写真展「煙の記憶」レポート   ❶

本欄でも紹介済ですが、1月18日(水)~24日(火)の7日間、山科の人間国宝さんとご一緒に、写真展「煙の記憶」を行なっていました。クローバー会の皆さんはもちろん、コメントを頂戴している外部の皆さん、「デジ青を見て新幹線で飛んで来ました」と初対面の方が来られたりと、地元から遠方まで、老いも若きも、男も女も、多くの皆さんと対話ができる貴重な体験をさせていただきました。ありがとうございました。

写真展が終わって何らかの報告をと思ったのですが、手前味噌なことを書くのも気が引けますので、ここでは、展示写真のなかから、山科の人間国宝さんの許可もいただいて、とくにポイントとなる写真をピックアップしてご紹介したいと思います。

会場のエレベータが開いて、ギャラリーの全体がパッと眼に飛び込んだ時の“ワクワク感”を大事にした。そのため、真っ先に持って来たのが、テーマ1「栄光の証し、輝かせ」だった。すべて山科の人間国宝が撮られた、昭和30年代、蒸機に掲げられたヘッドマーク(愛称板)だった。山科の人間国宝は、山科の大築堤を行く、ヘッドマークを掲げた「つばめ」「はと」に感激し、蒸機に限らずヘッドマークを掲げた列車を撮るため全国を巡られた。

「つばめ」「はと」については、蒸機、電機、電車に渡って、人間国宝さんは、膨大な記録を残されています。今回もその一端を紹介しましたが、展示のポイントは、昭和30年代前半から九州、四国、北陸、北海道など地方で撮られたヘッドマーク付きの列車です。極めて情報の少ない時代、時刻表で見当をつけて現地へ行っても、空振りに終わることも多々あったようで、その努力は並大抵のものではありませんでした。「これ、ぜ~んぶ撮りました」と、満足そうに話されていました。特急「さちかぜ」 九州は長崎本線、風光明媚な大村湾に沿って、長崎へ向かう特急「さちかぜ」、昭和32年10月から走り始めたが、並行して走る東京~博多の「あさかぜ」と似た発音で誤乗が多いとの苦情を受けて、1年後には「平和」に改称された。そのため「さちかぜ」は、ほとんど記録が残っていない。今回は展示しなかったが、鹿児島本線を行くC59牽引の「さちかぜ」も撮っておられる。長崎本線 喜々津~大草 昭和33年3月

なお、この時は、亡くなられた湯口徹さんと一緒に撮影されていて、湯口さんからも撮影記がデジ青に載せられている。佐竹保雄氏との長崎本線大草-喜々津 | DRFC-OB デジタル青信号

【ヘッドマーク略史】戦前、初めての特急「富士」「櫻」には、後部の展望車にバックサインが取り付けられ、「愛称板」の嚆矢となった。ただ機関車の前部にマークはなく列車後部のみだった。戦前には、そのあと「燕」「鴎」も走り、愛称付きの特急は4本となった。戦後は、昭和24年9月に東京~大阪「へいわ」で特急が復活、昭和25年1月には「つばめ」と改称されたが、いずれもバックサインのみだった。初めて機関車の前部に取り付けられたは。 昭和25年10月改正後しばらくしてからと言われている。 大阪鉄道管理局の発案で、特急列車のイメージアップを図って。直径660ミリの着脱式ヘッドマークが「つばめ」「はと」に取り付けられた。 東海道本線の電化区間は東京~浜松で、浜松~大阪のC62の先頭に初めてヘッドマークが付けられた。

快速「たるまえ」 北海道の大地を走り抜ける蒸気機関車にもヘッドマークを掲げた列車が走っていた。「たるまえ」は、小樽・札幌から洞爺湖の温泉に向かう週末列車で、この時はまだ「快速」としての運転で、昭和33年から「準急」として運転されるようになった。土曜日の“半ドン”を利用して、都会地を土曜午後に出発して、観光地へ向かい、日曜午後に戻る「週末列車」が各地に走っていた。観光客のために、ヘッドマーク付きが多かった。人間国宝さんは「たるまえ」の記録が多いが、蒸機旅客の最終列車を牽いたC57135も撮っておられた。室蘭本線沼ノ端~植苗 昭和32年9月

ヘッドマークの規定については、国鉄本社で「鉄道掲示基準規定」に詳細が記されている。規定が及ぶのは特急のみで、急行・準急については、鉄道管理局で準拠することになっていて、観光地へ向かう準急にはユニークなデザインが見られた。 準急「ゆのくに」   大阪~金沢に昭和27年10月から走った。沿線にある温泉へ観光客を運ぶ目的が強く、ヘッドマークは、すばり温泉マークで人目を集めた。北陸本線 松任付近 昭和30年7月

 写真展「煙の記憶」レポート   ❶」への4件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様
    レポートを拝見し写真展の感動がよみがえってきました。レポートはとても素晴らしい企画で②以降が楽しみです。
    会場で写真をみながら感じたことはこの1枚を撮るためにどれほどの労力を要したのかいうことです。機材が貧弱な時代、撮影条件(絞り、シャッター速度等)も考え抜いた上での結果と思います。
    撮影時のエピソードも含めて図録があれば思いました。C51の写真集も含めてなんとかならないものかと思います。
    会場では皆さま思い思いに写真に見入っておられとても心地よい空間でした。
    写真展の凄さだけではなく雰囲気の素晴らしさが伝わるといいなと思います。

    • A.I.さま
      コメント、ありがとうございます。ただいま、②を載せましたので、ご覧ください。一枚を撮るための労力は、人間国宝さんの時代には、大いにあったことと思います。機材もさることながら、情報がほとんど無い時代です。空振りに終わったことも多々あると思います。そのあたりのエピソードについては、いま発売の「蒸機の時代」にも、聞き書きを載せておきました。C51は何とかまとめたいと思っています。すべてほかの方の写真ですので、著作権などクリアしなければなりませんが、たまたま、いま関西で鉄道書のヒット作を次つぎ出されている出版社の方もお見えで、ご相談しておきました。

  2. 総本家青信号特派員様
     写真展に行くことが出来ずに本当に残念に思っておりました。
    それが何とデジ青で拝見できるとのこと、嬉しい限りです。有り難うございます。
     貴重な写真の数々を十二分に楽しませて頂きます。
     準急「ゆのくに」のヘッドマーク、ごついですが時代を感じさせてくれますね。
     次回が又楽しみです。

    • マルーンさま
      そうですよ、マルーンさんに会場へ来ていただけなかったのが残念の極みです。見逃した方のためにも、本欄で少し連載をすることにしました。「ゆのくに」は、いかにも北陸の温泉郷に向かう列車らしいです。②で紹介しましたが、「のとつばめ」と言うユニークなマークもあり、これらは、金沢鉄道管理局の発案と言うことです。

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