17:30 台東站に戻って待合コンコースを散策していますと、ひと際目立つ和服姿のお嬢さん、2人がお買い物をされているのを発見しました。え~、なぜに台湾で和服姿を見られるのだろうかとビックリとしました。
初めは日本人のお嬢さんかと思い、日本語で話しかけましたがキョトンとされましたので、中国語に切り替えて自己紹介をしてから写真を撮らせて欲しいとお願いしますと、気さくに応じてピースポーズまでとってくださりました。 数枚を撮りました内、縦位置全身を今回の紀行記の冒頭を飾らせていただきました。
こちらは、どっちにしようかなと迷ったもう1つのショットです。カメラ撮りに慣れたお嬢さんでした。きっとモデルさんかタレントさんでしょうね。今回の旅でお会いした中でも1番お綺麗なお二人でした。 夜に再会した千住のヤスベーさんにお見せしますと、「タイのウドンタニも美人が多く見とれてしまったが、是非とも自分も撮りたかったなあ。」と残念がっておられました。
第6日目 1月13日 6:00 目覚めて空を見ましたが今日は雲が立ち込めています。 昨日のように撮影地に行けば晴れることを祈りました。 民宿の周りはご覧のとおり空地ばかりです。站前ですが開発は進んでいません。
7:00には朝食の準備が出来ているはずですが、そんな様子がありません。母屋のドアも施錠されています。寝過ごされているようです。
こりぁダメだと支度をして外に出ましたら、息子さんらしき方が車で戻ってこられました。サンドイッチを買いに行かれたようでしたので、これを受取って出発しました。外観を見ますと、ここが民宿と分かる派手な看板がありましたが、昨夜は暗くてこれが見えず迷走しました。
一方、こちらが今夜宿泊する民宿のGreen Hotel 青葉緑地飯店です。昨夜に準特急さんがまた迷走したら大変だと近くとは分かっていましたが、探しておいていただきました。
昨夜の民宿よりも約80m、台東站よりにありました。朝に準特急さんと私の荷物を預ける交渉もしておいてくださりました。
▲ 外観からはこちらの方が、花一杯で華やかですね。中をのぞいてみましたが、メルヘンチックなインテリアの室内装飾で、若者やお嬢さんには喜ばれそうです。
① 台東7:40(莒光號752次)→8:21金崙 徒歩約10分弱で台東站に到着。切符を買ってホームに入ります。
7:31 隣の2月台(ホーム)には、6月の電化完成時には姿を消すDR2700系が到着していました。玉里始発台東終着の普快車4674次です。 ▲ 前後の車両で前面色が変わっています。こちらは警戒色塗装車両です。
【 DR2700系 】 1966年10月31日の蒋介石の生誕80周年に合わせて、西部幹線の特急光華號として運用開始されました。東急車両製のオールステンレス車で回転クロスシートが設置されています。カミンズ製の335HPと新潟鉄工所製の変速機を搭載したDR2700型が25両と中間付随車DR2750型の6両が、2M1Tを1ユニットで運用されて台北~高雄を最高速度110km/h、4時間40分で結んでいました。当時はシルバーの長大編成が見られたのでしょうね。
1979年の西部幹線電化後は、光華號運用からは離れて北迴線優等列車に転出しました。晩年は花蓮~台東の普快車として余生を送っています。そして、今年6月には退任となります。
金崙への車窓は今日の撮影困難を見せています。降雨だけは許して欲しいと願っての到着でした。
▲ 8:49 金崙站から徒歩約10分で金崙川にかかるコンクリート橋の袂に着きました。最初に来たのは、R126号機とR134号機との重連貨物ですが牽引するのはたったの2両です。勿論列車ダイヤには掲載されていません。 9:06 DR2800系9両編成の自強號301次が渡ってきました。列車で隠しましたが、川の中央では河川工事のために大きなクレーンが稼働中です。皆さんアングルには苦労をされていました。
▲ 9:15 R121号機牽引10両編成の莒光號701次です。クレーンがあるのは左方向でこのアングルでないと入ってしまいます。
▲ 9:24 少し遅れて台東発新左營行きの自強號304次、6両編成が渡って行きました。
橋中央の邪魔なクレーン車は消しています。 どうもこちらからでは、バックが明るく列車は潰れてしまいます。不銹鋼號さんは海側に行かれましたので、私たちも移動することにしました。
▲ 10:24 新左營発台東行きの自強號303号、DR2800系12両編成がやってきました。やはりDC12連となると圧巻です。昔を思い出します。
川の向こう岸から撮りたくなりました。行けるかどうかは分かりませんが河口の波打ち際近くまで行ってみる事にしました。
河口まで来ると、川の流れは分散して何とか渡れそうです。履いていますトレッキングシューズは防水で、5㎝程度は水も入りません。ゆっくりと水深を見ながら石の上を選びながら走破していきました。
▲ 10:46 たどり着いた中州からは、晴れ間が見えだした青い空と山をバックに渡る列車を狙えました。橋を渡るのは、台東発新左營行きの莒光號702次、9両編成です。
ここから向こう岸に渡る浅瀬を探しますが、浅いところでも10㎝はあります。足の長い元気な方なら飛び越えられるほど、もう少しなのですが断念せざるを得ませんでした。オマケに青空が見えだしていた空がアッという間に黒くなって雨が降ってきました。急いでカメラ用のレインカバーを取り出して装着、リックサックにもレインバックをかけます。傘も取りだしての慌ただしい雨天対応でした。
また、台湾の河川は山から一直線に水が流れる暴れ川です。一瞬にして水かさが増す可能性大です。ここでは小雨でも上流で大雨になっていると、身が危険になります。急いで戻ることにしました。
案の定、既に先ほど渡れた所はもう渡れません。一旦海側に迂回をして戻れました。
遠くに見える皆さんも橋の下方向に雨宿りに向かわれているのが見えました。
▲ 11:23 花蓮発新左營行きの自強號306次、6両編成が行きます。
これを撮り終れてからか、不銹鋼號さんと団長さんは帰路に着かれたようで姿が見えなくなりました。お世話になりましたのにお礼も言えず、お送りできず申し訳ありません。ありがとうございました。
▲ 11:54 苗栗発台東行きの莒光號751次、11両編成が渡ってきました。橋方向に戻ったので、ズームを28㎜にしても最後部が若干切れてしまいました。
お二方は、この列車で台東に向かわれ、乗り換えられながら北上されたようです。
堤防上に戻られておられる準特急さんが見えましたので、私も傘をさしながら向かいました。ここまで来たらまずは安全です。準特急さんは橋の袂にある温泉に避難されていたそうです。
▲ 12:31 小雨が降る中、新左營発樹林行きの自強號229次、DR2800系9両編成がきました。昨日は確か12両編成でした。昨日は日曜日、今日は月曜日です。平日は12両から9両に短く編成を変えているようです。
ボチボチお腹が減ってきました。食堂を探しに行こうと道路へと向かいます。途中で温泉の売店らしき建物が見えましたので何か食べ物はあるだろうと寄ってみました。
▲ 12:37 建物内に入りますと温泉に来られた入浴客のご老人の団体さんがおられます。何か食べ物がないかとお聞きしましたら、カップラーメンを薦めてくださいました。辛くないものと注文していただきました。
食後からの撮影場所ですが、この天候では河原は危険が伴います。また飽きてもきて、これ以上を望めませんので、並行する橋の上からにしました。先ほどの雨雲はいつの間にか消えていました。晴れたり曇ったり、雨まで降ったりの不安定な天候です。
▲ 13:24 最初に来たのは、青色塗装のR123号機牽引の観光列車51次です。昨日と同じ編成でした。
河原より安全な橋と言っても歩道はなく、車がビュンビュンとすぐ側を走って行きますので、安全とは言えません。
欄干にくっ付くようにして歩きながらベストポジションを探します。
13:35 お目当ての普快車の旧型客車3両編成が来ました。
窓ガラスが抜ける所に位置したつもりでしたが、ちょっとずれました。前もって練習しておけば良かったのですが・・・。
ここで、準特急さんは向こう岸方向へと向かわれました。一方の私は全く反対側に戻って金崙站を俯瞰する国道を行きます。
ようやく青空になってきましたので山道に行く前に途中でもう1本を撮影です。
▲ 13:48 台東発新左營行きの莒光號704次が渡り始めました。電源車を入れての9両編成は昨日と同様です。
橋から金崙站を俯瞰できるポイントまでは徒歩20分でした。国道を登ってきたのですが、海側には樹木が生い茂っていて見える場所は1ケ所だけでした。
▲ 14:29 花蓮折返しの観光列車52次が高雄方面へ戻って行きます。
▲ 14:44 新左營発花蓮行きの自強號305次がきました。金崙は通過していきますが、ここで撮れる台東方面行きは、台東へ戻る列車の時刻まではこれ1本のみです。橋を渡ってと、站を通過していく2カットを掲載します。
青い海原と橋もアングルに入って、木々が額縁になってくれる中々のスポットです。旧型客車はここで撮っても良かったかなと思いました。
これで金崙での撮影は終了としました。
▲ 站への戻り道でバス停をお聞きしました。バス停は行動沿いにありました。
時刻表を見ますと、台東からの所用時間は52~62分です。
列車は約40分ですので、時間的には列車が勝っていますね。
左は金崙站の発車時刻表です。
ブラブラとお店を覗いたり、お話をしたりの街角散歩を楽しみながら站に向かいました。
站に着くと、1台のスクーターがやってきて、”ちまき”を売り出しました。
丁度小腹が減ってきましたので、1ついただきました。中々のお味でしたので追加もしました。
列車時刻が近づくと、温泉に行かれていた皆さんの送迎車が次々と站に着いて、たくさん降りてこられました。
そして、皆さんも ”ちまき” を気に入られたようで、次々に買っておられます。いつの間にか人垣ができていました。準特急さんとは金崙站で待ち合わせです。最後まで粘られたのか時刻近くのご到着でした。
② 金崙16:41(莒光號703次)→17:24台東
▲ 16:36 我々の乗車する列車と交換するのは、台東発苗栗行きのR135号機牽引の莒光號754次です。
温泉客の多くはこちらに乗られました。高雄まで帰られるのでしょうね。
16:40 我々の乗車する新左營発台東行き莒光號703次が入線してきました。牽引は、R106号機です。
今日は、曇って雨が降ったり、また晴れたりで撮影泣かせの1日でした。
ただ今までの経験からすると、晴天順光の好条件とは違っての以外と面白い想わぬナイスな写真が撮れたりもします。
悪条件にも関わらず頑張った撮影のご褒美と思っています。
帰ってからの現像処理を楽しみにしました。
そしてご褒美はやはりありました。
残念ながら列車写真ではなく、元旦から撮りたいと願っていた站待合室での晴れ着のショットでした。それが冒頭の写真です。
【よもやま話、民宿での出来事 】
17:48 今日宿泊する民宿に戻って参りました。ロビーリビングはメルヘンチックなインテリアでしたが、部屋に入ると老人には恥ずかしくなるほどです。リボンの騎士?は古いですが、照明や調度品は先ほどお会いしたお嬢さん向きです。可愛らしくピンクで統一されています。
この民宿は先にご予約された、千住のヤスベーさんと同宿にしようと私が予約しましたが、さすが元JTBお勤めだったことはありますね。
部屋の広さが昨日と違って十分です。バスルームも広くて快適そうです。
夕御飯ですが、中心部の繁華街に行こうかと思っていましたが、焼き飯なら作ってあげるよとママさんが申されましたのでお頼みしました。
家庭料理ですが美味しくいただけました。
さて、ここで再会する千住のヤスベーさんですが、まだ着いておられません。どうされたのかなとPCを取り出して携帯電話にメールをしてみました。
すると、既に「台東17:24着」とのメールが入っていました。ヤスベーさんは高雄を出発された時から我々と会うためにと、他にも刻々と現在地を知らせる短信メールを入れておられました。さすがです。そして太麻里にも寄っておられたようで、同じ列車で台東に着かれていました。站前に立ち寄るような所はありません。では、どこに行かれているのでしょうか。
① 18:50、「今、どこにいますか? 私たちは宿泊ホテルで食事中です。」と私たちの状況をお知らせしますと、
▼ 18:53、「ホテルの部屋。台東の部屋番号A1」の返信がきました。
もうチェックインされていたのか、それは知らなかった聞いてもいなかったと2階の部屋を見に行きますが、もう1つの部屋には誰もおられません。これはおかしい。もう1度、
② 19:03、「今どこにいますか。」と送信しますと、
▼ 「フロントの隣の建物で部屋番A1。」との返信。今度は外に出て隣を見ますが部屋はなく、他には誰もチェックインしていないとママさんは申されます。
③ 20:03、「どこのホテル?今私達がいるのはヤスベーさんが予約した台東の花園玫瑰民宿ですよ。間違っていませんか?ホテルのTELは***-******です。TELください。」と、メールを入れました。そして、15分経っても返信はありません。どうなったのだろうと、15分後に
④ 20:23、「どこのホテルですか? ヤスベーさんをホテルが待っています。」と、再送して待っていますと、玄関ドアから「ヤアヤア」と、ヤスベーさん現れました。
ヤスベーさんは説明を始められました。「民宿の所在地は予約したサイトからの地図で確認して入った。チェックイン時にバウチャー(予約書)を渡したが民宿の主人は、それを見て部屋に案内した。普通の宿泊パターンで疑う余地はなかった。まさか違った民宿に来ていたとは思いもしなかった。私の人生で初めての経験です。」と、申されました。
そして間違われた民宿は、我々が昨日泊まった民宿でした。我々海外鉄経験熟練者4人をもってして台東の民宿を見つけるのに、約30分以上を要しました。それも最後は連れて行ってもらいました。一人なら尚更です。元JTB社員をもってしても難しかったのが現実でした。
それにしても一緒でよかったですね。そのままだったら後で違約金問題も発生したでしょう。
その夜は笑い一杯で、一段と楽しいミーティングになりました。
明日は3人一緒で知本で撮影します。朝食の再確認だけはしての就寝となりました。 Part14へ続く