筑肥線にりんかい線の車両が導入されるとの情報をキャッチしました。103系が置き換えられる見込みです。https://www.nishinippon.co.jp/item/1360805/
そういえば、ちょうど先週に加古川線の103系に会ってきました。この車両も残すは加古川線、播但線、筑肥線・唐津線のみとなり、乗るなら今のうちかと思います。
【加古川線】
*主に加古川~西脇市で運用されている。
加古川 かこがわ(山陽本線(JR神戸線)、加古川線)
兵庫県加古川市加古川町篠原町30-1
A79 1888年(明治21年)12月23日開業
日岡 ひおか(加古川線)
兵庫県加古川市加古川町大野1185
1913年(大正2年)4月1日開業
神野 かんの(加古川線)
兵庫県加古川市神野町西条623
1913年(大正2年)4月1日開業
厄神 やくじん(加古川線)
兵庫県加古川市上荘町国包703-2
1913年(大正2年)4月1日開業
市場 いちば(加古川線)
兵庫県小野市黍田町字屋田635
1913年(大正2年)8月10日開業
小野町 おのまち(加古川線)
兵庫県小野市下来住町字中前962
1913年(大正2年)8月10日開業
駅名喫茶店(第60回:大調査!「町(まち)」、「町(ちょう)」、多いのはどっち?)
粟生 あお(加古川線/神戸電鉄粟生線/北条鉄道)
兵庫県小野市粟生町
/KB59/ 1913年(大正2年)8月10日開業
神戸電鉄:1952年(昭和27年)4月10日開業
駅名喫茶店(第131回:短い駅名(読み仮名が2字以下の駅名))
河合西 かわいにし(加古川線)
兵庫県小野市新部町字久保田645
1913年(大正2年)8月10日開業
青野ケ原 あおのがはら(加古川線)
兵庫県小野市復井町字十郎260
1913年(大正2年)8月10日開業
社町 やしろちょう(加古川線)
兵庫県加東市河高大谷口2460
1913年(大正2年)8月10日開業
滝野 たきの(加古川線)
兵庫県加東市上滝野宮前887
1913年(大正2年)9月1日開業
滝 たき(加古川線)
兵庫県加東市上滝野187
1913年(大正2年)8月10日開業
西脇市 にしわきし(加古川線)
兵庫県西脇市野村町962
1913年(大正2年)10月22日開業
新西脇 しんにしわき(加古川線)
兵庫県西脇市和布町249
1925年(大正14年)10月1日開業
駅名喫茶店(第113回:現存する駅名で最も古い「新〇〇」は何処なのか)
比延 ひえ(加古川線)
兵庫県西脇市鹿野町189
1924年(大正13年)12月27日開業
日本へそ公園 にほんへそこうえん(加古川線)
兵庫県西脇市上比延町351
1985年(昭和60年)7月15日開業
黒田庄 くろだしょう(加古川線)
兵庫県西脇市黒田庄町岡643
1924年(大正13年)12月27日開業
本黒田 ほんくろだ(加古川線)
兵庫県西脇市黒田庄町黒田
1924年(大正13年)12月27日開業
船町口 ふなまちぐち(加古川線)
兵庫県西脇市黒田庄町船町656
1924年(大正13年)12月27日開業
久下村 くげむら(加古川線)
兵庫県丹波市山南町谷川字弓貫3
1924年(大正13年)12月27日開業
谷川 たにかわ(福知山線、加古川線)
兵庫県丹波市山南町池谷字中道坪129-1
1899年(明治32年)5月25日開業
【播但線(姫路~寺前)】
姫路 ひめじ(山陽新幹線、山陽本線、山陽本線(JR神戸線)、播但線、姫新線)
兵庫県姫路市駅前町188番
A85 1888年(明治21年)12月23日開業
京口 きょうぐち(播但線)
兵庫県姫路市城東町字北神屋418-2
1898年(明治31年)2月18日開業
野里 のざと(播但線)
兵庫県姫路市西中島286-1
1894年(明治27年)7月26日開業
砥堀 とほり(播但線)
兵庫県姫路市砥堀字高田32-2
1935年(昭和10年)11月20日開業
仁豊野 にぶの(播但線)
兵庫県姫路市仁豊野265-2
1896年(明治29年)8月19日開業
香呂 こうろ(播但線)
兵庫県姫路市香寺町中屋28-2
1894年(明治27年)7月26日開業
溝口 みぞぐち(播但線)
兵庫県姫路市香寺町溝口513-6
1898年(明治31年)3月28日開業
福崎 ふくさき(播但線)
兵庫県神崎郡福崎町福田字中溝302-11
1894年(明治27年)7月26日開業
甘地 あまじ(播但線)
兵庫県神崎郡市川町甘地字荻原769-10
1894年(明治27年)7月26日開業
鶴居 つるい(播但線)
兵庫県神崎郡市川町鶴居字檜戸27-2
1894年(明治27年)7月26日開業
新野 にいの(播但線)
兵庫県神崎郡神河町新野字中村227-2
1951年(昭和26年)10月15日開業
寺前 てらまえ(播但線)
兵庫県神崎郡神河町鍛冶字八重向142-2
1894年(明治27年)7月26日開業
【筑肥線・唐津線(筑前前原~西唐津間)】
筑前前原 ちくぜんまえばる(筑肥線)
福岡県糸島市前原中央一丁目1-15
JK08 1924年(大正13年)4月1日開業
美咲が丘 みさきがおか(筑肥線)
福岡県糸島市荻浦四丁目8番1号
JK09 1995年(平成7年)10月28日開業
加布里 かふり(筑肥線)
福岡県糸島市神在東四丁目11-8
JK10 1924年(大正13年)4月1日開業
一貴山 いきさん(筑肥線)
福岡県糸島市二丈田中四丁目9番1号
JK11 1924年(大正13年)5月29日開業
https://kanko-itoshima.jp/omusubi/
筑前深江 ちくぜんふかえ(筑肥線)
福岡県糸島市二丈深江七丁目25-1
JK12 1924年(大正13年)4月1日開業
大入 だいにゅう(筑肥線)
福岡県糸島市二丈福井
JK13 1925年(大正14年)4月15日開業
福吉 ふくよし(筑肥線)
福岡県糸島市二丈吉井4086-2
JK14 1923年(大正12年)12月5日開業
鹿家 しかか(筑肥線)
福岡県糸島市二丈鹿家1799
JK15 1923年(大正12年)12月5日開業
福岡県最西端の駅名 駅名喫茶店(第115回:都道府県別東西南北端の駅名)
浜崎 はまさき(筑肥線)
佐賀県唐津市浜玉町浜崎108-3
JK16 1923年(大正12年)12月5日開業
虹ノ松原 にじのまつばら(筑肥線)
佐賀県唐津市鏡虹町
JK17 1924年(大正13年)7月7日開業
東唐津 ひがしからつ(筑肥線)
佐賀県唐津市松南町108-3
JK18 1925年(大正14年)6月15日開業
和多田 わただ(筑肥線)
佐賀県 唐津市 和多田 用尺
JK19 1983年 ( 昭和 58年) 3月22日開業
唐津 からつ(筑肥線、唐津線)
佐賀県唐津市新興町2935-1
JK20 1898年(明治31年)12月1日開業
西唐津 にしからつ(唐津線)
佐賀県唐津市二タ子二丁目1-15
JK21 1898年(明治31年)12月1日開業
佐賀県最北端の駅名 駅名喫茶店(第115回:都道府県別東西南北端の駅名)
奈良の駅名研究家様
103系は国鉄時代に3500両近く製造され、最大勢力を誇った直流通勤形電車でした。唐津線・筑肥線・福岡市地下鉄1号線(現在の空港線)直通運転用として製造されたのが1500番台車ですが、その先駆けとなったのが常磐緩行線・営団千代田線直通用として製造された1000番台車でした。この電車は、1971年の常磐線緩行線と営団地下鉄千代田線との相互乗り入れ用として160両が製造され、社会人になってから毎日乗車していたので個人的にも想い出深い電車でした。
10両編成でも6M4Tではなく8M2Tとなったのは千代田線内の最大33‰勾配区間で自走不能となった場合に別編成で救援可能という乗り入れ条件を満たすためでした。一方、常磐線の緩急分離運転により新設された快速線の103系0番台車を使用した快速電車は10両から8両に減車されて4M4Tとなり、我孫子や松戸で同時発車した時は加速性に格段の差を生じ、各駅停車の電車に快速電車が追い付けず、次の駅の北柏や金町の停車中に漸く追い抜くという有様でした。
千代田線の営団側の主力車両の6000系は、回生ブレーキ付き電機子チョッパ制御車で消費電力の違いは明白であり、さらに103系1000番台は抵抗器の排熱でトンネル内温度が上昇し、単線シールド区間での抵抗器の放熱・冷却も十分でなかったため車両故障が多発しました。電力消費量の違いから相互乗り入れでの双方の距離に応じた電気料金の相殺が出来ず、会計検査院からの指摘を受け国鉄は、差額の電気代を営団に支払うことになりました。このような状態では、電力使用量や発熱量の関係から冷房化改造もできず、夏季に地上区間を走行する時は、地下鉄対応で2段窓のうち下半分は締め切り固定で上半分しか開けられず、蒸し風呂、サウナ状態でした(毎日利用した者のみ知る状況です)。国鉄としてはこの問題を解決するために1982年から電機子チョッパ制御方式の203系を投入し、103系1000番台は僅か新製から11年で同線を追われることになりました。
1984年10月の奈良線・和歌山線(五条-和歌山間)の電化開業と、可部線の旧型電車72形の置き換えのため、常磐緩行線への203系投入で捻出された103系1000番台56両を中心に、0番台を5両含む61両が1M方式の105系500番台車に改造されることになりました。
改造工事は大井・大船・吹田・幡生など国鉄直流電化区間の8車両工場総動員で施工されました。改造された105系は、奈良・桜井・和歌山線用に奈良電車区に48両、可部線用に広島運転所に13両(どうして奇数かは不明)が配置されました。
改造されずに残った103系1000番台104両は特殊な車両であったため集中して松戸電車区の快速用に転用され、捻出された0番台車はそのほかの線区に転属しました。転用された車両は順次、快速の標準色の「青緑1号」(いわゆるエメラルドグリーン)に塗り替えられました。105系が色合いの近い和歌山地区地域色の青緑色に塗り替えられたのを初めて見た時、思わず常磐線の電車が走っていると目を疑いました。長年頑張った105系も老朽化により2019年にようやく新車の227系1000番台車へ置き換えられました。
いずれにしても103系1000番台は、当初の製造目的であった地下鉄乗り入れ用としてはわずか11年という短命でしたが、第2の人生となった105系に改造されて紀和地区で働いたのは35年強という不思議な運命をたどりました。なお常磐快速線に転用された車両は、2004年までに全車廃車となっています。
2017年11月19日の「高田」停車中の105系500番台車です。偶然でしょうが加古川線の103系も同系の塗色となっています。
筑肥線に関東の私鉄中古車。随分前から九州の鉄道の未来を案じる私は、関門トンネルのボトルネックを解消して、宇部小郡地区から、北九州を経て、福岡市を過ぎ、さらに久留米大牟田付近まで、直流電化で統一すべきと、提案しています。
筑肥線もスルーで折尾付近まで乗り入れたら良いし、経営苦のJR九州は、JR西日本と合弁で直流区間の運行を部分委託しても良いのでは。
電車は東急や小田急の中古で十分。JR西方式の新快速を宇部付近から久留米まで運行すれば沿線密度も高く、自動車社会を駆逐というか、今の関門橋と関門トンネルの絶望的な、混雑も緩和される可能性が大きい。
今宇部線や小野田線の廃止まで検討されるのは、商工業の業務的な人口移動が、昭和期に比べて激減したこともあります。
私は国が一部融資をしても、福岡県地区の直流転換を21世紀後半の交通手段のためにやるべきと思います。
今、小倉から折尾に行く電車は、午前中の朝時間帯でも30分無いって、関西や東京の方は信じられないと思います。
話が脱線して済みませんでした。
K.H.生様
コメントありがとうございます。
便利な路線と認知されたら需要を喚起できますので、大胆な設備投資はあって然るべきだと思います。
今は、何でもかんでも社会実験、効果なし、廃線(or BRT化 バス路線化)という流れが多い気がして残念でなりません。
話の脱線、大歓迎です!今後とも引き続きよろしくお願いいたします。