老人は1986年6月まで冬眠生活を19年間していたが、吉谷先輩の遺言で元に戻った。先の大井川鐡道に拘ったのは、頑張る中小電鉄の一例として白井さんの情熱に惚れたのであった。その行きかえりを利して浜松に途中下車、「行き帰りの駄賃は遠州」としたのは車窓から眺めていた車両や施設の大変貌によるものであった。社会人となってからは舘山寺温泉での業界出張で、合い間を縫って赤い電車に乗っただけであった。車庫は西鹿島に移動、貨物扱いはなく都市近郊型に全てが変貌していた。車庫で若い社員の方と話す機会があったが、「車両や線路の近代化に目途がついたので続いて信号を始めとする通信関係です。無人電車が走りだすかもしれませんよ?」と、2人で大笑いとなった一幕もあった。それから20年あまり経つが、開業以来の中古客車は107号のみ、依然として良き伝統を守っている日本最優秀電鉄である、と思っている。
乙訓の長老様、
3月から娘婿が静岡へ転出しましたので遠州に縁が出来ました。浜名湖鉄道やら遠州鉄道やらと今までは興味の無かった鉄道に俄然目が行くようにもなりました。転出先は藤枝市ということで、大井川鐵道も近いので寸又峡温泉にでも行ってみようかと思っています。
これからも静岡の鉄道を教えて下さい。
寸又峡温泉は、バス終点の一つ手前で降りて直ぐの『民宿深山』がお勧めです。乳白色でつるつるのお湯です。美肌効果がある筈です。風呂場のタイルの上で滑らぬように。昨年5月同志社のゼミ仲間10人と一泊しました。なお、幹事だったtsurukameの紹介と云っても、何の特典もありませんから念のため。
tsurukame先輩様、
寸又峡といえば金喜老(キの字に自信がありません嬉やったかも)でしょう!あの旅館はまだあるのでしょうか?泊まってみたいものです。ここならtsurukame先輩の名前が効果あるかも?
米手作市さん、コメントありがとう。ともに皆さんに恥ずかしながら、お詫びと訂正です。
① 前回の写真と車両明細、何故あのようになったのか?。明細の方は拡大して頂くと判読でき ますが、写真は見るも無残な姿で恥ずかしい。ピク誌No、657号では同一写真がまともな姿で 掲載されているのでご覧いただきたい。
② 今回の写真説明のキャプションの打ち間違いが2ケ所にあります。写真5枚目の1983年登 場の2000型は1000型に、写真8枚目西鹿島重点は終点に訂正です。
浜松に直行するのは旅の姿としては面白くないので、青春18キップ利用をお勧めします。東行の時はJR東海新所原下車で天竜浜松鉄道に乗り換え、西鹿島で下車。遠鉄乗り換え前に左側にあるうどん屋でいっぷくされると良い。老人は親父と話す内に大きなトマトをご馳走になったことありです。立派な掛け軸があり、それを誉めたからだったかもしれない。また、西鹿島から浜松に向かい歩くうちに立派な【さくら園】が線路沿いにあります。 老人は電車より花に見とれて暫く休憩となりました。昼間の電車は12分毎ですから電車沿い散歩は楽しいですよ。
長老様、
うどん屋で掛け軸を褒める、ですね!なにやら落語の「子褒め」か「牛ほめ」みたいですね。
やってみましょう!