近くの老舗のご主人(商学部卒)が仲間だと最近知りました。
来年にある親鸞聖人750回忌に関して650回忌の時に作られたという梅小路仮駅についての資料を見せてほしいとのご依頼が当会にあったらしく、玉座から私に訪問してご説明せよと命令を受けました。
その方から「戦前にあった“鉄道”という雑誌を見たいのだが古本屋でも売っていない。だれか持っている人はいないか?見せてほしい」とのご依頼がありました。「我が会は何でも持っている人がいます。一度調べてみましょう」といって帰ってきました。
どなたか「鉄道」という雑誌をお持ちの方はいませんか?見せてくれる方はいませんか?お尋ねします。
雑誌「鉄道」は、鉄道ファン向けの最初の月刊雑誌です。今では持っている人は少ないでしょうし、その後に出た「鉄道趣味」の方が有名です。かなり続いたのですが、末期は欠号が出ても、第何号という通し番号はそのままで刊行されたので、全部で何冊刊行されたのかは判然としません。大阪の交通科学館図書館に、故渡辺寿男氏(前山陽電鉄社長)が個人で合本製本されたものを寄贈されており、閲覧が可能です(但しコピーはさせてくれません)。全部は揃っていませんが、かような文献類は、現在ではネット検索が可能ですから、是非見たいという方は、最小限度の努力をなさるべきでしょう。
梅小路仮駅ですが、「鉄道旅行地図帳」によりますと、明治44年2月25日に「東海道線に梅小路仮駅設置」とあります。明治44年は、650回忌の1911年に当たりますから、これが参拝客用に設置された仮駅なのでしょうか。まだ、梅小路に機関区も貨物駅もなかった時代です。
場所は距離程からすると、大宮通の西側辺りにあったようですが、同年の5月5日には移転のうえ、名称も「梅小路連絡所」となっています。したがって、客扱いしたのは、この間の70日ほどだったのでしょうか。これ以上のことは、資料からは読み取れませんでした。
湯口様、
ご教示、ありがとうございます。私自身「鉄道」と「鉄道趣味」の区別がわかりませんでした。この部分をプリントしてご本人にお見せします。
特派員様、
この仮駅についてはほぼ特定しています。ただ正確な位置と大宮駅との時系列がよくわかりません。長老様から何か情報をいただけそうですから見せてもらいます。
沖中は「お西」であります。ところが京都へ出た3人の内、第1号は戦後、アメリカ文化にかぶれ同志社教会所属となりました。その子、造反した乙訓は「知恩院」さん配下に埋葬されるらしいです。従ってこの話題は宗教が汽車の臨時停留場を作ったか作らせたか知りませんが、野次馬根性で興味を引きました。特派員の文に付け加えるならば、京都鉄道の京都仮駅の位置になると思われます。米手昨市氏より近々その位置が示されると思います。