青春18きっぷが最長5日間有効なのに対して、秋の乗り放題パスは2週間の中の連続3日間という制約はあるものの、うまく使えば乗り鉄には有難い切符なので あれこれと計画を立てました。プランの条件としては ①10月10日だけ走る「姫新線80周年記念号」乗車 ②倉吉線鉄道記念館訪問 ③木次鉄道部を訪ねて貸切列車についての情報収集 の3つでした。この旅を実現するには まず①の指定券を確保しなければなりません。1ケ月前の9月10日10:05頃に三原駅のみどりの窓口へ行き簡単に買えるものと思っていたら、「もう売切れです」との思わぬ返事に愕然。キハ47 2両の「みまさかノスタルジー」の座席定員は124名ですが、発売と同時に完売だったようです。イベント列車のことを甘くみていたことを反省しつつ、プランを一部変更することにしました。そこで 三原→岡山(岡山電軌撮影)→津山(機関区訪問と姫新線記念号駅撮り)→鳥取→倉吉(上記②)→木次(上記③)→江津→三次→広島→三原 というルートを2泊3日で回ることにしました。10月10日 ぶんしゅう氏と岡山で合流して 乗り鉄旅が始まりました。今回はその旅のうち 前編として「津山まなびの鉄道館」、後編として「倉吉線跡探訪」をご紹介します。まずは津山での約2時間の途中下車で訪問した「津山まなびの鉄道館」です。
体育の日で かつ好天に恵まれて子供連れも多くとてもにぎわっています。ターンテーブルにはDE501が乗っています。DE501は当初稲沢区に配置されて中央西線で試用されたあと、岡山機関区に移って伯備線でDD51と共通運用で活躍する筈が 故障のため休車となり岡山機関区、岡山気動車区で長く留置されていました。新幹線の車内から留置線の奥にいる姿をよく見ていましたが、撮影したことはなく、ようやく津山でしっかり写せました。ただ下路式のターンテーブル上なので、下回りが隠れているのが残念です。岡山時代は色あせていた塗装も新車並みにきれいです。
扇形庫は15線あります。保存車両は13両あり 空いている線は残り2線なのですが、そのうち1線には牽引車の「アント」が留置されているので、実質の空き線は1線だけです。保存車両13両については 同館のパンフレットをご覧下さい。
保存車13両の中には貨車移動機も含まれ、また津山の地に縁のある車両はキハ28、キハ58ぐらいで寄せ集めの感じも否めません。富山から来たDD16304は前後に除雪ユニットを付けると長すぎて納まらず、除雪ユニットは片側だけとしてなお 庫の奥にはみ出しています。
ターンテーブルと扇形庫の他にいくつかの展示室があり 岡山の鉄道の歴史、信号システムのしくみなどが小中学生にも分りやすいようにパネル展示されているところが「まなびの鉄道館」という名の由来でもあるのでしょう。
これらの展示館だけではなく すぐ横に休む現役のディーゼルカーの姿も楽しむことができます。元津山機関区の留置線は岡山気動車区津山派出所ということで中国山地で活躍する多くのキハ40、キハ47、キハ120が休んでいます。
そろそろ「姫新線開業80周年記念号」が津山に到着する時刻が近づいてきたので、津山駅に戻ることにしました。この記念号は新見から姫新線を津山経由美作江見まで走り、折り返して津山からは津山線経由岡山まで走る特別列車です。途中中国勝山では街歩き、津山ではまなびの鉄道館見学などの記念イベントが行われることになっています。そんなイベントと抱き合わせの記念列車のため、新見から岡山まで全区間を乗るのが条件となっていて 途中乗車下車は認めないという拘束列車なのです。私は当初新見・津山間だけ乗ろうと思っていたのですが、途中下車はダメということで岡山支社と電話で交渉の結果、全区間分の料金を払えば例外的に途中下車を認めますとの言質を得て指定券を買いに行ったのですが 買えなかったのは前述のとおりです。全区間分の負担といっても こちらは乗り放題パスなので 当たり前に指定券代だけを支払えば腹は痛まないわけです。そんな因縁のある列車が津山駅に到着しました。乗客はぞろぞろとまなびの鉄道館に向かい、旧塗装に塗られたキハ471036+キハ4747は約1時間の停車です。この2両は普段「みまさかノスタルジー」という愛称で休日に津山線などを走っていますので また他線区で撮影する機会もあるでしょう。
さて 智頭急行の開通に伴って因美線の津山・智頭間は閑散線区となりこの区間を乗るのは大変難しくなりました。以前は陰陽連絡の一翼を担い、準急、急行も走っていましたが 今は日に数往復だけです。この区間乗車も今回の旅の目的のひとつです。
このキハ120で美作の国から因幡の国に入り、智頭と鳥取で乗り換えて宿泊地の倉吉に向かうのが1日目の行程です。では後編で倉吉線跡訪問をご紹介することにします。