蒸機の“顔”も展示
山科の人間国宝さんが撮られたヘッドマーク付きの蒸機には、前回の走行写真だけでなく、形式写真、蒸機の正面、ヘッドマークのみもあり、意識してヘッドマークをテーマに撮り続けられていたことが分かります。本展示では、蒸機の正面に絞って、A4サイズで展示し、全体の流れのなかでアクセントとなるようにしました。たしかに正面写真は、いちばん車両の特徴が表れた、まさに“顔”とも言うべき部位で、写材としても最適でした。以前の鉄道雑誌にも「電車の顔」と言ったタイトルで、正面ばかりをカタログ的に並べた企画があって、その個性を楽しんだものでした。
▲やはり注目を浴びたのはヘッドマークを付けたC51だった。年寄りにしか反応はないかと思ったが、意外にも若い人たちからも「これは貴重ですね」という声を多く聞いた。写真は、いずれも快速時代の「いずも」の牽引に当たった化粧煙突のC51で、左は若番号のC51 3[米]米子区、右はC51 122[米]浜田区(既出)、いずれも昭和29年10月
▲同じサイズの写真で構成するのが、写真展の定石だが、今回は、3種のサイズで展示した。基本は、素人写真展の定番A3で、そこそこのサイズで、コスパに優れるため、約80%を占めた。少し値は張るが、見せるべきものはA2に、そして、あえてサイズの小さいA4も使ってみた。これを、適宜、組み合わせることにより、流れに変化が期待できることになった。
▲ヘッドマークの取り付け位置もいろいろ、左から、標識灯掛けに付けた「のとつばめ」、円板から飛び出したツバメもユニーク。温泉マークの「ゆのくに」は煙室扉に取り付けているように見える。「はまゆう」は右の標識灯掛けに。
▲ヘッドマークの意匠は、蒸機の所属区によって異なることもあった。有名なのは「かもめ」で、最盛期には、梅小路、広島第二、下関、門司港、さらにセノハチ後押しの瀬野のD52にも異なるデザインが装備されていた。
▲前回に紹介した1年しか走らなかった「さちかぜ」は、長崎本線でのC57だったが、鹿児島本線を走る門司港区のC59も撮っておられた。もちろん、正面の“顔”もバッチリ、「かもめ」と言い、C59は、実に洗練されたスタイルをしていると、正面写真を見て、納得した。
▲恨みのC11「さくら」ヘッドマーク、佐世保行「さくら」の末端区間、スイッチバックする早岐~佐世保では機回し省略のため、C11が先頭に立った。ヘッドマークも用意されたが、普段はマークなしの使用。ところが紹介した雑誌には、いっさい記述がなく、高校生だった私は、佐世保まで撮りに行ったのに、マークなししか撮れなかった恨みのヘッドマークとなった。人間国宝さんに聞くと、「区にお願いして取り付けてもらいました」と並外れた行動力に脱帽した。
先日はありがとうございました。
私は鉄道に対する造詣や、鉄道趣味を通じて、子どもの頃から知識と社会経験を得て、成長し成人し、今の60代に至ったと思います。
取り分け、蒸気機関車に対する思いは世代により様々に分かれると思います。
鉄道と言う交通手段と技術に関する興味は森羅万象でも、一番原初の風景に近い蒸気機関車が100年間動力として国を支えて、その進化と種類を覚えて、模型を走らせて好みの機関車を語るのは今でも可能。そんな意味での今回のSL中心の、それも黄金時代や未見の世界への扉のような写真群には先ず圧倒されました。
それから昨年当会の大先輩ふたりが相次ぎ去られて、弔意の沈痛な気持ちも覚めやらぬ中、佐竹さんのお姿と声咳に触れられて、この写真展が実現したことは、喜びと驚きを共有したくて私は早速多くの友人に情報を伝達いたしました。
10年後にこの企画はできないだろうと思います。
また私は物事を立体的に考えるのが好きなので、同志社と言うファクターと、”蒸機の聖地”梅小路のある京都でこんな何年に一度もない「場」が出現していることに、すごく感激いたしました。
JR西日本にはもっとSLの有効活用や利用を東日本の諸企業のように展開して欲しいと常々思っています。
お金が無いのなら、資本の有る企業と提携してでも、動いていないC51やC53を再生して、日本の国力や技術力が1920年代や30年代にどのくらいのレベルだったのかも、今の子どもや10代が実学で学習して前進的な気持ちが持てるくらいになればと思います。
同志社の存在のユニークさとそれに属する層の厚さに感嘆したこの写真展でした。大学母体は大き過ぎますが、もっと我らの活動の評価も気が付いて欲しいと思ったほどです。本当にありがとうございました。
総本家青信号特派員様
恐れながら & オコガマシくも、小生のも見て下さい。
足元にも及びませんが、一応「トレイン・マーク」だと・・・。
ご講評頂ければ幸甚です。
・・・などと「早やトチリで悦に入っていたら」「ウ~ン? よく見るとトレインマーク付きのカマ」のお話でしたネ。
でも自分としては「撮り貯めた多くのショット」の中から「厳選?の4葉」ですので、やっぱり見て頂きたくて、図々しくも「割り込み」です。失礼はお許しください。
写真の2
写真の3
写真の3
河 昭一郎さん
いいですね~!
特に「さくら」のWルーフのマイテがすばらしいです。
ところで「写真の3」はどうやって撮ったのですか?カメラ位置からして接近して留置してある車両の連結部から撮ったように見えるのですが。
米手作市様
種明かし ➡ 添付写真をトリミングしたのみで~す。
米手作市様
追伸:写真の手前側に延びる引き込み線の車止め(が、有ったと思います)の所から撮った気がします。
大阪駅ですか?
米手作市様
はい、1961-9-2の大阪駅での展示列車です。
C53 45が大阪鉄道博物館に展示される事となり、その前に有火運転された時の写真です。
編成は、キト←マロテ49 2+マロネフ59 1+マシ28 301→コへでした。
米手作市様
「しつこく」写真の追加を送ります。
追加の2です。
故・中村進一氏のコレクションから
米手作市様
ああ、このヘッドマーク、残念ながら小生にはゴチャゴチャしてて不評でした。
いえ、撮影された方には何の責任もありません!
皆々様
特急電車「つばめ」の写真について教えて下さい。
ヘッドサインが他の181系電車特急のそれとは違っていました。
他の特急は全て「白色の無地に列車名」だったと思いますが、この「つばめ」のみデザインが違っていて「つばめ」の上下がグレーに塗られていました。
数有った特急電車の中で唯一違ったデザインだった理由が気になってショウがありません!
どなたか、その理由を御存知な方がいらっしゃったら是非教えて下さい!
これは、「つばめ」の列車名は、格上のもので特別扱いされた、と云うことだったと思います。車輌は共通で、所要運転時間も他の特急列車と同じだったのですが、戦前に遡る由緒ある名称であり、敬意を払われたのでしょう。なお序でに記しますと、上越特急の「とき」には、161系時代からヘッドサインに漢字で『朱鷺』が小さく記されていたと思います。「とき」のみでは、「時?」、「土岐?」などと誤解する輩が居ると思ったのでしょうか・・・。
書き忘れました。「こだま」の運転開始時はクロはなく、「つばめ」が運転を開始したときにクロも組み込まれ、編成輌数も増加したと記憶します。もっとも共通運用だから、その時点で「つばめ」以外の151系特急も格が上がった訳ですが。