中国新聞に福山市市政施行100周年にちなんだ記事が連載されているのですが、ようやく鉄道関連の記事が載りました。
昨年の広島ツアーや先般の三江線ツアーの行き帰りに福塩線や井原鉄道を楽しまれた方もあったかと思います。記事にもあるように神辺・高屋間は すでに福山・府中間で開業していた両備軽便鉄道が大正11年に支線として開業しました。備後の国から備中の国に足を踏み入れてまさに両備となりました。昭和3年2月大日本帝国陸地測量部発行の1/25000地図「神邊」を見てみますと 「りようびこくぶんじ」駅が田んぼの中にあり、「両備輕便鉄道」と記載されています。
両備国分寺駅のすぐ西側には参勤交代の行列も往き来した旧山陽道(西国街道)があります。というより山陽道に沿って鉄道が敷設されたという方が正しいでしょう。駅前の道を北上すると 奈良時代に聖武天皇が全国66ケ所に建立したと言われる国分寺のひとつ「備後国分寺」があります。現在のお寺は江戸時代中期に再建されたものです。大正14年になって井笠鉄道が東から高屋まで伸びてきて両備の高屋線とつながります。昭和2年になると両備の本線である福山・府中間はナローゲージのまま電化され、電気機関車が客車を牽くスタイルに変わります。ところが神辺・高屋間の支線は電化されずにガソリンカーと蒸気機関車のまま残ります。昭和8年になると福山・府中間は改軌のうえ国有化されて福塩(南)線となります。しかし高屋支線は国有化されず取り残されてしまいます。そしてこの取り残された神辺・高屋間は「神高鉄道」となって 約8Kmしかない小さな軽便鉄道が生まれました。新聞記事にある「別の鉄道会社」とはこの神高鉄道のことです。そして昭和15年に神高鉄道は約7年間という短い歴史を閉じて井笠鉄道に吸収され 井笠鉄道神辺支線となるわけです。井笠鉄道になったあとも駅名が「両備国分寺」であったのも面白いですね。その後 時を経て井原鉄道としてよみがえるわけです。現在の地図と見比べてみましょう。
緑色は旧山陽道で現在の国道313号線です。井原鉄道が神高鉄道の跡をそのままトレースしていることがよくわかります。神辺から矢掛方面への旧山陽道沿いは一里塚、常夜灯や宿場町の風情が残り、井原鉄道への観光客集客に大きな力となっています。最後に神辺駅の近景を。神辺駅に進入する井原鉄道のDCです。