留萠鉄道 幌新駅
北海道ならどこにでもありそうな駅にも、クローバー会の皆さんの思い出が詰まっていること、前出の「恵比島」でも痛感しました。調子に乗って、もうひとつ駅を紹介します。恵比島から分岐していた留萠鉄道は、前記のように昭和44年に休止されましたが、目玉は、終点・昭和駅の奥にあった明治鉱業昭和炭鉱で働いていたクラウス社製のBタンク機15・17号機でした。
炭鉱閉山後の同機2両は、直後に開催の大阪万博でも展示されたあとは、流転の歴史で、各地へ転売・転属を繰り返しましたが、15号機は、留萌鉄道の中間駅でもあった幌新駅近くの温泉施設の公園に安住の地を見つけて、大事に保存されています。
▲昭和炭鉱のクラウス17号機、この可愛らしい姿を見るのが、留萠鉄道乗車の目的だった。この17号機は、栃木県那須烏山市にある那珂川清流鉄道保存会で保存公開されている。
恵比島駅に降り立ったのは14時過ぎ、つぎの列車までには3時間近くあり、前出の“明日萌駅”見学も含めて十分な時間がある。恵比島から、クラウス15号機が保存されている幌新とは約5キロ離れているが、幌新には温泉施設があって、過疎地には珍しく、町営バスも走っている。“うまく行けば”と恵比島駅前にポツンと立っていたバス標識を見ると、残念!少し前に出たばかりだ。
こうなったら歩くしか手段がない…と思っているところへ、巡回中のパトカーが駅前に停まった。若い警官に道を尋ねと、幌新へは一本道で分かりやすいと言う。警官も以前にウォーキング大会で実際に歩いたことがあり、列車待ちの間に何とか往復できると勧めてくれた。では出発!と思い始めた瞬間、警官が最後に放った言葉にたじろいだ。
“熊が出没する”と言うのだ。とくに冬眠前の時期は多く、つい2、3日前にも近くの川沿いで目撃情報があったとのこと。この言葉で、すっかり意気消沈、すごすごと駅へ引き上げた瞬間、また新たな展開が…。パトカーのつぎに現れたのは、京都ナンバーのプリウス、クルマの主は、詳しい個人情報は差し控えるが、何と若い女性で、一人で北海道の鉄道名所を巡っていると言う。即座にGOとなり、難なくクラウス機が保存されている幌新へ到着することができたのだった。
▲恵比島駅前に停まる北海道警パトカー、背後の二階建ても、朝ドラ「すずらん」のロケでは、旅館の設定で撮影に使われた。余談だが、私は旅行すると、その地のパトカーを、背景も入れて撮影することにしている。府県名の表示がいい記念になり、今まで約三分の二の都道府県警察のパトカーを撮影できた。▲留萠鉄道幌新駅付近の今昔。上はまだ石炭輸送を行っていた昭和43年、駅長がホームでタブレットを携えるなか、通過して行くDD20の牽く貨物列車、幌新は、上下に千鳥式のホームがある長い構内を持っていた。下は、現在の幌新の様子、ただし、幌新駅跡とは少し距離が離れていて、同一地点ではない。線路も公園の施設として新たに敷かれたもので、左手にはダミーの駅名標もある。そして線路の先の建屋に見えるのが待望のクラウス15号機だった。
▲明治22年製造のドイツ・クラウス社製Bタンクで、九州鉄道が輸入ののち、国有化されて形式10形となった。大正14年には東横電鉄の建設用にも使われたのち、明治鉱業昭和炭鉱で入換用として使用された(車籍は留萌鉄道)、閉山後は各地を転々としたが、最終的には、地元沼田町の町文化財として、ここ「ほろしん温泉ほたる館」に付属する公園内で保存されることになった。
▲幌新駅にはかつて使われていた雑形木造客車が放置されていた。左はホハニ201、国鉄からホハ2213を譲り受けホハフ201に、のち半室を荷物室・緩急室として、ホハニ201となった。右はホハフ2854、国鉄時代も同番号で、“明治41年大宮工場”の銘板が残っていた。
総本家青信号特派員様
京都のうら若き女性の鉄ちゃんにプリウスに乗せてもらって羨ましき限りです。実は私も先日、IGRいわて銀河鉄道を走る583系を撮った後、岩手川口駅までの徒歩の道に迷ってしまい車を停めて運転していた人に正しい道を聞きました。この方はこれから仕事であるということでいわて沼宮内駅まで乗せてくれました。ガソリン代+運転技術料を申し出た所困った時はお互い様ということでした。丁重に御礼申し上げましたがこの方は97歳の老人のところに行く途中の介護ヘルパーさんでした。私の所も週3回ヘルパーに世話になっておりある種の親近感を感じましたがこのことがあって「いわて」という地域や人が好きなってしまいました。さて、明治鉱業のクラウスですが、当時はD61と神居古潭を優先したため終に見ることなく終わりました。恵比島に停車していた留萌鉄道のキハを撮っただけです。専門必須科目を落とした気分です。
準特急さま
いつもコメント、ありがとうございます。つくづく“鉄女”の凄さを思い知りました。生まれを聞くと、準特急さんが最近、著名な本に載せられた、長編成列車を撮られた九州のある分岐駅近くと分かり、車中で話が弾んだものでした。過去、若い頃は、よくヒッチハイクをしたものですが、この世の中では、ずっと遠慮していました。思わぬところで実現したものです。さて明治鉱のクラウスが健在だった時代、北海道の私鉄・専用線には多くの蒸機が残っていましたが、クラウスだけは特別の思いで訪れました。当時ですら、最古の現役機でしたが、美しく整備され大事に使われている様子を見て、何本も列車を乗り継いで訪れた地で感慨深いものを感じました。
いやさすが?総本家さまです。怖い熊の代りに若い女性とはなんと運の良いことか。おそらくクラウス機への熱い想いが天に通じたのでしょう。旅にハプニングはつきものですが、こんな良い方のは滅多に無く、たいていは運休で予定が狂うとかいう類の悪いものです。
一人旅では熊は怖いですね。小生は怪しい場所ではクマ避けの鈴を鳴らしますが、時々恐怖心のあまり足が前に出なくなることがあります。特に見通しが効かない山道などは要注意です。たとえ短距離でも突破するには相当の勇気を奮い立たせる必要がありますし、呪文を唱える如く大声で叫んだり鈴を鳴らしたりと、時間も手間もかかります。新得の狩勝峠山裾にある増田山では「熊出没注意!」の看板と、大自然の中にポツンと放り出されたような怖さとから、迎えのタクシーが来るまでジッとしておれなかったこともありました。写真を撮っていて熊に襲われた、では絵になりませんからね。
1900生さま
いつも暖かいコメント、ありがとうございます。はい、日頃の行いが良かったのでしょう、熊には出会わず、若い女性に出会って、クラウス機に再会できました。クラウス機特有の下膨れの気品ある姿を堪能しました。1900生さまは、熊も逃げ出すような戦闘的な撮影旅行をされておられる様子は、よく聞かせてもらっています。新得の狩勝峠近くは、ぶしゅうさんとクルマで行ったこともあります。ただ、走り回っても俯瞰できるような場所が見当たらず、陽も傾き始めて、薄気味悪くなり、1枚も撮らずに、這う這うの体で逃げ出したことがありました。二人でも不安になりますから、ましてお一人で行かれた時は、不安を通り越して、恐怖を感じられたことと思います。