第2日目 8月28日(火) その5
▲ 14:45 一旦駅前のホテルに戻って小休止、約1時間4半ほどのお昼寝してからの撮影再開です。カメラは夕刻に備えてコンデジからデジタル一眼レフのNikonD500に替えました。レンズはAPSサイズの18~200㎜とフルサイズの24~70㎜F2.8を持って出かけることにしました。フルサイズの24~70㎜サイズはAPSサイズのカメラですと36~105㎜と路面電車を撮るにはピッタリでいつも愛用しています。カメラもISO51200までの感度も持っていますので夕闇でも高速シャッターをきれます。
▲ 長崎駅前からは1系統崇福寺方向と3系統蛍茶屋方向に分岐します。こちらは崇福寺から来た3系統の1989年(昭和64年)アルナ車両で車体新製の機器更新車の1300形1305号です。▲ 14:47 3系統蛍茶屋から来た200形201号。
▲ 14:48 崇福寺へ向かう3系統の360形367号が入線してきました。
▲ 14:50 続いて崇福寺へ向かう1系統1300形1301号が入線してきました。
一日平均7,300人(2015年現在)が乗降する長崎駅前電停です。ラッシュ時にはホームにお客が溢れる事もあるそうです。その対策のためにJR長崎駅リニューアルと合わせてもう一本ホームを増設する計画があるそうです。長崎新幹線が延伸開業される頃には様変わりしていると思います。楽しみですね。
▲ JR長崎駅のリニューアル後の姿です。現在は1階の地上駅ですが高架駅となって新幹線2ホーム、在来線2ホームになります。まだ工事が本格的に始まっていませんので地上駅での姿を見たい方は急いで行かれた方が良いかと思います。
※ 完成予想図はいずれも長崎市発表の転載です。
長崎駅周辺リニューアルについてはこちらに記事があります。
長崎と言えば江戸時代鎖国を解放した「出島」です。40数年前にも行った気がしますが記憶が定かでありません。1系統崇福寺に乗車して行くことにしました。
▲ 14:56 片側3車線の広い出島海岸通りを走って出島に到着。かつては海だった所は埋め立てられて市電が走っています。曲がってくるのは1300形1301号です。
▲ 約2時間余りゆっくりと出島を中心とした幕末の歴史勉強に励みました。
▲ 17:03 出島~新地中華街の狭い出島通りの併用軌道をを走行する1300形1303号です。左の石垣は出島です。
▲ 17:08 近くに「出島ワープ」なるベイサイトがありますので夕食を食べる下見に行って見ました。
▲ ここはかつて日華連絡船(上海航路)の接続駅長崎港駅があった場所です。開業は1930年(昭和5年)3月19日、連絡船入港時に門司港駅からの航路連絡のための列車(ボート・トレイン)が走り出しました。上海までの所要時間は片道26時間、1942年(昭和17年)11月に関門トンネルが開通したことに伴うダイヤ改正で特急「富士」が航路運航日に限り長崎駅から延長運転されていました。
※ 地図は「今昔マップ on the web」より作成
▼ 昭和17年の復刻版時刻表を見てみますと・・▲ 長崎本線上下の1942年(昭和17年)11月からの時刻表です。日華連絡船の1927年(昭和2年)の運航は4日間隔で往路は9:00発、復路は12:00着でした。東京からは長崎行きの普通35列車と門司港発の普通301列車が接続していました。東京からですと何と40時間19分と車中2泊の旅です。特急「富士」利用だと23時間30分です。金銭的に余裕のある方は長崎で一泊されてから乗船されたのでしょうね。また神戸港からも前日の11:00に出航するようになっていましたので船の旅にされた方も多かったと思われます。
下りは特急「富士」と門司港行きの普通344列車が確かに接続していますこちらは運行日の注意書きがありませんので毎日運行されていたのかも。遅れる事も考慮しての3時間30分待ちですが、船便の神戸港行きは17:00発でしたので乗車される方は結構おれたでしょうね。訪中では何度も2泊3日の車中旅を経験していますので慣れてはいます。当時の上海への船・列車の旅もやってみたかったですね。
長崎~上海への乗船時間は27時間、船賃は8,000円前後なので行ってみてもいいかなと考えましたが調べると現在、長崎~上海便は休業中でした。
▲ 17:16 出島海岸通に設置された出島を発車した360形363号です。後方が復元された出島の建物です。
▲ 17:22 出島~新地中華街 道路併用軌道と言っても車はタクシー以外は入っては来ません。公共機関優先の意識が長崎市民にあるのかと思います。
▲ 17:28 大きく右折して出島電停に入線してきます、201号です。
▲ 17:28 大波止~出島 中島川道路併用橋を渡ってくる1500形1501です。
一区間ですが新地中華街へ乗車しての移動です。
▲ 17:33 新地中華街~西浜町 1951年(昭和26年)に日立で製造された211形212号。6両が在籍します。架線は今までのセンターポール式から直接吊架式に替わりました。
▲ 17:36 ズームアップでとらえた西浜町、1500形1505号。ここで1系統は右折して崇福寺に向かいます。
▲ 左は5系統蛍茶屋行きの370形377号、左へ曲がっていきます。右は崇福寺から到着した1200形1203号。
▲ 17:33 新地中華街~西浜町 211形212号と1200形1203号です。続行するのは車体色は違っていますが同形1205号です。 Part7へ続く