本日、大幹部のF田さんからの命令で泣き叫ぶ孫を放り投げて写真展の警備員に馳せ参じてきました。素晴らしい会場と、素晴らしい作品の数々は置いといて、入り口の絵に見入りました。著作権の関係で画はご覧に入れられませんが、鉄道画の重鎮・黒岩保美氏の作品が二点掛けてあります。一点はC54が京都駅山陰線ホームを出発するところ、もう一点は京都駅の東方にあった梅小路機関区の東駐泊所の絵です。昭和30年頃の京都駅ということで、夕日を背景に転車台に乗るC51が黒煙を上げているものです。後には当時あった貯炭庫が描かれ、さらに遠くには市電の八条変電所がうっすら見えています。
この場面の写真を持っているで!とつぶやいたのを後で聞き耳を立てていた大幹部の福Dさんが聞きつけて「今日帰ったらすぐにアップしろ!」と厳命されたので特注編としてお目を汚します。
東駐泊所に関しては少し説明しておきます。東海道線がまだ蒸機であった頃、梅小路機関区との往復が手間なため、高倉陸橋の南詰めに転車台と留置線を置いて蒸気機関車を駐泊させていました。東海道線が電化しても山陰線用や奈良線用に利用していたと思います。新幹線が開通する頃、転車台は撤去されスレート造りの電機用車庫が出来ましたが今はありません。
新幹線の出来るずっと前、昭和36年(1961年)2月の写真です。貯炭庫はすでにないようです。
米手さま
「こんなモンありまっせ」の火付け役、米手さんから、貴重な写真をアップしていただき、ありがとうございます。写真展会場で、黒岩さんの絵を見て、「これと同じ写真撮ってるでぇ~」と聞き、それなら、と無理をお願いしたところ、数時間後のアップ、その早業に驚きました。私も東駐泊所はよく見ていましたが、その数年前のシーンで、私にとってはたいへん貴重な「こんなモン」に映ります。昭和36年と言えば、米手さんは高校2年生でしょうか。さすが、東海道線は自分の家の庭みたいなものと豪語されるだけのことはあります。
それぞれじっくり拝見しました。1枚目は、まさしく黒岩さんと同じ位置で、C51の位置が違うだけです。パイプ煙突ですが、形式入りの美しいC51です。左手背後の変電所も、まさに黒岩さんと同じ位置です。2枚目も驚きです。この流改C5520は、配置表を見ると、豊岡区の所属なのですね。福知山のC55なら分かるのですが、豊岡から通しの運用があったのでしょうか。この位置ですと、流改の面影がよくわかります。背後もいいです。
4枚目の電機の並んだ光景は、私もよく記憶しています。茶系のEF61もいいです。ヨロイ戸がズラリと並んだ同機は、私のいちばん好きな電機でした。
米手さんは、昨日の会場で、「ワシはデジ青のレベルを下げて、みんなが投稿しやすくしてるんや」とのお言葉、痛く感じ入りました。「こんなモン」でも、時代が経れば、貴重な時代の表現者になることの証しです。写真の持つ魅力です。
総本家青信号特派員さんと同感で米手作市さんはデジ青のレベルを下げているのではなく皆さんが少しでも投稿する気になるように日夜創意工夫されているように思います。「こんなモン」、「よっしゃわしも出したるわ」の雰囲気づくりの功労者です。
準特急さま
今の今まで、米手さん、さらに山科・須磨の人間国宝、乙訓老人と三大長老も参加して、写真展成功の祝杯を上げていました。そうですね、米手さんは雰囲気づくりの功労者です。こうなったら、大阪通信員さんではないですが、“オロナイン軟膏3個!”ですね。
オロナイン軟膏は西条梵児じゃなかったですか。ダイラケでしたっけ。皆さんお揃いでよかったですね。明日早朝そちらに向かいますが会場の末席入りは明後日です。
少々、誤解かベンチャラが入っていますので訂正いたします。
私が言いましたのは「ワシがデジ青のレベルを下げて・・・」ではなく、「ワシが投稿すればデジ青のレベルが否応なしに下がってみんなが投稿しやすくなるやろ」と言ったのです。その証拠にその時私のほほを悔し涙がツツーッと流れていました。大津の86氏とどですかでん氏と木次線のスイッチバックを乗っていない会長さんが証人です。ご確認を!
「こんなもん」シリーズ、素晴らしい企画ですね。本会の底力の凄さを再認識しています。何が「レベルを下げて」ですか?ヨー仰いますワ。!
その席で米手様に「私も心を入れ変えて、木次線再チャレンジしたいです。」と申し上げたときの米手様の慈愛溢れる眼差しは忘れられません。
ほほを伝う涙!?そんなんあったかなぁー?!
天野館へ又ご一緒出来たら嬉しいです。 スイッチバックに乗れ なかった者より
改心して今一度スイッチバックの保存に尽力してくれるのなら、喜んで同行させて頂きます。あのご住職ともゆっくりお話をしたいものです。
証人としてご指名頂きましたので証言させて頂きます。
米手作市さまから始まった「こんなもんあるで」シリーズ、確かに投稿のハードルが低くなったような気がして、昔のハーフサイズのネガでもデジタル化してみようかとの気になりました。当時何気なく撮った駅撮りでも現在では周囲の風景が全く変わって、貴重な歴史資料となることもあります。その意味でもこれらの写真に光を当てていただいた企画に感謝いたします。それにしても続々出てくるお宝映像、クローバー会の層の厚さにはいつも感心させられます。
ところで米手作市さまのほほを流れる悔し涙は、米手作市さまのお言葉に私の方が感涙していたため、残念ながら確認できませんでした。以上証言いたします。