以前に阪堺電車を取り上げましたが、今回は同じ路面電車である嵐電です。難読駅名が多いのも特徴です。https://www.keifuku.co.jp/
京都市内にお住いの方は、意外と乗らない鉄道ではないでしょうか。
【嵐電の駅名】
<嵐山本線>
四条大宮 しじょうおおみや A1 1910年(明治43年)3月25日開業
西院 さい A2 1910年(明治43年)3月25日開業
西大路三条 にしおおじさんじょう A3 1910年(明治43年)3月25日開業
山ノ内 やまのうち A4 1910年(明治43年)3月25日開業
嵐電天神川 らんでんてんじんがわ A5 2008年(平成20年)3月28日開業
蚕ノ社 かいこのやしろ A6 1910年(明治43年)3月25日開業
太秦広隆寺 うずまさこうりゅうじ A7 1910年(明治43年)3月25日開業
帷子ノ辻 かたびらのつじ A8 1926年(大正15年)3月10日開業
有栖川 ありすがわ A9 1910年(明治43年)3月25日開業
車折神社 くるまざきじんじゃ A10 1910年(明治43年)3月25日開業
鹿王院 ろくおういん A11 1956年(昭和31年)11月27日開業
嵐電嵯峨 らんでんさが A12 1910年(明治43年)3月25日開業
嵐山 あらしやま A13 1910年(明治43年)3月25日開業
<北野線>
(帷子ノ辻 かたびらのつじ A8 1926年(大正15年)3月10日開業)
撮影所前 さつえいしょまえ B1 2016年(平成28年)4月1日開業
常盤 ときわ B2 1926年(大正15年)3月10日開業
鳴滝 なるたき B3 1926年(大正15年)3月10日開業
宇多野 うたの B4 1925年(大正14年)11月3日開業
御室仁和寺 おむろにんなじ B5 1925年(大正14年)11月3日開業
妙心寺 みょうしんじ B6 1925年(大正14年)11月3日開業
龍安寺 りょうあんじ B7 1925年(大正14年)11月3日開業
等持院・立命館大学衣笠キャンパス前 B8 1925年(大正14年)11月3日開業
北野白梅町 きたのはくばいちょう B9 1943年(昭和18年)10月1日開業
自宅最寄りの御室仁和寺駅
京都電燈で開業時から御室駅でしたが、2007年3月から御室仁和寺駅に改称しています。
乙訓の老人の甥様
ご来店ありがとうございました。嵐電は躊躇なく駅名を改称しますよね。「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前」のような話題作りのためだけの改称もありました。結局、日本一長い駅名は富山地方鉄道に譲りましたから、単なる「長い駅名」になってしまいました。
私は人間が古いせいか、嵐電の「京紫」は馴染めません。
自宅の最寄り駅は四条大宮ですが、2~3回乗った程度です。以前は北野線の白梅町が最寄で、小さい頃は嵐山へ行くのによく乗ってました。
「宇多野」に改称され、駅の様子も変わってしまいましたが、古い人間はポール電車の時代を思い出します。
昭和50年12月撮影の「高雄口」です。
紫の1863様
ご来店ありがとうございました。そのお気持ち、分かります。
嵐電ではないですか、私は今でも京阪の旧塗装車が好きです。近鉄一般特急も然りです。
駅といってよいのか迷いますが、乗客にもドライバーにも恐怖を与える「山之内」です。秋祭りの神輿が通りかかりました。平成19年10月の撮影。
紫の1863様
山ノ内駅は、インパクトのある私が一番好きな駅です。正直、昔の春日野道(阪神本線)より断然、危ないホームだと思います。まあ、駅というよりは停留場なのでしょうが。
地下鉄東西線の二条-太秦天神川の延伸に合わせ、その2ヶ月遅れで開業した嵐電天神川。
2008年に奇跡的な復活をとげたモボ301も、そろそろ見納めですね(1971年、武庫川車両製)
乙訓の老人の甥様
お写真ありがとうございます。
無くなるのは寂しいですが、その分、次の京トラムに期待しましょう。
小学校に上がる前までは北野線沿線民でしたので、嵐電には思い入れがあります。ポール集電、ツーマン、ワイパーは手動、車掌さんに「次駅で降りるぞ」という素振りを見せておかないと、次駅で乗客がいない場合にはそのまま通過してしまい、よく1駅先まで強制連行されたものです。
幼稚園の最後の3か月は、高雄口~常盤間を定期利用しておりました。高雄口8時16分発の電車は当時では珍しい2両編成でしたので、専らこの電車を利用していました。雪の日に御室方から進入してくる2両編成の嵐電の姿は、瞼を閉じれば今でも瞼に投影可能です。今になって思うのは、幼稚園用の通学定期券があったのか、小学校用と共通だったのか、はたまた大人用通勤定期の半額だったのか、いったいどんな定期券だったのでしょう?。
紫の1863様の高雄口のお写真も、懐かしく拝見させていただきました。御室方のホーム端にある階段状の通路を使ってホームと出入りしておりました。もちろんその当時は階段など無くただの斜面で、雨や雪の日には難儀しました。また、駅上屋の手前側の空きスペースに汚い便所があったかと思います。
当時の駅名称が異なるもののみ整理しておきます。(記憶によるものなので、違ってたらゴメンナサイ)
(現駅名) ← (私が利用してた頃の駅名)
西大路三条 ← 三条口
太秦広隆寺 ← 太秦
有栖川 ← 嵯峨野
車折神社 ← 車折
嵐電嵯峨 ← 嵯峨駅前
宇多野 ← 高雄口
御室仁和寺 ← 御室
龍安寺 ← 竜安寺道
等持院・立命館大学衣笠キャンパス前 ← 等持院
また、四条大宮~西院間には「壬生」という駅がありました。
四方誠様
ご来店ありがとうございました。四方様の思い出を呼び起こしたようで嬉しい限りです。
駅名改称を整理いただきましてありがとうございます。
追加です。北野白梅町は、1958年9月に白梅町から改称された駅名だそうです。
北野白梅町駅ですが、北野 – 白梅町間が1958年7月に休止、9月に廃止されたため、北野と白梅町の両駅名を合わせて北野白梅町に改称されたのですね。
最初の白梅町駅は西大路通りの東側にあったそうですが、市電の今出川線開業に伴い現在の西側に移設されています。
四方様の思い出の「高雄口」、調子に乗ってもう一枚。
私も北野線には幼い日の思い出がありまして、嵐電=北野線のイメージがあります。まだ幼稚園へ通う前、昭和36年頃に大覚寺近くの老人ホームに入所していた、親戚のおばあさんを何度か尋ねました。当時は市電わら天神前の近くに住んでいましたので、母に手を引かれて歩いた北野白梅町までの遠かったこと!
高雄口を出ると急なカーブに差し掛かり、詰襟の制服を着た車掌さんが窓から顔を出し、ポールにつながったロープを持っていたのを覚えています。
四方様が書き込んでくださった改称前の駅名、懐かしいですね!
紫の1863様、
高雄口のお写真を見せていただき、ありがとうございます。ポール時代をしっかりと記録されており、羨ましい限りです。
車掌さんは、ポイント部の架線の交差するあたりで、ロープを握ってらっしゃいましたね。ポールが架線から外れないようにするためらしいですが、一度トロリーキャッチャーの作用かポールが水平になったところを見たことがあります。結構大きな音でびっくりした覚えがあります。
竜安寺道の301を見て気づきましたが、おでこのJISマークみたいな社章がこの車からなくなっているのですね。
モボ301の登場から53年ですか! 早いものですね。
誕生から間もない昭和50年、竜安寺道で写していました。
奈良の駅名研究家様
嵐山本線の「嵐山」の駅名に疑問を持っています。嵐山は桂川対岸の嵐山(標高382m)に由来する名称で行政区も違う京都市西京区の地名であり、阪急電鉄嵐山線の「嵐山」が正当な駅名だと思います。
「嵯峨」は歴史のある地名ですが、全国的に「嵐山」の方がメジャーであったため採用されたのだと思いますが、この駅の所在地は京都市右京区嵯峨天龍寺造路町です。線名と異なり、駅名はポイントの地名を採るべきで「嵯峨」、「天龍寺前」または「嵐山口」とすべきであったと思います。
近年、右京区側にも「嵐山」を冠する店舗名が増え、桂川(保津川)両岸が「嵐山」と呼ばれるようになってきました。このことから1897年に先に開業した山陰本線の駅は、「嵯峨」と命名されていましたが、JRになってから長いものに巻かれる形で1994年に「嵯峨嵐山」に改称することになりました。
同様の例として東武伊勢崎線の「浅草」がありました。現在の「とうきょうスカイツリー」が起点駅となっていた一時期は、この駅を「浅草」としていましたが、浅草は隅田川対岸の浅草区(現・台東区)にあり、この駅は本所区(現・墨田区)でした。1931年に隅田川を渡って「浅草雷門」(現・「浅草」)への乗り入れを果たし、旧「浅草」は「業平橋」と改称され整合性がとれるようになりました。
快速つくばね様
ご来店ありがとうございます。興味深いテーマ投稿をありがとうございます。
先日、(嵐電の)嵐山駅で外国人の方に「どの列車に乗るべきか」と聞かれました。スマホの乗り換え案内画面を見せられましたが、行先は当然終点の四条大宮駅。四条大宮での阪急乗り換え(またはバス乗り換え?バス?)がちゃんとできるかやや心配になりましたね。
昭和50年10月10日、御室です。
昭和50年10月10日、御室駅前から出ていた京都駅行の京都バス。
京福+市電より、安くて速いので、この方面からの帰りによく利用しました。
43年式、日野RB10です。
昭和50年10月10日、山ノ内~蚕ノ社間です。
藤本哲男様
ご来店・写真投稿ありがとうございます!
駅名の話題から離れてしまい、申し訳ないです。私はポール時代の嵐電では、乗務員の制服も忘れられません。学生服のような詰襟で、色も濃紺でした。
昭和50年10月9日、嵐山に到着するモボ129です。
紫の1863様
どんなコメントでも大歓迎です。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
藤本哲男さまの御室駅前京都バス84系統の貴重な記録を拝見させていただきました。御室仁和寺駅でのバスの発着はなくなりましたが、この場所には時折このような車両が駐車しています。(今朝の撮影です)
松山重車輌工業製、マツヤマ兼用軌道モーターカー、形式MJK-MR568、昭和57年製