2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part11 マンダレー

07_踏切1 マンダレー駅周辺のロケハン途中の踏切前でお会いした洗濯をしていたお嬢さん。明るくさわやかな笑顔で答えてくださいました。それにしてもマンダレーの皆さん、昨日と同じく愛想良く元気です。またきたくなりますね

第7日目 3月29日 その1
マンダレー 17:00(D4n)→9:15 ヤンゴン

02_朝食2 02_朝食▲ 6:30、清々しい朝を迎えました。欧米人もかなり泊まっておられたSwanHotelでの朝食です。欧米人や我々にも口に合うような各種メニューが用意されていました。ほっとしてたくさん食べましたが、しばらくするとお腹の調子がおかしくなりました。Nさんも同じで、どうも二人とも食べ合わせが悪かったようです。私は正露丸を飲んで強制的に治めましたが、Nさんは持参されていた別の薬が効かなかったのか、重症になられました。一方のO氏はとても元気で人間性だけでなくお腹も違っておられるようで頑丈です。旅の途中での腹痛は大変です。今日はスタートで失敗しました。

今日は1858年に遷都されてビルマの王都であったマンダレーを見て回ります。
まず向かったのは市内から南へ約11キロにあるアマラプラでした。こちらも1783年~1823年と1841年~1857年の2度にわたって遷都が行われたかつての王都です。ビルマも王様の思いつき?であちこちと都を代えていたのですね。遷都の際に建物も一緒に運ばれてしまって現在は都を偲ぶものは殆どないのですが、木橋が有名とネイトンさんが申されますので行ってみました。
04_ウー・ペイン橋104_ウー・ペイン橋7▲ 木橋は、タウンタマン湖を横断するために160年前にチーク材で造られました。長さは何と約1.2キロ、名前はウー・ペイン橋です。以前はバイクも通行していましたが禁止になったそうで、自転車も下りて押して歩くのが原則です。
橋には途中に何カ所かの屋根付き休憩所が設けられていて土産物や飲料水等が売られていました。
04_ウー・ペイン橋2 04_ウー・ペイン橋6▲ 橋から見る湖は、小舟で魚を採っている漁師さん、アヒルの大群も見られ、のどかな雰囲気が漂っていました。雨季には橋の下一面が水没するそうです。
04_ウー・ペイン橋4▲ 湖で採れた大きなカニは油で揚げて売っていました。他にも美味しそうなものが等々ありましたが、冷たいビールと一緒で現在身体が受け付けてくれません。昼ごはんも少し口に入れた程度にしました。
04_ウー・ペイン橋3▲ 向こう岸でお会いしたたくましそうなお姉さん。ミャンマーではバイクやスクーターの2人乗り3人乗りは当たり前、一家団欒で4~5人乗りも見られます。でもこんな座り方では落ちないか心配です。頭に荷物を乗せる歩き方で平行感覚が鍛えられているのでしょうか。

昼食後は、ビルマ最後の王宮に参りました。1885年に英国に占領され植民地となるまで当時のマンダレーは王都として栄えていましたがそれもたった26年で終わったそうです。国王はインドへと追放され多くの財宝は奪われて、王宮は英国軍隊の駐屯地になりました。
1942年には、日本がビルマに侵攻してマンダレーを占拠、王宮は日本軍の駐屯地に転じられました。3年後、英国側の奪還作戦が開始され、爆撃を受けた王宮は焼失しています。今の王宮は、1948年ビルマ独立宣言後の1980年代に復元されたコンクリート製です。

03_王宮103_王宮203_王宮3▲ 11:15の気温は38℃です。日中30℃、朝夕は18℃前後で涼しかったナムツと比べて暑くなりました。やはり熱帯の国です。体調も悪いので、乾燥しているとはいえ38℃は応えます。

鉄ちゃん部隊には、柔い観光見物は鉄分不足になって体調も戻りません。切り上げてミャンマー鉄道の列車走行を撮ることにしました。
ヤンゴン方面への鉄路は一直線に南へと向かいます。いくつもの道路と交差して各所に踏切がありますので撮影場所には困りません。踏切番もおられますので通過時間は教えてもらえます。
07_踏切2▲ 14:41、踏切に着いてすぐにマンダレー駅へと向かう列車がきました。7両の面白編成の混合列車です。サボが付いていませんのでどこから来た列車かさっぱり分かりませんが、駅の時刻表にはなかったローカル列車です。列車名は117Up?のようです。
07_踏切3▲ 2両目、4両目はちょっと変わった車両です。明らかに4軸ボギー無蓋貨車から客車への改造車です。乗ってみたかったですね。
07_踏切4▲ マンダレー駅での保守点検の際に手書き記入されている記録簿です。車両番号は、DD901+①BDTK1886+②SMBDT45046+③LBGV1743+④SMBDT45057
+⑤CBHV40316+⑥CBHV11289+⑦BBE10647 以上、2等車4両、貨車2両と荷物車。
07_踏切8▲ 走る列車の窓から子供たちの笑顔をいただきました。マンダレーにきてからは、皆さん方から待っていたかのように積極的な笑顔をいただくことが多くなりました。

07_踏切5

07_踏切6

▲ 14:58、またきました。
7両編成、全部2等車の客車列車です。列車番号は119Upですね。
ローカル列車はいったいどのくらい走っているのでしょうか? かなりありそうですね。
07_踏切7▲ 列車が通過すると踏切には多くの人や車の通行がありました。まだ経済未発展のミャンマーですが、解放が進むとあっという間に車は多くなります。これだけ踏切が多いと第2のバンコクになるのは必死ですね。同じように列車が道路との信号待ちをさせられるようになるかもしれません。
空いている線路上は、弟をあやしながら抱き歩くお兄さんの散歩道でもありました。

07_踏切907_踏切10▲ 15:03、本命だったヤンゴン行6Dn列車がきました。
16両編成の堂々の走行ですが、線路状態が極めて悪く上下にバウンドしながら向かってきます。ステップしながら走ってくるようにも見えます。
今まで反対方向から来たローカル列車はマンダレー駅に近くになっていますので、スピードを落としていました。振動はそれほどではなかったのですが、少しスピードが出ますと脱線しないのかと心配するほどの上下振動が発生しています。
これは普通ではありません。聞きしに勝るミャンマー鉄道です。今夜乗車するのは大丈夫ではないと予感しました。
そして編成ですがDL+①~⑥2等車+⑦~⑨UpperClass+⑩食堂車+⑪UpperClass+⑫~⑮2等車+荷物車と、編成内容が昨日と今日では違っています。これはどういうことなんでしょうか?

まだまだ列車は来そうでしたが、マンダレー駅乗車はゆっくりとしたいので、切り上げることにしました。

いよいよミャンマー鉄道の初乗車が始まります。Part12で詳しく掲載させていただきます。

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