早起きしてSRC
夜の明けるのが早くなった。日の出時刻は4時台だ。だからこそ、この時期でしか撮れないものもある。私の近場では、東海道本線の夜行貨物電車「スーパーレールカーゴ(SRC)」(SUPER RAIL CARGO)が、その例だろう。長岡京・山崎付近では、4時55分の通過で、夏至を中心とした約1ヵ月間のみ走行中の撮影が可能だ。
SRCは、M250系16両編成で、東京貨物ターミナル~大阪・安治川口間に運転されるコンテナ輸送専用の貨物電車で、現在は、佐川急便専用の貸切輸送として運転されている。モーダルシフトの推進を目的として、2002年に登場した。▲朝は3時30分に起床、真っ暗ななかペダルを漕いで、山崎駅近くの高橋川踏切へ向かう。以前から著名な撮影地だが、少し前にフェンスが増設され、限定1名の撮影地となった。この時期は同じことを考える同業も多いから、一番乗りしないことには撮ることができない。
通過の1時間前に現地着、さすがに誰も来ていない。アウトカーブから正面を撮るから、シャッター速度は低くても大丈夫だが、最近のハイビームの前照灯はまともに露出を拾ってしまうので、オートで撮影はできない。何度も露出を確認し、マニュアルで撮影することにする。SAGAWAのシールを貼り付けたM250は、明けゆく山崎のカーブを高速で通り過ぎた。▲別の日は、通称“名神クロス”へ向かった。ここは、キャパが十分にあるから直前でも大丈夫。SRCは、両端に電動車を2両ユニット、中間に付随車12両を連結、専用コンテナは、電動車に1個、付随車に2個積載できる。下りの場合、東京貨物ターミナル23時14分発、大阪・安治川口5時26分着で、所要時間は6時間余りで、かつての特急「こだま」より速い。
▲SRCが通過してから5分後には、EF81の牽く4070レが通過する。それから以降、下り貨物は、ほぼ10分ヘッドで陸続と通過して行く。そのすべてがEF210で、撮るのもイヤになるほど早朝の貨物ラッシュとなる。▲この日は、SRCの通過後、遅れの「サンライズ瀬戸・出雲」が通過して行った。所定、4時ごろの通過だから、約1時間の遅れ。初めて285系の走行中を撮った。なるほどサンライズに相応しい塗色と納得した。▲続いて53レが通過、これは、今年3月改正から運転されている福山通運の専用貨物列車「福山レールエクスプレス」。東京貨物ターミナル~吹田貨物ターミナル間を運転する。JR貨物が特定企業の専用貨物列車を運転するのは、佐川急便、トヨタ自動車に次いで3例目と言う。
総本家青信号特派員様
これを見ていて思い出すのは2レ特急「さくら」を撮影したことです。私も当時の乙訓郡長岡町神足に下宿し、早起きしたのか夜通し喋っていて夜が明けたので撮影したのか忘れましたが、関西では撮りづらい東京行ブルートレインに挑戦しました。東京に昼前に着く「さくら」だけは関西でも何とか記録できました。下り急行でスハネ30をつらねた「明星」やラッシュ時間を過ぎた頃に通過する「銀河」、「日本海」等も撮ったことがあります。それにしても総本家さんは雨にも負けず、暗いうちからよく頑張っていますね。佐川列車は撮りたいなと思っていますが、多分無理でしょう。
準特急様
速攻のコメント、ありがとうございます。乙訓郡長岡町神足の先住民たる準特急様を差し置いて、どや顔で発表してしまいました。おっしゃるように、ブルトレの中で「さくら」が、しんがりを勤めていましたから、この時期、関西でも撮影できたことでしょう。
でも私は、この神足の黄金時代は、全く撮っていません。ぜひ、この道の先達である、準特急様からの発表を期待しています。
その時代に比べると、現在は、面白味には欠けますが、決して捨てたものではないと改めて思っています。
失礼いたします。私も昭和60年頃に神足に住んでいました。
夏の夜明けに4006レ「つるぎ」や4002レ「日本海2号」、502レ「きたぐに」の14系寝台座席の混成編成、21レ「なは」、101レ「銀河」の20系、最後は回送の3002レ「彗星」などを撮って喜んでおりました。
写真が下手なのでとても出せるレベルにありませんが、懐かしい記憶が甦りました。
向日町との間側と、山崎の阪急とのクロスh付近も足を運びました。
K.H.生さま
こちらこそ失礼しました。神足にまだ先住民がおられたとは知りませんでした。書いておられる「つるぎ」は、関西ブルトレのラッシュの先陣だったため、時刻が早く、なかなか撮影ができませんでした。この時期なら撮影できたのでしょうかね。私は、廃止直前、大阪から向日町への回送を撮ったことがあります。とにかく、その時代、神足、山崎は、今から見れば天国のようなところでした。