日の目を見た写真、十和田観光電鉄

2002年春だったと思うが吉川文夫さんから電話を貰った。用件は「1959年夏に東北の電車を巡っておられるが、その時の十和田観光電鉄の写真一式を岸 由一郎さんに提供してほしいのですが・・・」とのことであった。岸さんと言えばピクトリアル611、613号で京都電燈福井支社関係の貨物輸送(九頭竜川水力発電)について発表されたことが頭にあり、その内容が緻密であり学生さんにしては・・・との記憶が残っていた。ポン友の依頼となれば「承知しました!」と、なったのであった。幸いなことに十和田電鉄撮影のフィルムは自家現像にしては調子よく仕上がっており、フィルムその物を送った。

表NEW


写真はネコ・パブリッシング 発行 【LIBRARY 51 十和田観光鉄道の80年】で7枚採用された。今回の写真はその7枚で往事を偲んでもらおう。実はデジ青【4255】では岸さんが交通博物館の学芸員になられた直後、2008年6月の宮城内陸地震による山津波で非業の死を遂げられた事を紹介している。老人は岸さんが博物館に採用された直後に、東上する時には博物館に立ち寄るお誘いを受けており、彼の案内を楽しみしていた。その時には1976年1月15日に雪の中を2度目の三本木車庫を訪ねた事を話そうと思っていた。

最初に訪問したのは1959年9月19日で、その前日午後には仙石線を経て東北本線小牛田へ、そこで夜行青森行きに乗車、早朝の古間木(現:三沢)駅に到着した。本線下りホームに隣接した狭い幅のホームのベンチで小憩するうちに、夜明け前のしじまを破るようにして単行車が到着した。戦後生まれの17M級のボギー車はモハ3401を名乗る近代車であった。折り返しこの単行車が車庫所在の終点、三本木へ向かうとの駅員の案内に従った。到着は8時前だったが車庫事務所である「電車区」は開いており、車両要目表はすぐに筆記させて頂く事が出来たので、庫外を走る電車とバスの両方の撮影が叶い、その足で古間木に戻り次の目的地に移動することが出来た。

古間木から車庫往復は大型車両で

古間木から車庫往復は大型車両で

終点三本木の電車区表示は車庫案内板を兼ねる

終点三本木の電車区表示は車庫案内板を兼ねる

電車区から古間木に伸びる線は渋沢開墾地をまっしぐらに

電車区から古間木に伸びる線は渋沢農場をまっしぐら

改軌、電化と共に投入された電動車モハ2400型

改軌、電化と共に投入された電動車モハ2400型

トレーラーは電動車同型でクハ2400型を名乗った。

トレーラーは電動車同型でクハ2400型を名乗った。

増備車は大型電動車で、後に大型クハを牽引した

増備車は大型電動車で、後に大型クハを牽引した

貨物、除雪用には電機を準備した。

貨物、除雪用には電機を準備した。

よく似た電車は兄弟と言われた玉野市電の100型(のちの琴電750型)

よく似た電車は兄弟と言われた玉野市電の100型(のちの琴電750型)

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