“思い出探し”の旅も、北九州から福岡へと移ります。クローバー会の北九州ツアーの2日目、西鉄宮地岳線の廃線跡めぐり、多々良工場の見学のあと、午後からは、1975(昭和50)年に廃止となった西鉄福岡市内線貫通線の箱崎、馬出付近の廃線めぐりとなりました。私も廃止直前に、貫通線のほぼ全区間を歩いて写しただけに、50年前と比べてすっかり変わってしまった沿線を見て、感慨深いものがありました。▲ 「馬出」電停の安全地帯が、いまも残っていることを、本欄でも、地元のおとりんさんからレポートが寄せられて、そのコメントに私も写真を寄せたが、今回、もう一度、掲載を。貫通線が九州大学の校地に沿って東進し、左へカーブしたところに「馬出」の電停があった。この付近は、ほぼ専用軌道で、電車はダイヤ通りに走り、商店の軒先を兼ねた電停は、賑わっていた。▲現在の同地点は、「馬出バス停」交差点に当たる。線路跡は道路となった。城戸商店は、ご覧のように、外装は新しくなったが、窓割りはそのままで、沖縄そばの「由ら花」などになった。左手にあった民家も合わせて、棟続きになった。
▲発車した姪浜行き、電車の背後が城戸商店で、「餃子とカレーライスの店 旭軒」を過ぎて行く。左下の電停の安全地帯が現在も残っている。▲旧景の旭軒側から見た現況。安全地帯は、いまもバス停「馬出」として残っている。なお、旭軒は、現在ではマンションになっている。▲福岡市内線貫通線の始発「九大前」(右上)から「千代町」交差点(左下)までの地図。中央付近の赤点線円が「馬出」、青点線円が「箱崎」。
▲ 「箱崎」に到着した10系統、博多駅方面室見橋行き。参詣客のためか、電停は広く、天神・博多駅方面には上屋もあった。▲「箱崎」で行き交う電車、交差するのが筥崎宮の参道で、鳥居は二の鳥居、その奥に、日本三大八幡の筥崎宮がある。▲現在の「箱崎」付近、鳥居の位置は変わっていない。路線跡は西鉄バスの専用路となった。▲現在の箱崎付近、右手に市営地下鉄箱崎宮前駅の出口がある。路線跡は、ここから馬出方面へは西鉄バス専用路となった。
▲バス専用路を示すアーチは、古レールの再利用で、刻印も見られて参加者は興味津々で見学。▲▲専用路に入る西鉄バス。
6番目の「箱崎」の電停(左)は、三角形のホームをしていますが、左側には、もう一本の分岐があったことを、ほかの本で知りました。筥崎宮への参詣下車停留所であり、とくに初詣など、多くの人出の時は、箱崎行きの臨時も運転されたようで、折り返し用として、分岐が使われていたのでしょう。