江戸城と言えば太田道灌が築城(1457年長禄元年)したと習った記憶がある。その後、徳川の本城として家康、秀忠、家光三代が改修、各地の諸大名を総動員(こきつかった)して広大な城郭をつくりあげた。天守は1607年慶長7年)につくられたが明暦の大火等で現存していない。過去にNHKブラタモリでも江戸城が放映されたが敷地は日本一でどこまで続いていたのかのかよくわからない。
2003.5.1 西の丸のシンボル伏見二重櫓と続き多聞櫓 ▼
2003.5.1 天守台石垣で江戸中期に改築されたがその後この上に天守建築は建てられていない ▼
2022.10.26 桜田門は東京メトロ有楽町線の駅名になっている。また、ここから国会議事堂は直ぐ近くに眺めることができる。▼
同説明板
1967.10.8 桜田門付近で当時の都電を撮っていた。2000形は1067ミリ軌間の杉並線から移り、7500形は残党が荒川線に行ったのではないか。5000形は新宿か大久保車庫所属であったような記憶があるが定かでない。写真は2000、7500、5000の順に続く。
2008.4.7 中央線の四谷-市ヶ谷間は塁壁の土塁が残存し、堀にはボート遊び場や釣り堀がある。桜花爛漫を行く総武線千葉方向に向かうE231系。 ▼
2022.10.2 東京メトロ丸の内線は四谷、茗荷谷、後楽園付近で少し地上区間を走るが、お茶の水を出た東京よりにも地上区間があり、堀らしきものの上を通過する。この02系は少なくなり真っ赤な2000系に置き換わるのも近いと思われる。総武線お茶の水駅千葉よりホームから撮る。▼
準特急さま
江戸城と来て、都電が来るところが、若いころから全国を駆け巡られた準特急さんらしいところですね。1967年10月の桜田門、影が無い、きれいな光線状態で撮られています。実は、その一か月半前に、私も桜田門へ来たことがあります。まだ高校生の時ですが、初めて東京への一人旅でした。都電はほとんど撮らず、国会議事堂から、完成間近の霞が関ビルを見て、桜田門では、警視庁の旧庁舎を撮り、最後は東京駅前で、やっと都電を撮りました。
その都電も貴重な形式を撮られていますね。2000形は、後年に高田馬場駅前で撮ったことがあります。5000形は撮っていませんが、大型で鈍重な感じが好きです。京都市電でも似た1000形がいました。寸法を調べると、5000形は13.0m、1000形は13.8mもあって、こちらの方が長かったことが分かりました。
デジ青投稿、雑誌投稿、DRFC-OB会長職とイベント応援、友の会京都支部支援、関東友人との行事調整、写真展等々大変お忙しい中、コメント有難うございます。以前にもデジ青上で申し上げたことですが、都電は当時のFさんに対して何の話を持ち出しても「撮った、撮った!」という言葉に刺激を受けて都電や横浜市電を撮ったものですが、とても車両を覚えきれるものではありませんでした。また、近鉄の写真を比較的多く撮っていたのはFさんに加えてキャンブックス「近鉄特急」の著者Tさんに影響されたことが大きいようです。しかし、京都市電の大家総本家さんが都電も多く撮られていたことに敬意を表します。
準特急さま
返答、ありがとうございます。国会議事堂前にも都電が走っていましたね。高校生の時の東京旅行でも、国会議事堂は撮影しましたが、たしかにレールも写っていました、ここは、渋谷駅前から月島の方に向かう9系統だったと思いますが、撮ろうにも、待てど暮らせど来なかった記憶があります。すでに乗客は地下鉄に移っていたのでしょう。
「撮った撮った」のFさんの撮影量に驚いたのは、私が大学一年の時のEVEでした。各地の路面電車のアルバムを作ることになり、皆さんにお願いしたら、都電には見たことも無い形式がすべて網羅されていて、驚いたことがありました。
準特急様
江戸城、とてつもなく大きなものですね!徳川の力の大きさ、凄さそのもですね! 広く立派で美しさを感じます。
都電久しぶりです。東京ですね!国会議事堂の前を走っていたんですね!
皇居として久しいですが、京都の御所へお戻りになれられることは・・
そういう話は恐れ多くてできません。個人的には和宮が中山道を江戸に向った頃から風向きが変わったように感じます。