終い撮り鉄 近鉄内部八王子線の巻

 京で師走を感じる行事として東寺の終い弘法がありますが、今年の鉄道写真撮り納めとして近鉄内部八王子線に行ってきました。実は青森へ行く時ついでに内部八王子線に寄ったですが、この時に「開業100周年記念 内部・八王子線1日フリー乗車券」のパンフレットを手に入れたので、これを使って沿線を探索したいと思っていたのであります。そして、12月19日に行ってきた次第です。 

フリー切符とパンフレット 前回と同じ経路で近鉄四日市へ。今回は往復とも特急を利用しました。久しぶりに近鉄特急に乗るとなかなか快適でありました。伊勢中川で乗り換えて四日市へ。車窓を眺めていると思ったより海岸に近いところを走っているところがあり、また遠く山側を見てみると鈴鹿の山までが平坦で高いところがないので東南海地震が起こった時の津波への不安を感じました。あれやこれや景色を眺めていると四日市について内部線の乗り場でフリー切符を購入してまずは内部へ向かいました。

  10時30分発の内部行きに乗りますと10月より乗客が増えているように感じました。日永駅を過ぎ、追分駅からは乗客は少なくなりました。車内に日差しが差し込んでなんともいえないのどかな雰囲気です。そして、雰囲気がいいのでお願いして車内の写真を撮らして頂きました。

車内に穏やかな日差しが

車内に穏やかな日差しが

 駅でもらった沿線の散策案内地図を見て、内部駅からどこへ行こうか考え、内部地区の歴史や文化について展示してある「うつべ町かど博物館」に行ってみることにしました。というのも今日はよいことに開館日にあたっています。(パンフレットによると毎週水・土・日・祝日が開館日)しかし、時間が9時から12時までなので電車到着から閉館時間まで50分しかありません。地図を見るとわかりにくそうです。とにかく、旧東海道を歩いていってみることにしました。

 閉館30分前に何とか到着しました。場所は旧東海道に面したところで建物は民家を利用したものです。初老のおじさん3人がおられて、説明をしていただきました。内部線についても沿革史が展示してありました。内部線がどうも内部駅が終点でないような気がしたので聞いてみると、この辺の「生き字引」と言われる人が教えてくださいました。話によると現在の東名阪自動車道鈴鹿ICあたりの長澤町まで線路を引く予定だったということです。ところが資金難で内部川に橋脚まではできたのですが、橋を架けることが出来なかったので内部より先には線路が延びなかったといわれていました。「越すに越されぬ内部川」であったようです。この博物館には生活道具や資料などが展示してあり、「うつべ歴史覚書」という資料をテーマ毎に1枚10円で提供していました。「内部線の歴史」と「内部線鉄道建設ものがたり」の資料を購入しました。これらはいろいろな文献や郷土史などからうまくまとめられたもので読み物として面白いものです。ちょうど閉館の時間なったので御礼をいって、かつて旧東海道の難所といわれた杖衝坂の方へ行ってみました。

 内部駅へ戻り、40年前に電車を撮ったと思われるところに行ってみました。しかし、家が多く建っていて以前の面影がありません。写真でご覧の通りです。

 ところでこの40年前の写真のネガが行方不明になっています。探してみると幸いにもベタ焼が残っていました。それをスキャンしてデジタル修正をしたもので、さらに時間をかけて丁寧に修正をしようと思っています。

 写真を撮ってから旧東海道を歩いて行くと小古曽駅のところに来てしまいました。ご覧のように駅前に自転車がたくさん並んでいます。通勤、通学に電車を利用しているのでしょうか。電車からも意外と多くの人が降りてきました。小古曽駅については博物館でいただいた資料によると次のように書かれていました。

「偶々大東亜戦争中昭和十九年に小古曽駅は廃止せられたが、戦後再び建設当時のような猛烈な運動と、それにも増して、山手住宅の人口増に伴う要望により再開されたのである。」

 この小古曽は東海道の街道筋にある集落であるため宿場でよく見られる枡形といわれる屈曲した道になっていました。これは博物館にあった絵図にも書かれています。

四日市から来た電車から多くの乗客が降りてくる。(小古曽駅)

四日市から来た電車から多くの乗客が降りてくる。(小古曽駅)

 さらに歩いて行くと追分駅に来ました。ここは旧東海道と旧伊勢街道の分岐点です。電車はこの旧東海道と踏切で交差しています。この追分駅から電車に乗って西日野駅に行くことにしました。ホームで待っていると、面白い看板がありました。鉄道模型屋の看板ですが、「駅前ナロー弁当762円」とありました。今度、来た時には昼の弁当として買ってみようかな!

 「うつべ町かど博物館」でこれから八王子にある「四郷郷土資料館」の中を見学できないが行ってみると言ったら、説明していただいたおじさんがあそこに亀山製糸の立派な白い木造工場の建物があると教えていただきました。そして、この建物も探してみることにしました。電車は西日野駅までであるが、DRFC現役時代に昭和48年秋の合宿として桑名でおこなった時に八王子線を訪れています。とにかく西日野から先へ行ってみることにしました。

 八王子には立派なお寺や神社があり、また造り酒屋や酢や醤油の醸造所などがあって街並みも街道筋の集落と違った趣きがあります。また「四郷郷土資料館」は大正10年に建てられた洋館でなかなか立派なものです。元は四郷村役場でこの資料館のHPによると元貴族院議員、元東洋紡績社長であった第10世伊藤傳七翁の寄付で建てられたものです。そしてこの資料館から西に少し歩いたところに白い木造工場がありました。亀山製糸室山工場です。なかなか偉容のある立派な建物で見えた時はハットしました。「うつべ町かど博物館」で聞いたところによると維持するのがたいへんなようです。

 それでは昭和48年に撮影した八王子線の写真をご覧ください。よく見ると亀山製糸室山工場も写っています。

 西日野から日永へ。そして四日市から帰路に。

 40年ほど前の風景はありませんでしたが、走りはじめて100年になる軽便鉄道はこの近鉄内部、八王子線しかないのではないかと思います。最近、近鉄が内部八王子線のBRT化を提案しています。今回、沿線の掲示板に電車の写真と乗って残そう内部線と書かれたポスターが目立ちました。博物館の人もいずれ廃止されるのではないかと言っておられました。ただ、呼びかけによる影響なのか乗客は多いと感じました。また、沿線は結構、集合住宅や住宅地が増えているのではないかと思います。内部から30分あまりで時間も確実に四日市中心部にいけるのですから便利だと思います。内部八王子線が40年前の状況では廃止されてもおかしくないと思っていましたがどっこい生き残っていました。今までこの鉄道を維持していた近鉄に敬意を表したいと思います。とは言っても赤字であれば維持が困難になりバス転換となるかもしれません。富山ライトレールの例もありますので、公共交通機関として活性化してもらいたいものです。なんせ、100歳になった軽便鉄道なんやから。

 

 

2 thoughts on “終い撮り鉄 近鉄内部八王子線の巻

  1. どですかん様
    はじめまして。毎度印象的な旅のレポートを拝見しております八王子在住者です。よく40年前を再現して現在との対比を試みてくれました。私は5~6年前に内部まで行ったような気がしますが、撮り鉄向きのローカルな自然風景は殆ど見当たりませんでした。40年前から開発が進んだのでしょう。恥ずかしい話ですが八王子線の八王子はどこにあるのか探してみたのですが、今は廃線となり、現在の終点西日野の先ですね。また、文中の旧東海道は弥次さん喜多さんや各地の殿様行列が通った道ですよね。今、私は日本橋から旧東海道を歩いていますが、藤枝あたりで休止状態です。これまで、途中、岳南、静鉄などを撮影しながら歩きましたが、そうするとまじめに歩き続ければいつの日か近鉄内部・八王子線に出くわす訳ですね。

  2. 準特急様
    コメントありがとうございます。私も実は今回、近鉄のフリー切符のパンフレットではじめて内部線が旧東海道に沿って走っているとは知りませんでした。この内部八王子線もさることながら旧東海道と、八王子線の八王子周辺を探索することが今回のもうひとつの目的でした。廃線になった川沿いの八王子線北側の地域は四郷(よごう)といっているようです。資料館も元は四郷村役場であったことからわかります。ただ、八王子という名称については今回はわかりませんでした。資料館が開館しているときに行って調べてみたいと思っています。資料館のHPを見ていると館内の写真で未電化の時の八王子線の写真が展示しているようです。建物内部も興味あり、ぜひ訪ねてみたいと思っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください