魚梁瀬森林鉄道跡を訪ねるにはクルマが不可欠です。高知市でレンタカーを借りると土佐くろしお鉄道に乗る機会がなくなるので、なんとか現地調達をと調べたところ、くろしお鉄道安芸駅に駅レンタカーがあることがわかりました。岡山から瀬戸大橋、大歩危を経由して後免へ、そして初めての土佐くろしお鉄道ごめんなはり線で安芸へと向かいました。くろしお鉄道については、別稿でご紹介したいと思います。
(その1)で述べましたように、魚梁瀬森林鉄道は安田川線が先に開通し、あとで奈半利川線が作られたのですが、今回の旅は奈半利川線経由で魚梁瀬に向い、魚梁瀬から安田川線を下るルートで計画しました。では狭い道を考慮して借りた軽自動車で出発です。
①立岡(たちおか)2号桟道 【重文、近】奈半利川河口に近い田野町立岡にはかつて奈半利貯木場に向かう線路と田野貯木場に向かう線路の分岐点がありました。奈半利貯木場に向かう線路跡がしっかり残っており、特に奈半利川鉄橋に向かう途中に緩やかにカーブした10連のコンクリートガーダー橋があり、立岡2号桟道と呼ばれています。なお重文は国指定重要文化財、近は近代化産業遺産群に認定されたことを示します。
②法恩寺跨線橋 【重】奈半利貯木場に向かう線路跡に残る石積みの跨線橋です。
③加茂隧道 奈半利川沿いに上流に向かうと道路沿いにトンネルがありました。
トンネル内の路盤はコンクリートで、苦も無く歩いて通り抜けられました。不思議なことにこのトンネルは重文指定や近代化産業遺産群の認定から外されています。同時期に作られ、何の遜色もないのになぜ認定されていないのでしょう。選定基準が気になります。
④中岡慎太郎館 (安芸郡北川村)林鉄とは直接関係しませんが、林鉄が通る北川村は幕末の志士 中岡慎太郎の生誕地であり、立派な記念館が建てられていますので立寄りました。隣接して生家も復元、公開されています。慶応3年11月京都河原町の近江屋で坂本龍馬と共に襲撃され、29歳7ケ月の若さで非業の死を遂げた中岡慎太郎の波乱の生涯を偲ぶことが出来ました。彼は地元の大庄屋の長男でしたが、日本の近代化に果たした役割は図り知れません。裏金作りに奔走する令和の政治家たちにじっくりと見学させたいものです。殆ど米のとれない林業中心のこの地では、ゆずの栽培が適していると普及拡大を図ったのも中岡だったそうです。その思いは今に引き継がれていました。
⑤小島橋 【重、近】 現存する林鉄施設の中で最も大きな遺構。橋長143m、2連の下路式トラス桁(鋼鉄製)。
実は、先を急ぐ気持ちもあって、対岸へ歩いて渡らなかったのですが、対岸の竹藪の中に上路式の5連の鉄橋があったことをあとで知りました。トラス桁と両方が文化財でしたので片方を見落としたのが悔やまれます。この写真でわかるように、最後尾には客車をつないでいて、林鉄は沿線の人々にとっての大事な交通手段だったことがわかります。また続行運転していたことも明らかです。なお、この橋のたもとには、最近出来たと思われる立派な温泉ホテル「北川村温泉ゆずの宿」があります。
⑥二股橋 【重、近】 奈半利川を遡ってゆくと、支流との合流点に2連アーチのコンクリート橋があります。この地点は支線蛇谷線との分岐点でもありました。
⑦堀ケ生橋(ほりがおばし) 【重、近】 二股橋とよく似た1連のアーチ橋で、昭和16年建造。同類の橋としては国内最大級だそうです。
⑧魚梁瀬ダム 林鉄が廃線となるきっかけとなったダムです。魚梁瀬集落の手前に魚梁瀬ダム展望台がありました。魚梁瀬ダムはロックヒルダムで、足がすくむような堰堤があるわけではなく、粘土と石と土で固められた巨大な堤防が水をせき止めています。
今年は雨不足で、ダムの水位は非常に下がっていました。魚梁瀬村の中心地、丸山台地に向かいます。 (その3に続く)
【奈半利町、乙付近】
奈半利川西岸の橋脚は見栄えがしますが、東岸側にも道路の下に路盤が眠っています。
特に国道493号の奈半利乙付近では田甫脇から、よく見えました。
国道493号、乙付近の現況
https://maps.app.goo.gl/JoxuW2Qmf5uk3wkLA
【奈半利町、乙付近】
奈半利川西岸の橋脚は見栄えがしますが、東岸側にも道路の下に路盤が眠っています。
特に国道493号の奈半利乙付近では田甫脇から、よく見えました。
やま様 何度も現地を訪問されておればこその情報ですね。今回、軽自動車で走りましたが、丹念に廃線跡探査をするにはバイクが有効だと痛感しました。今回の訪問を下見と考えたいところですが、再度訪問することはないでしょう。もっと事前調査をしておくべきだったと反省しきりです。
高知県は日本有数の多雨地帯です。そして単なるツーリングではなく『廃線跡調査』です。
カメラや地図、その他の道具(注1)を揃え、現場によって使い分けます。
また道路から離れて探索する場合も有るでしょう。車の方が保安面からも宜しいかと思います。
(注1)
傘、雨合羽、軍手、鎌、剪定ハサミ、鋸、巻尺、ザイル、懐中電灯(広範囲とスポット)、紐、ガムテープ、ラジオ(鈴)等。更にチェーンソーなど。
(注2)
下の写真は長沢林道の條辺で遭遇した倒木。
下側で直径10cm、上は30cmを越える?
西村雅幸様
各所に立派な遺構が残っているのですね。こういう所はクマは大丈夫なんでしょうか。西村様仰られる通り中岡慎太郎館は裏金作りの政治家には自腹で出張して見に行って欲しいです。しつこい様ですが第1回報告に関連して2013年7月14日台湾集集駅前に展示されているシュイの22号機です。
準特急様 かつて空のトロッコを犬に曳かせて山を登っていた時代は、犬はクマよけでもあったそうです。現在でも杉の美林が見事な一帯ですが、クマが好むドングリが生る落葉広葉樹が少なく、クマもさることながらイノシシが掘ったような痕跡もあまり見かけませんでした。鹿の被害の方が多いようで、杉の苗木、若木には厳重な保護カバーがかけられていて驚きました。写真は途中で見かけた若木の植林地で、白いのが保護カバーです。
写真貼り忘れです。
準特急さま
ー
製造番号:2664 番
(2002) Displayed at Chi Chi (Jiji) Train Station, Taipei, Taiwan
https://www.shaylocomotives.com/data/factsheet/sn-2664.htm
です。
なお、阿里山の他のShayについては
残存 Shayの一覧表
https://www.shaylocomotives.com/data/surviving/SLc-Survivors.htm
を
ご覧ください。
やま様
西村さんの詳細な現地探訪に加えてリマ社のシェイの一覧表を有難うございます。これくらいの英語なら何とかなりそうです。アメリカの鉄道についてはビデオを持っておりますがその中にもシェイが出てきます。台湾が有名でしたが結構アメリカ各地等にも現役や保存機がありそうですね。勉強してみます。