新刊の紹介 「上岡直見著 鉄道は誰のものか」 三江線を考えてみる。

 日曜日の新鉄道は誰のものか聞は新刊の書評がいつも載っているのであるが、いつもはざっとしか目を通さないので見落とすことがある。しばらくたってから同じところを目を通すと書評で「鉄道は誰のものか 上岡直見〈著〉」とあり、もう一つの見出しに“「交通は人権」の視点に立つ評論”と書かれてあり書評に目を通すと何やら面白そうなので税込で2,700円で高いが買ってみた。この本は第1章から第7章まであり、各章の表題も興味深いものであった。

集落の中心に駅があるが、ひっそりとした浜原駅前

集落の中心に駅があるが、ひっそりとした浜原駅前

 第1章は「なぜ電車は混むか」である。そして、第5章は「ローカル線が日本を守る」で、著者の上岡直見氏は9月1日にJR西が廃止を表明した三江線の存続問題に関する検討を2016年の2月に依頼された方である。この章のサブタイトル「地域の持続性に必要な鉄道」でローカル線沿線の人口について書かれてある。この本には沿線の人口減から利用者減となって廃止表明となった三江線であるが、この三江線について人口データを検討してみると結果として駅の存在と人口の維持には関連があると書かれてある。西村さんの投稿の「続 三江線廃止 正式表明」にあった新聞記事で三江線廃止で転居を考えている家族がいることが報じてあったが、まだ廃止されていないのにさらなる人口減への事態が動いていることがわかる。代わりにバスが運行されるとしても結局は人口減には歯止めがかからず、石見地域が消滅する可能性が既に現れているということは言い過ぎであろうか。これでは地方創生どころか地方消滅への道が進むような気がする。この章では駅がある時、ない時(551の宣伝みたいや?)を比較すると駅がある場合はかろうじて人口が減少するのがくい止められているとある。駅を中心として生活圏(小さなコンパクトシティ)が形成されていると考えてもよい。バスの停留所と駅の違いがそこにあるのではないかと考える。

 そのバス転換であるが、次のサブタイトル「バス転換は地域消滅への道」で国鉄1次地方交通線線廃止後にバス転換後の乗客数を路線別に変化率を示したグラフ(1985年鉄道運行でバス転換後1987年での乗客変化率)が書かれてあり、それによるとほとんどが乗客が減少している。当然であるがバス転換後に便数や停留所を増加させたのであるが、乗客は減少しているのである。そうなるとバス転換後の三江線沿線がどのような地域になっていくか想像がつくのではないかと思う。

廃線後地域の拠点となるか 石見川本駅

三江線廃線後に地域の拠点となるのか 石見川本駅

 駅とバスの停留所との違いは最近出版されたSB新書「沿線格差」首都圏鉄道路線研究会著で、この本のライターである小川裕夫さんにITmediaビジネスオンライン編集部の土肥義則さんがインタビュー記事の中で興味のあることが書いてあった。それは駅には拠点力があるがバスの停留所にはほとんど拠点力がないということである。駅では人を集めるいろいろな仕掛けが出来るが停留所ではほとんどできない。そこに違いがあるということである。地方のローカル線の駅でも駅舎内にパン屋さんや理髪店、そしてよくあるのがそば屋さんが開店しているところがある。これらは話題になり、遠路はるばる訪ねてくる人もあるようである。バスの停留所ではこんなことはちょっと無理かもしれない。駅とはそうゆうものなのであったのだ。

 この第5章で気になることがもう1つある。JR各社の収益構造のグラフであるが、JR東海は東海道新幹線に収益を大きく依存していることで、実際に新幹線を利用していてもよくわかることである。東海道新幹線がなければ赤字になっているのである。JR西日本は新幹線と在来幹線の収益がちょうど半々である。ただし人口の多い首都圏在来線があるJR東日本と比べると収益規模は小さい。これは当然のことであるが。ところで以外なのがJR西日本のマイナスの部分である。それは幹線でマイナスの部分が大きく、地方交通線でのマイナスの方が小さい。幹線でマイナスとなっているのは山陰線、湖西線、福知山線と書かれている。感覚的には福知山線の三田-大阪間や山陰線の京都-園田間は乗客が多いのでマイナスのような感じがしないのであるが、路線全線で見るとマイナスになるのであろう。全体の赤字額の内、ローカル線の赤字額が大きく寄与していないということであろうか。

 この本にはローカル線のこと以外にも興味深いところがある。サービスについても私たちがちょっと変だと思っていることを指摘されている。たとえば、ある新幹線の駅で改札の内側に看板があって「改札の中にトイレ・待合室・売店はございません。」と書かれてある。この看板は改札の外側にあって初めて意味の看板といえる。他にも2名以上しか買えないお得な切符も利用者にとってはおかしなことである。

 これも乗客サービスに関することだと思うが、新快速が敦賀まで走っているのに敦賀駅ではICOCAで乗車や下車ができない。また同じように大和路線の快速が五条まで運転しているのに和歌山線の高田から和歌山までは利用できない。おかしなことに近鉄吉野線吉野口駅では利用できるが、ICOCAでの相互乗り換えはできない。以前に五新線の写真を撮りに行った時に王寺でICOCAで乗ってしまったので下車の時に駅員さんに精算処理をしてもらった。バスの乗り換えに余裕があったので問題はなかったが、ギリギリの時間であれば困ったであろう。

 リニアのことも言及されている。書かれている内容はリニアよりも在来線の混雑解消などの改良に投資してはどうかというものである。開業したら最速で品川から名古屋まで40分、大阪まで69分となる。中間駅もできるようだがその駅もアクセスの悪いところで必要かどうかよくわからない。多分、リニア中央新幹線秘境駅になるのではと思ってしまう。それはそれで『リニアの秘境駅』として注目されるかもしれないが。それなら、駅は品川、名古屋、大阪の3カ所でいいのではないかと思うのであるが。奈良と京都の駅の誘致合戦があったが、奈良にとっては大阪外環状鉄道株式会社のおおさか東線がいち早く新大阪への開業の方がいいと思う。ところで、リニアはいつ開業できるのだろうか。私は青函トンネルと違ってリニアには開通が「悲願」という感じがしない不思議なプロジェクトだと思う。東海道新幹線が災害で被害の受けた時の代替えルートとは考えにくい。その時はリニアも被害を受けて運行できない可能性が高いと考えるのが当たり前ではなかろうか。生きている間には開業しないと思うのだが・・・

 今回、この本を読んだり、関連の参考記事を読んで考えてみると、三江線の鉄道存続にこだわったのはむしろ沿線の人たちは駅にこだわっているかもしれないと思う。ちょっと言い過ぎかもしれないが、沿線の人たちは次第に人口が減り、限界集落となって、ついには原野に変わってしまうことを望んでいるわけがない。それを少しでもくい止めるには駅があれば、そこを中心として生活が維持できるということを自然と認識しているのではないかろうか。交通手段として鉄道にするかバスにするかそのほかのものにするかは地域の実情によって選択することができると思う。三江線に全線乗車したのであるが、フルセットの鉄道とするのは厳しい状況であることは理解できる。三江線沿線の生活基盤を維持するのに適切な交通手段を選ぶ場合、鉄道の駅機能を持ったものを存続させることができる交通手段が必要あるのではなかろうか。では、交通手段としてはどのようなものが選択できるのであろうか。鉄道趣味的に現実的ではないかもしれないが「簡易軌道」がいいかもかもしれない。また、三江線路盤を舗装してバスで運行することも考えられる。バスは乗り降りがしやすいノンステップバスがよい。拠点駅へはマイクロバスや乗合タクシーで接続すると地域の交通は維持できるかもしれない。地域にあった適切な交通手段を構築できればモデルケースとなるであろう。しかし、残念なのは地元には自ら交通手段考えようとする動きがないし、JR西の立ち位置も西村さんの投稿にあった社長のインタビュー記事内容でよく表していると思う。とにかく、廃線後の三江線沿線がどのようになっていくか廃止後も訪れてみたいと思う。

 とにかく、今の鉄道について考えさせられる本であった。ところで、趣味の対象としている鉄道とはいったい何なのか。なぜ、鉄道が発生したのか。意外と鉄道の歴史はよくわからないところがあるのである。いったい、誰のために鉄道ができたのだろうか。

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