第24日目 5月12日 図们
2007年に韓国側の北朝鮮国境駅である都羅山駅に行きました。厳戒態勢の中、特別な雰囲気を感じましたが、ここ図们は中国鉄路ではどこにでもあるような、ごく普通の駅でした。まあ丹東のように国境を越える、国際客車列車があるわけでないので当然かもしれませんが、緊張感を求めてホテルのチェックインが終ってから町に出てみました。
かつて国境から見た北朝鮮の鉄道を追いかけた鉄ちゃんのプログを日本で見ましたら、警戒は厳しくカメラを向けているのが見つかると公安から質問され、引っ張られて撮影したフイルムを没収されたりする事があったとの記事がありました。最近はどうかなと、王さんに電話をしますと、「全然大丈夫ですよ。でも時々状況は一転しますからホテルのフロントで確認だけはしておいてください。」 と、申されましたので出かける前に聞いてみました。すると、「あんたダメだよ、そんな大きなカメラをぶら下げていたら、途中でマークされるよ。北朝鮮を撮ったら公安が来て、外国人で日本人と分かったら直ぐに逮捕されるよ。」 と、物騒な事を申されます。
仰せに従い一眼レフはリックにしまって、撮影用にはコンデジ2台をショルダーバックと衣服のポケットに分け入れて出かけました。
▲ 国境の町「図们」の地図を求めましたら、独自はない、延吉市内図にくっ付いてあると言われました。左の地図です。
向かいたいのは、国境の鉄道橋です。徒歩でどのくらいかかるのかとききましたら、「真っ直ぐに行くと、20分くらいかね。」です。そんなに近いのかと、見学がてらに歩いて向かいました。
▲ 友誼街から解放路を歩きました。交差点には、東北解放記念塔があります。路上では雑貨を広げて売る人民、リヤカー屋台等々、中国でよく見かける風景です。
▲ 寄り道をしながら、約20分で図们江公園に着きました。図们江対岸には北朝鮮の山々が見えます。警戒厳重と思いましたが、入口に公安の車が止まっているだけで、警備員がうろうろしている様子はありません。土曜日とあって家族連れで散歩されている方々が多く、緊張感よりもほのぼのとした光景です。
▲ 図们江遊覧の船も出ていました。丹東の鴨緑江と同じですね。しかし川幅はこちらの方が狭く、見つからなければ容易に泳いでも渡れます。冬季には凍りつき歩けますのでなおさらです。脱北者が多いのも分かりますが、双方に警備塔らしき物はありません。そんな事は関係ないと、すがすがしい春の日のデイトを楽しむ恋人たちがいました。
▲ 図们江公園を鉄道橋方面に進むと道路橋の図们大橋がありました。橋の中央までは歩いて行けるそうですが、パスポートの提示でも要求されたら、マークされますのでパスしました。中国側では、北朝鮮をバックに記念写真を撮るコーナーがたくさん設置されていましたが、なぜかカメラを持って撮ろうとする人民は殆ど見受けられませんでした。撮るのを躊躇しましたが、こういう所ならまあ良いかと様子を伺ってからシャッターを切りました。
▲ さらに鉄道橋に向かいました。近づくと監視カメラが設置されていました。地元のおばさんたちがいましたので、この橋には、列車が走るのか聞いてみましたが、知ってか知らずか、「不知道=知らない。」 との返答でした。
橋のたもとには、满洲里と比べようもない小さな国境の門が設置されていました。道口(踏切)もありました。撮影は適当にして図们駅方向に進むとまた道口です。ドアが開いていましたので、聞いてみようと行きましたが、誰もいませんでした。
▲ 駅手前で上手い具合に歩道橋がありましたので上がって駅構内を見ました。3面のホームに5本の列車発着線の他、貨物ヤードには20本のレールがありますが、活発な作業は行われていません。静かな構内でした。
▲ そろそろお腹がへってきました。跨線橋を降りて雑貨屋へ入って聞くと、美味しいレーメン屋を教えてくれました。すると、中で買物をしていたお姉さんが、「分かりますか?」 と、日本語で聞いてきます。中国の町を何100回と歩いてはいますが、原住民から流暢な日本語で話しかけられるのは初めてです。聞けば、日本に長年住んでいたと申されます。
ここ図们の人口は13万人強、その内朝鮮族は60%近くを占めます。朝鮮族なら日本に住んでおられたと言われても不思議ではありません。 そして、漢族が大半を占める中国とは違って図们には親日的な住民が多いと、滞在中に感じました。反漢族なのでしょうね。お姉さんは懐かしい言葉を聴いて嬉しく思いますと、途中まで案内してくださいました。
久しぶりにまともなお店での昼食ですが、大広間では結婚式の宴会が開かれていて、空いているのは、広い個室で落ちつけません。クーラーもガンガン効いていて寒いくらいでしたので、早々に出て朝鮮族街を散策しました。
冷麺は美味しかったのですが、ビールを入れて28元(約380円)です。 それなりの料金でした。
▲ 折角の快晴です。引き揚げるには早すぎますので、公園に戻って先ほどとは反対方向に歩き始めました。丁度対岸には北朝鮮の鉄路が見えています。列車が走ってこないか、場所を代えながら1時間以上を待ちましたが、音も聞こえてきません。諦めて町中へとBusで向かいました。地図で見るのとは違って、やはり相当の距離がありました。
川岸に看板を見つけました。 「①密出入国 ②図们江川面で遊ぶ事、密輸、解毒、魚釣り、国境の安全秩序に反する行為 ③ 朝鮮に向けての宣伝呼びかけ、撮影 以上は禁止する。」 と、掲示してありました。
▲ 14:30、町の路上市場に来ました。中国の大都市では集約されて新たに建てられたビル等に強制的に入れられている路上販売もここではまだ残っています。スーパーマーケットでは見られない採りたての現地野菜や、きのこ類が並べられています。私が大好きな松葉蟹のメス、コッペもシーズンオフなのにありました。 在宅中はいつも主婦をやっていますので、田舎市場を散策するのは大好きです。
もう一つ、大好きな白酒もここではカメに入れられたのをビニール袋に入れて売っていました。これは初めて見ました。
夕食は、温か麺にしましたが、昼間と違ってビールを入れて9元(約120円)でした。私にはやはり、田舎食堂が合っているようです。
ぶんしゅう旅日記様
いつも何が起こるかヒヤヒヤして拝見しております。私など怖がりなのでとてもぶんしゅうさんの様な旅はできません。ところで旅日記に出てくる列車にはハルビン、赤峰、延吉など私にとっても懐かしい行先が出てきますが、今回の图们は1996年12月30日、31日と2泊し、图们機務段の夜間撮影も試みました。あまりにも寒く、また、照明が少なく、全てアウトでした。ここに居た蒸機は前進型で一部東風4型ディーゼル機も進出していました。大晦日の雪の朝、豆満江を隔てて国境というものを味わいました。北朝鮮側には若干のビルも見られましたが、電気がついている様子はなかったです。图们の国境の川沿いには店があり、北朝鮮の切手の入ったアルバムや色の悪い絵葉書などが売られていました。鴨緑江の遊覧船は有名で乗船した人も知っておりますが、川幅の狭い豆満江でも遊覧船があるのですね。图们はすごく発展してカラフルに見えますが平和な感じなのでしょうか。当時「中朝辺境」の文字の入った石碑の前での記念撮影は自由にできました。私の行ったのはもう15年も前で北京空港でも板張りの椅子で空港の外は街灯が少なくて暗かったのを覚えています。延吉空港は預けた荷物をトラックが運んで来てそれを各自が勝手に持っていくのでクレームタッグなど通用しない世界でした。吉林省は朝鮮族が多いので、駅名などは漢字とハングルが併記されているのはぶんしゅうさんおっしゃられる通りですね。西に行くとこれがウイグル語と、内蒙古などはモンゴル語と、ラサなどはチベット語と漢字の併記であり多民族国家であることを改めて感じました。
準特急先輩様、コメントをいただきましてありがとうございました。
15年も前にここまで来られてあられたのですか。私が仕事で頻繁に訪中していた頃です。その頃は、仕事最優先の出張扱いでしたので、とても途中で蒸気機関車を撮りに行く事は許されず、移動時に車窓から眺めるばかりでした。でも、カメラを持って動いてみたかったですね。あちこちで前進、解放型等が現役バリバリでした。
そんなストレスの反動が、今、大地への撮影意欲を駆り立てていると思いますが、中国の蒸気機関車は終焉を迎えていて、探しださないとめぐり会えません。
図们江の川沿いの店はまだ残っています。図们の町は、まず空気が美味しいです。工場があたりになく澄み切っています。中国の町の多くは、道路の砂埃が激しく木々も夏になると葉っぱが埃をかぶって、緑から茶色になってしまいますが、ここは車も少なくそのような事はないと思います。
国境の橋には、蒸気機関車が走っていたのでしょうか? 前進が爆走する写真がありましたらご投稿をお願いします。きっと、素晴らしかったでしょうね。