキノ、当時の「マキノ」は現在の近江中庄と思われます。構想段階では、海津駅もあったようです。