「北海道寒中見聞録」に大いに期待

「半世紀前の旅物語」が始まった。誰しも何回かは北海道に行っているはずだから、各人夫々の「旅物語」があって、期待すること極めて大である。それにしても3人旅とは羨ましい。小生の場合ドド田舎の簡易軌道やら、軽便やら、炭礦鉄道やらとあって、付き合ってくれる仲間などなく(誘ってもいないが)、九州などごく僅かな3人、2人旅があっただけ。佐竹先輩や、故羽村兄と1回、故高橋弘氏とは2回ごく短期間の旅を、卒業後重澤旦那とはそれこそ数えられない程同行したが。

長ずるに及んでというより、定年間近あるいは定年後のヨーロッパ軽便めぐりには、幸い好伴侶(辞書通り単なる「道連れ」だから、くれぐれも誤解のないように。この点に関し小生は断じて吉谷先輩の仲間ではない)が得られたのだが。

ところで「半世紀の旅物語」第1号車に、北海道均一周遊券が添えられている。金額が1万円を超えているではないか。学割2割引で9,680円であろう。正直絶句したが、ただ我々の時は特急は愚か急行、準急(なんて列車があった)には、当然ながら別途特急、急行、準急券が必要であった。ただ、急行しかない、などというケースはなく、夜行を含め急行が走る線には必ず各停列車もあったから、急行に乗らずとも旅はできたのである。特急に言及がないとお思いなら、小生が同ヤン生になった1957年現在、特急とは、つばめ、はと、かもめ、あさかぜ、さちかぜ=東海道、山陽、鹿児島本線と、さちかぜが長崎まで走っていた5本だけ―東京以北に特急はなかった。


ところで小生北海道初見参は、1957年8月13日出発、東京、東北を経て在道が8月18日~9月3日、奥羽、羽越、上越線を経て、東京、東海というコースで、帰宅9月9日であった。当時の大阪発売北海道均一周遊券は通用20日だが、27日間旅をしたことになる。これには乗車券面への極々僅かな「自発的加工」が必要で、上の券面をご覧になり各自ご推定あれ。公開は憚っておく。

で、小生が渡道した1957年の北海道均一周遊券は、10月31日まで東京、名古屋、大阪でのみ発売、大人4,100円、学割は5割引きだから2,050円かとお思いだろうが、これが確か2,800円と記憶する。蛇足だが総合卸売物価指数で1957年を100とすると、1969年は110.5で、まだ物価高騰には至っていないが、高度成長期に入り、卒業後の初任給には相当の差が生じていた筈である。

特急、急行、準急には1度も乗らなかった。ついでに記せば、27日間で畳の上で寝たのは往復の青函連絡船と、羽幌炭鉱の寮に無料、2食晩酌付きで泊めてもらった、それにガスにまかれてステホが出来なかった根室で、これ以上安いところはないという安宿(ドヤ=虱の心配をした)に泊まった、合計4泊だけであった。後は全部ステホか、夜行列車、ブランコ(夜行姉妹列車が離合する時上り下りを乗り換える)で、特に深川は駅前の植え込みが若者の睡眠に好適で気に入り、2日続けて利用したが、3日目には、駅員がたっぷり水を撒きくさって台無しに。

小生のステホ台帳?には、水戸、長万部、深川(2泊連続)、滝川、旭川、長万部、と記録され、各ホテル5段階評価は水戸がB(ハエ多し)、旭川C(相客多し)、それ以外は全部Aとある。出発前バイトに励んだ軍資金は乗車券、フイルム購入を含め総計1万円。僅かの残金は東京遊学中の友人と、新宿の安バー(トリス=ハイボールにしないと飲めた酒ではなかった)のはしごで使い果たし、帰路の東海道線夜行(勿論各停)では飲まず食わず、ほぼ無一文で帰宅した。

この間着用し続けていたステテコは、帰宅して脱いでも、やや嵩は減ったが自立?していた。明治生まれでモノを捨てることのない母親が、「汚い」と称して、火箸でつまんでゴミ箱に入れたのを覚えている。靴下(それも安物の軍足)はほぼ毎晩銭湯、列車や駅の洗面所で洗い、網棚やベンチ、芝生なんぞで干していたのは、油足のため毎日靴下を変えないと歩けないからだが。

4 thoughts on “「北海道寒中見聞録」に大いに期待

  1. 湯口先輩、ありがとうございます。
    1号車はようやく函館までです。明日に大沼の巻をUPしますが、先輩の旅とのスケールの違いを感じます。前半は小生、後半は西村君の編集になりますが、何でもアリの旅日記なので昭和32年の旅行の巻きもチラ見で入れたいと勝手に思うようになりました。
    引用部の版権が許されるなら、ほんの一部をお願いできればと思いました。承知したと頂ければ、コメント欄ではなくメールで改めお願いいたします(川中)。
    西村氏も後半の原稿を始めたようで張り切っております。

  2. 湯口様
    先輩の珍行、奇行の数々、楽しく拝見しました。いま青信号の初期号のアーカイブス事業を進めようとしていますが、その発端となったのが、先輩の「四等旅行者の記」でした。ぜひ今の若い人たちにも是非読んでもらいたいものです。ところで、切符への「自発的加工」、私も思わず内心ニヤリでした。わずかな加筆で、あら不思議、通用が10日延びたものです。

  3. 湯口様
    60年前の周遊券の紹介ありがとうございます。3等時代 2800円で一応20日間、自主的に27日間ということは 1日約100円とは驚きです。私が手元に持っている一番古い時刻表は昭和36年6月号ですが、もう1,2等時代になっていて、大阪発の北海道周遊券は学割で22日間6100円となっています。私が紹介した昭和44年で 大阪発25日間 学割で9680円でした。確か当時の北海道均周は閑散期は更に2割の冬期割引があったと記憶しています。従って9680×0.8=7744円となります。券面に学割印の他に「2割」印があるのはそのためだったと思います。そんなお得感もあって、冬の北海道に3度足を運んだものでした。残念ながら「自発的加工」の知恵を授けて頂く良き先輩に恵まれませんでしたが、札幌や函館で明日は関西に帰るという同業者を探して、残日数の多い人と「自主的な周遊券の交換」を行うということはよく耳にしました。
    KAWANKA氏に続いて後半(青信号23号掲載分)は私が投稿することになります。四等旅行の時代から見れば我々の二等旅行は贅沢旅行だと思いますが、私の趣味生活の中では大きな出来事だったことは間違いありません。ヒマとそこそこのお金を手にした今 かつてのルートを鉄道でたどることができないのが何より悔しく、残念でなりません。

  4. 1957年現在の大阪発着北海道均一周遊券学割は、2,800円ではなく、2,300円やったんとちゃうか?との私信が。そういわれてみると通常が4,100円だから、2,300円の方が正しいようだ。記憶や思い込みというものは(個人差は激しかろうが)必ずしもアテにならないことを痛感する。裁判での何十年も過去のことの証言だって、悪気がなくとも繰り返している内に、自分自身がそう思い込んでしまうことが多いのではなかろうか。ただでさえ自慢にならぬ記憶力が、限りなく薄れゆく80歳後期高齢者は、ひとえに頓首再拝するのみ。

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