教えてください。天下茶屋のTORI

 京阪特急3000のオリジナルカラーで西村さん、INUBUSEさん、乙訓の老人さまから投稿があり、うれしく思っています。特に乙訓の老人さまの投稿で、はるばる越中に京阪3000が再就職した時、すべて塗り替えたのではなく京阪特急の現役時代の塗装のままで走っている写真を見た時は驚きと、またうれしく思いました。

 さて、フィルムで撮影した写真のデジタル化を行っています。総本家青信号特派員さまの「写真整理学-3-」に書かれていたビネガーシンドローム症状のフィルムがあり、このフイルムからデジタル化を行っています。症状はひどくないのでホットしているしだいです。このなかにINUBUSE様とW氏と一緒に行った九州の蒸機の写真があり、これがだめになるとかなりの痛手となります。なにせ、九州の蒸機の写真はこれしかないのです。このデジタル化をしているフィルムの中にいつ撮ったかわからないが、南海天下茶屋車庫で撮った写真で入換用だと思いますが、「TORI」と車体側面にかかれた機関車があります。これはいったいどのようなものなのでしょうか。ご存知の方は教えていただきたいと思います。

 

 

 

 

 

教えてください。天下茶屋のTORI」への2件のフィードバック

  1. 富山に行った京阪特急は、10031~10034のみが京阪特急色で最初走りました。上滝線ワンマン化(1998年と記憶)の際に、改造工事に合わせ富地鉄標準色に2編成共に塗り替えられと聞いています。因みに寝屋川から稲荷町への移動は京阪特急塗色のままだったので、途中田圃べりで一服した時に評判になったと、西砺波郡の知人に聞きました。ワンマン化に合わせ運転台寄りの座席を取り払いその後、豪華な座席のモケットを赤無地に取り換え等、グレードダウンしましたが、今回「鳩マーク」復活が嬉しい。寝屋川から「マーク」そのままで稲荷町に来ました。残してあったのですね。
    天下茶屋工場のTORは構内移動牽引車の事で、天下茶屋での自家製です。設計された西敏夫さんの話では「すべて工場内にあった廃物利用で、新入生の実習を兼ねて作ったものだ」と自慢の種でした。大和川工場にも2両ありますが、製作経過は同じですが、設計
    者は誰か聞いたことなしです。以前、ヘンなもの探検隊で紹介しました。

  2. 乙訓の老人さま コメントありがとうございます。京阪特急の件ですが、ハトのマークは今回のオリジナルカラーに変更する時に新たに製作したと思っていました。それにしては当時のままにうまく再現されていると思っていました。老人様の言われるように残していたと考えると納得が出来ます。北日本新聞の記事には「今回の京阪特急カラーへの変更で、大手私鉄の車両を大切に走らせてきた同社の取り組みを全国にさらにアピールできると考えている。」とありました。富山にいるときは単身で住んでいるところから地鉄線路沿いに歩いて稲荷町のスーパーに行きました。すぐ横を電車が走っていくのを見るのが楽しみでした。富山地鉄の人たちに感謝するしだいです。また、天下茶屋の構内移動牽引車ですが「変なもの探検隊(その6)」にありました。現在の阪堺電車の大和川車庫のものを写真を拝見しました。実習を兼ねて作ったということでよくわかりました。私も機械系の学生で就職して、設計製図などはすぐに製作できるまともな図面かけませんでした。自分で設計して図面を書いて、そして自分で作ることでやっと製造してもらえる図面がかけました。そう考えるとこの西敏夫さんは人を大事に育てていたことがわかります。この人に育てられた人たちは幸せだと思います。よい上司だったのでしょう。

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