無事に台湾紀行を終えて先日帰国出来ました。詳細は長崎の旅の紀行記投稿が終えてからご報告させていただきますのでよろしくお願い申し上げます。
第2日目 8月28日(火) その2
9:58 暑くなってきました。一旦ホテルに戻ってコンデジ1台を持って赤迫までロケハンです。長崎駅前からは空調の効いた超低床車3002号に乗車しました。
▲ 10:01 片側3車線の広い浦上街道の中央を走ります。宝町を過ぎたあたりで1系統1500形1507号と続行する3系統超低床車3003号とすれ違いました。
▲ 10:08 大学病院を過ぎた浜口町交差点で併用軌道から大きく左に離れてJR長崎本線沿いの専用軌道に入りました。架線はセンターポールから一般的な直接吊架式に替わっています。今は高架線になってしまっていますが、かつては長崎本線を走行する蒸気機関車牽引の列車との並走シーンが見られたそうです。
松山町ですれ違ったのは1200形を間接制御化した1200A形1204号です。1982年(昭和57年)にアルナ車両で製造されて1202~1205の4両が在籍、1201は非改造で運用されています。
▲ 10:10 大橋~浦上車庫前の埔 川鉄橋ですれ違う超低床車5002号、アルナ車両製の最新トラムです。
▲ 10:17 岩谷橋手前で再び片側3車線から2車線になった浦上街道と合流、併用軌道を北上します。架線はセンターポール化されておらず終点の赤迫まで直接吊架式が続きました。1972年に開通した、長崎本線の新線(市布経由)は若葉町手前で分岐してこの地下の長崎トンネルに入っています。
千歳町では951年(昭和26年)に日立製の211形212号とすれ違いです。6両が在籍します。
10:25日 終点の赤迫に到着、長崎駅前からの乗車距離は5.1㌔、所要時間27分、平均速度は11.3km/hと併用軌道での渋滞もなく、専用軌道がある割には意外と早くはありませんが、スムーズに走っていたのでノロいと言ったストレスは感じませんでした。途中17電停、平均電停間は300mですのでかなり短い、これが影響したのでしょうね。
▲ 赤迫電停の時刻表です。朝のラッシュ時には1、3系統とも15本と合計30本が2分間隔で運行されていて、山手線を上回ります。加えて延着することも少ないので待たずに乗れて正確とあれば利用者から一番使いやすく身近な存在として信頼されているのもうなづけます。
▲ 10:26 乗降が終わると直ぐに3002号は折り返し発車していきました。この超低床車の3000形(全長15.1m)、5000形(16.3m)の3編成が入線しても余裕のあるホーム長53mは長崎市電で最も長いホームです。
長崎市では発展が進む六地蔵から滑石地区までの北部延伸を検討していましたが平成22年に断念、都市伝説になってしまったそうです。複線では6.5m、単線でも3.5mの空間が必要で、現在のR206号線(片側2車線)、R33号線(片側1車線)の拡幅が必要となるが用地買収費用が莫大、マンションも建ってしまって難しくなったのが理由だそうです。鉄ちゃん的には長崎本線旧線が並行して走っていますので複線で3線化するの方法ではなかったかと思ったりしますが・・。
▲ 10:43 しばらく歩いて撮り鉄することにしました。次の電停「住吉」は1959年(昭和25年)開業から10年間終点でした。。開業当時は田畑が広がるあぜ道や小川を埋め立てて市電の延伸敷設工事が行われました。市電開業後は市場や商店街が形成されて長崎市北部の繁華街として発展しました。道路の両側にはアーケード街が続きます。
▲ 10:57 再びアーケード通りに戻って千歳町です。
▲ 発車して来たのは1993~1997年に7両製造されたアルナ車両製の1500形1504号。
Part4へ続く