▲ 湖面の海抜が3,059mの茶卡盐湖(チャカ塩湖)。静寂の湖面に映る碧い空と白い雲、これが天空の鏡と称される由縁なのでしょうか。
16:20 青藏鉄路の撮影を終えて、ようやく茶卡盐湖にたどり着きました。
第6日目 8月14日 その2
▲ GPSの計測データです。今日の移動距離は約396キロ、海抜最高地点は3,666.6mと富士山(3,776m)に匹敵する高さでした。西宁で身体を慣らしましたが、空気が薄いのは実感できます。
▲ 地図をご覧の通り、4,000mを越える山々に囲まれた盆地の中にあります。
▲ 青藏鉄路から分岐した国鉄線が茶卡盐湖の積み出し場へと延びています。
▲ 早速、製塩工場へと参りましたが、広い敷地内を見渡してもご覧の通りナロー軌道はどこにもありません。採取された塩は船で輸送され、大型トラックで塩置場まで運ばれています。
▲ 築堤がありましたので上がってみますと撤去された軌道跡がありました。しかし、昨日、今日に撤去されたものではありません。かなりの日数が経っています。
茶卡盐湖ナロー鉄路への訪問は、中国ナローゲージの熱心なファンである一路順風!さんがとても楽しみにされていました。今年1月から現地旅行社の社長さんと何度も連絡を取り合い運行しているのは間違いないと聞かれた上での決行でした。それなのに、こうして現場を見ると走行していたのは遠い過去のようです。愕然とする以外何もありません。一路順風!さんは、心中穏やかではなかったと思います。私も今回は中国の旅行社に泣かされてばかりです。
引率担当者の米海軍さんに文句を言っても始まらないので、気を取り戻して事故で運休中だと言う観光トロッコが走っていた方へ行ってみる事にしました。ひょっとしたら塩輸送のトロッコがあるかもしれません。
▲16:36 観光コース駐車場には自家用車が数10台も止まっています。多くの中国人観光客が訪れているようです。
▲ 見えましたこれが観光トロッコのようです。DLの屋根からジャンプして遊んでいる人もいます。その向こうにもナロー軌道が見えます。
▲ うう~ん、大きな事故で壊れたと言っていましたが、どこが壊れているのでしょうね。そんな感じには見えません。単に機関車が壊れて修理部品がないのが原因のように見えます。そして、肝心の塩輸送のトロッコですが、影も形もありません。もしかしたらの希望を持っていただけにガッカリです。
米海軍さんは、21日頃に走るかもと言っていますが、どこからの情報なのでしょうか。
中国合弁会社で勤務時代によく通訳の中国人部下に、「この仕事の進捗状況は大丈夫か、間違いないか」と、確認をする事が多かったのですが、その都度即座に「没問題、没錯」との返事が返ってきます。
しかしこれは、中国人特有のメンツで、”相手に確認しない独り善がり”の返事であって、日本人が求める相手に再確認した上での回答ではありませんでした。この返答にどれだけ騙されたか数え切れないほどです。
そして勉強したのは、”大丈夫か”と聞く事は、中国人にとっては”私を信用していないのか”と、聞く事でもあります。当然中国人は私を信用しないのかと返答する訳です。また日本語で言う大丈夫かの中国語は存在しないのです。
ではどうするのかと言いますと、別の中国人に調べさす事が必要です。問題ある返事が返って来た時に初めて最初に頼んだ中国人は確かめます。そして自分の調査が間違っていたとしても原因は私ではなく、これは〇〇さんがこう言ったので〇〇さんの責任です。私の責任ではないと言い切ります。自ら責任を負わず、他人に責任転換します。難儀な事ですが、中国で物事を進めようとする場合は必ず複数のチャンネルを持っていないと失敗します。私が得た経験でもありました。
今は道1つ聞くにも最低3人に聞きます。3人同じ返答だったら良いのですが、一人でも違っていれば5人に聞きます。中国人は知らないと言う事を言うのは恥と思っている人が多く、平気で嘘を言います。難儀な事ですが、これは騙そうと悪げがあって言っているのではなく、中国人気質と割り切って付き合うしか方法はありません。
▲ 観光客の皆さんは靴を脱いで遠浅の塩湖ではしゃいでおられます。これが塩湖の楽しみ方なのでしょうね。我々二人はとても無邪気に楽しめる気持ちにはなれませんが・・・。
▲ 走らない線路で塩を売っておられた原住民。
▲ 観光トロッコと、盛況時の写真です。写真はホテルに展示されていました。
▲ 同じくホテルに展示してあった冬のソルトトレイン。
▲ 観光トロッコ線路の横には分岐しての塩輸送線跡がありました。現役最盛期に来たかったですね。ちなみに現地旅行社からのお詫びは一切ありませんでした。日本で同じ事があったらとんでもないニュースとして流れるでしょうね。しかし中国では大したことでない普通の事でした。中国鉄路探索は、中国特有のリスクに耐える戦い、忍耐でもあります。
茶卡盐湖のナロー鉄路の塩輸送の終焉時期ですが、周りにおられた原住民の方々に聞くと4~5年前との返答もありましたが、定かではありません。一体いつになくなったのでしょうね。しかし、確かめても蘇るものではありませんので探求は止めました。
▲ 19:15 夕食ですがすすみません。美味しそうなものもないので適当にすませました。
中国人と付き合う難しさをまた教えられた一日でした。明日はここで求める物は何もありませんので再度、青藏鉄路撮影としました。 Part7 へ続く