本年も広島から中国地方の話題をお届けしたいと思います。現場に出向かず、在宅取材の横着特派員ですが、よろしくお願い致します。今年最初の話題は鳥取からです。
20Km弱の若桜鉄道ですが、終点若桜駅にC12167とDD167の動態保存機があり、C12はエアロコとして体験運転もできます。途中の隼駅はバイクの聖地になっていたり、様々な工夫を凝らして集客に努めておられます。かつて国鉄若桜線の頃には混合列車もあって倉吉線とともにローカル色豊かな路線でした。3セク化される際に合理化の名のもとに全線1閉塞にされたのでしょう、現在は途中に交換設備がありません。大半の列車がJR因美線に乗り入れて鳥取まで直通するのは便利な一方で、鳥取まで足を延ばしていると 1閉塞のため列車間隔が間延びしてしまうという欠点もあったわけです。途中に交換駅ができることで、ダイヤ設定の自由度は向上し、増便が図られることでしょう。それにしても交換設備1ケ所を作るのに2億円かかるとは驚きましたが、多分土木工事ではなく信号保安設備の方が大変なのでしょう。ナントカ学園のゴミを処分することを考えればお釣りがくるのですが・・・。現在の保有車両は4両ですので予備車のことも考えれば増便と言ってもそう簡単でもなさそうです。乗務員の増員も必要かもしれません。完成はまだ1年以上先ですが、新車投入は無理としてもどこかから中古車を譲り受けてでも増車し、がんばってほしいものです。JR西さん、三江線で余剰になるキハ120を1両格安で譲ってはいかがですか。
西村さま
交換設備の新設ですか。確かに珍しいですが希望のある話題ですね。思いついて過去にはどこかの駅に交換設備があったのではないかと古い時刻表を調べてみました。敷設当初はあったかもしれませんが、少なくとも36.10改正以降は全線一閉塞ですね。国鉄時代には因美線の列車との接続と郡家~鳥取間のダイヤ調整などからでしょうが、郡家で半時間ほど停車する列車もあり、その当時からダイヤ調製には苦労していたようです。
交換設備の増設(実は復活)で思い出すのはシュプール号全盛期の大糸線(JR西区間)です。運行開始当初の交換設備は糸魚川~南小谷間には従前からの根知と平岩しかなく、定期レを運休してそのスジを普通扱いとしたシュプール号を走らせたりしていましたが、そのうちスキー宿は取れてもシュプール号が満席という事態になり、ついに列車増発のために北小谷駅の設備を復活しました(但し線路のみでホームの復活は無し。シュプールを運転停車として反対レと交換)。さらに早朝南小谷着のシュプールを留置きするため、中土駅の側線を復活(但し本線とは南小谷側でしか接続しない行き止まり。つまり南小谷からの回送レを夜まで留置するためだけのもの)するなど、地形や線形の制約があったにせよ、まるで
模型の線路を増やすような面白いことをやっていました。余談ながら途中から座席車だけでなく寝台車も要るということで20系客車も入りましたが、糸魚川では寝台整備が出来ず遠路はるばる金沢の基地まで回送してまた南小谷まで戻すという運行を行っていました。
1900生様
本年も素早いコメントをありがとうございます。すでにDE10にはなっていましたが、貴殿と確か米手さんも一緒だったかもしれませんが、倉吉から若桜線を回ったことはなかったですか?そのときDE10が牽く混321レの貨車を丹比駅で切り離して入換するシーンを写真に残しています。多分丹比駅は交換できたのではと思います。大糸線の話は初めて知りました。当時も採算は考えてはいたでしょうが、でもなんとか工夫しようという前向きさ、真面目さがあった気がします。最近は効率一辺倒、手順書なしでは臨機応変の対応もできない危うさを感じてしまいます。この1年も相変わりませずよろしくお願い致します。
西村さま
丹比駅の貨車切り離しは全く記憶にありませんが、仰るとおりあとお一方の米手さまと3人で夜行だいせんのナハ20い揺られて倉吉線へ行きました。復路に若桜線を往復、その後因美・津山線で岡山からキハ82系のかもめで帰京しました。
貨車切り離しを覚えていないのは、夜行と真夏の炎天下での行動でウトウト居眠っていたのかもしれません。また以前にも当欄で話題になりましたが、郡家で乗り換えたキハ20のエンジンから冷却水(湯)が漏れ、那岐手前からの上り勾配でストップして、米手さんが火事になるぞと叫んだため、他の乗客も巻き込んで逃げ惑うパニックになりましたね。那岐に停車して駅員がホースで水をぶっかけたのには驚きましたが、その後は何事もなく無事岡山に着いてホッとしました。やはりDMH17エンジンは頑丈でした。
また適当にチャチャを入れさせていただきたいと思いますので、こちらこそよろしくお願い申し上げます。
誤解の無いように訂正いたします。
因美線の上り勾配でラジエターから水が流れ出しているのは目視して確認していましたが、オーバーフローだと思っていました。そのうちに流出は止まったのですが明らかに出力が落ちて、やがてきな臭い匂いがが流れてきてエンジンが止まってしまいました。この頃には煙も車内に漂い始めたので「これはエンジンが爆発するかもね、いや絶対する!」と独り言を言ったのです。決して叫んだりしていません。滑舌よく、やや大きめの声で言ったため、近隣の席で煙と匂いに気付いていた人たちがあわてて隣の車両に”勝手に”移ったのが真相です。私をテロリストのように言わないでください!