まいど、「おじじなる(注)」でなくて、だれかさんの投稿からの芋ずる投稿でお騒がせします。(注:かつてDRFCではオリジナルを「おじじなる」と言っていた人がいたような、いなかったような・・・)
西村さんが「RMライブラリー 200号を見て」 で「DRFC30周年記念号」の記録があったことを紹介されていました。たしか、子供と一緒に参加したのですが、その時のネガフィルムがあったので、久しぶりにちょっと、京都から京都まで再び「DRFC30周年記念号」の旅をしてみたいと思います。
上の写真はパンフレットと記念品一式です。ボロボロになった紙袋にはコースターと同じ図柄が印刷されています。記念写真と名古屋城の観覧券もありました。
1987年(昭和62年)10月4日、京都駅で受付をしてホームで列車を並んで待っていると、定期列車が来ました。
この時はまだ1番線です。大阪発飛騨古川行きの急行たかやまが停車しています。この後に「DRFC30周年記念号」が入線してくるようです。
茶色のEF58に牽引された「DRFC30周年記念号」の入線です。この列車の最大の楽しみは展望車に乗れることです。みんな、ウキウキして乗り込んだのでした。京都駅を発車して次の停車は安土でした。ここで35分停車なのでグループごとに記念写真を撮ったのです。
ここでヘッドマークをを付けたEF58150を撮影。やはり、いま見ても地味であるが茶色の電気機関車はいいものです。きれいな車体でした。安土を出発すると次は名古屋に停車です。
展望車へはグループごとに交代で乗車しました。
展望車に乗って、みんなうれしそうでした。展望デッキ側に移ってみると
展望デッキ側は窓が大きく、展望室といった感じでした。走る列車の外側に出ることができるのは滅多にないことですので、人だかりです。
展望デッキからの眺めは特別です。電車のうしろで運転席の窓で見いるのとは大違いです。やはり、外の風を受けうることで楽しさが倍増するのではないかと思うのです。
列車は亀山に到着し、機関車を付け替えていよいよ加太越えです。マイテが加太越えするのは初めてではなのでしょうか。
いよいよ加太越えに向かって亀山を出発です。
加太駅を過ぎてから、いよいよ加太越えです。中在家信号所でスイッチバックをして加太越えです。
みんな、窓から顔を出して加太越えを楽しんでいます。この「DRFC30周年記念号」の最大のイベントです。それほどDRFC会員にとっては加太越えは特別なものなのです。そして、この中在家信号所の写真は後にも先にもこの1枚しかないのです。
列車は柘植から草津線で終着駅の京都へ向かいます。途中で室内灯が消えるというアトラクションがあり、みんなヤンヤ、ヤンヤと大喜び?でした。
間もなくこの「DRFC30周年記念号」マイテツアーも終着駅です。
この「DRFC30周年記念号」の専務車掌がご挨拶。
時は1987年(昭和62年)10月4日の秋晴れの「DRFC30周年記念号」マイテツアーの一コマでした。
どですかでん様
私も小学生の息子を連れて参加しました。息子を入れた同じような写真を撮っています。しかし京都駅1番ホームでのスナップなどは撮っておらず、なつかしく思い出しました。2番ホームには12系?の客車が写っていますね。中在家信号場のカットもいいですね。そろりそろりと引上線に進入したことを鮮明に覚えています。室内灯が消えた真っ暗な状態で加太トンネルを通過したのもなつかしい思い出です。貴重な写真をありがとうございました。ところで6月の富山は貴君らしいプランですね。期待しています。
西村様 朝の早くからコメントありがとうございます。マイテツアーの写真は今まであまりしっかり見ていませんでした。米手作市さんが「お宝、
発掘!」でマイテツアー記念品のコースターで写真のことを思い出して、ネガを探したのですが、デジタル化は今回が初めておこないました。意外とピントもしっかりと鮮明に写っていたので驚きました。京都駅の2番線は12系客車ですね。たかやま号もかすかに写っている行先サボを拡大して見ると飛騨古川と大阪という読める字があったのでわかりました。とにかく、面白いツアーでした。ところで、富山のプランですが他にいろいろ行くところがあるのですが、富山在住のN君によると同じ勤務先の人で富山市出身の人によると富山駅から東へはあまり行くことはないと聞いているそうです。ということで今回は東側の黒部周辺を考えました。富山というと広島からは遠いですがよければぜひ参加してください。黒部市では近松門左衛門の曾根崎心中の初版本が発見されました。富山に住んでいる時、黒部の民俗資料館に見に行ったことがあります。考えてみれば結構行っているのですが、木造駅舎は撮っていないので今回はぜひ訪ねたいと思っています。
懐かしい写真有難う御座います。専務車掌は亀山に到着する前に酔っ払ってしまい、加太越えの時は展望台の後部で万歳!と叫んでいたような気がします。草津線では転寝をしていた時に「寝るな!」と、起こされました。前日は甥っ子の結婚式が東京品川であり、鶴君と「銀河」で京都駅に駆けつけました。車掌としては道中の安全第一で気が張って居りましたが、桑名を過ぎた頃から睡眠不足が露呈したようでした。でも事故なしで、一人忘れ物があったようですが無事に京都着となり、ほッとしました。ご乗車の皆さん、ご協力有難う御座いました。
乙訓の長老様 加太越えの頃はずいぶんご機嫌だったのですね。あのころだからできたツアーのように思えます。来年はDRFCの還暦だそうで、何か、マイテツアーに匹敵するような面白いことをやってみたいと思うのですが・・・その時はよろしくお願いします。
どですかでん様
私も参加しました。記念のコースター、乗車券、オレンジカード まだ手元にあります。社会人になって5年目、後輩のみなさまはすごいなぁ と思いました。解散後は烏丸スポーツでマージャンor高野のスポーツガーデンでのボーリングだったと思います。
ところでマイテ39は今、何処にいるのですか?また会えればと思います・・・
おとりんさんもマイテツアーに参加されたのですか。たしかに、あのような行事をしっかりと成し遂げたのですから、私もすごいことをするなあ~と思っていました。現在のDRFC現役会員もいろいろなイベントに参加出展していて、ただ個人の趣味の範囲ではなく、地域に貢献する活動をしているのは大したことだと思います。ある意味でいい伝統が伝わっているのかなと思ったりします。ところでこのツアーの展望車はマイテ49 2でネット上で調べてみると、現在は網干総合車両所宮原支所に留置されているそうです。昨年の11月に網干車両所で一般公開のイベントで宮原から網干へ回送されたそうです。今年もあるのでしょうか。
たまたまこのサイト見つけコメントします
皆さんご無沙汰しております
元JR西日本宮原操車場の赤坂康孝です
この列車の企画立案等ならびに
走行区間のJR西日本・東海の関連各所手配等も
させていただきました
当日その節は大変ありがとうございました
赤坂康孝様
京都駅で茶色の鮮やかなEF58150牽引特別列車(?)の到着を今や遅しと待ち構えて乗車した一人です。あれからもう35年になります。いろいろご配慮いただき有難うございました。特に名古屋から関西本線、草津線経由という特別コースでしたので当然JR東海さんとの調整もおありであったと思います。快晴の1日で一生の思い出でした。本当に有難うございました。
赤坂康孝様
その節は本当に有り難うございました。
マイテに乗るチャンスに恵まれ、良い天気にも恵まれ、楽しい思い出として今でも思い出されます。
準特急さんがお書きのように、35年前にもなるのですね!
改めて、どですかでんさんの写真で思い出に浸ることが出来ました。
我らの専務車掌さんが先般鬼籍に入られましたが、この日は特別に無茶苦茶お元気ですね!
思い出の数々をご提供頂いたことをに改めてお礼を申し上げます。
赤坂康孝様
この企画を実現して下さった方ですか!ありがとうございました。
私にとって、生涯最初で最後の展望車でした。
いま、マイテ492が梅小路鉄道博物館で静態保存の前に運転されていますが、機関車の次位に連結されていて、とても正視に耐えません。私は35年前に有終の美を飾ったと思っています。
本当にありがとうございました。
こんばんは。
昭和62年の国鉄民営化直後の秋の大イベント、終日の写真は全てスキャンしてアーカイブの一部として記録しております。
個人の姿を多数記録的に写しておりますが、肖像権とかプライバシーとか言い出されると切りがないので、こう言う所に投稿記事は上げないのですが、コメント欄に大きく写っていない程度の写真なら、いつでも出せますよ。赤坂さんもこの中におられると思います。
デジ青を開いて「最近のコメント」を見るとなにか見覚えにある文字が並んでいるので見てみると、私の投稿に対するコメントでした。すっかり忘れていたのですが懐かしいやら、年月が経ってからのコメントをいただくのは気恥ずかしものです。赤坂康孝様、ご覧いただいてありがとうございます。そしてマイテ記念列車の運転にご尽力いただいた方からのコメントとは投稿冥利につきます。大量にある家族写真のネガに埋もれていたのでなかなか見つからなかったのですが、ちょっとしたきっかけで見つかりそれで投稿した次第です。これからもデジ青を御愛好いただければと思います。