なぜか今年は阪神電車から

 時は過ぎ、あけまして おめでとうございますではなく、間もなく桃の節句になるという時節柄。今年は阪神電車からということで・・・

 なぜ、阪神電車からというと、年末に阪急百貨店に行った時に鉄道模型売り場を覗くと目にとまったのが阪神電車がかつて梅田から三宮・元町まで特急として走っていた3両セットNゲージの模型である。値段を聞くと4,500円である。うう~んと思案をしてみたが、こういう時は衝動買いに走るのが常である。衝動買いするもう一つの理由は、子供の頃に神戸へ行くときはいつも阪神電車のこの特急に乗っていたので懐かしい。思い出深い電車だからである。子供の頃、神戸に行くには家からは十三から阪急電車で行くのがいいのであるが、そこをわざわざ梅田まで行って阪神電車に乗るのである。家族4人がふわふわしたクロスシートに席をとり、ちょっとした小旅行を楽しんでいたのである。

 用もないのに阪神電車に乗る。 

 正月というものは意外と自由がきかないものである。元旦から三が日はお客さんが来たりしてほとんど出かけたことはない。そういううことで今年は4日の午後から出かけることにした。どこに出かけるか。半日しかないので思いついたのが阪神電車である。時々乗るのであるが、今回は梅田から元町の往復である。普通の人にとっては用もなくただ汽車や電車に乗りに行くということは考えられないだろう。そこが電車好き、汽車好きの特技である。お伴はSONYのコンパクトデジタルカメラである。気軽に撮れるようにと、昨年に買ったのであるが頼んでから手元に来るまで、3カ月かかった。熊本での地震のためであるが、これも仕方がないことである。小さくて、そんなに値段が高くないがなかなか具合がよい。さすがにSONYという感じである。

 阪神電車の梅田駅に着いたのは14時35分頃である。阪神の梅田駅は地下駅で、昔は切符売りのおばさんがいた地下鉄との連絡通路(通路というより地下広場のような感じ)を下りたところに改札口がある。もう1つ改札口があるが、阪神梅田駅は東口の改札口がよい。ところで地下鉄御堂筋線や谷町線の連絡通路というか、広場というか、ここは四方八方から人がブラウン運動のようにランダムに歩いてくるので、この人をうまくかわしながら思う方向に歩くのは面白いものである。

歩く人は好き勝手に歩き回る梅田の地下街 ここを思い通り歩くには熟練が必要だ。

.特急は神戸に向かって左側であったと思っているのであるが自信がない。あの頃の 阪神電車で覚えているのはドアのステップが車体から張り出していて、その下にランプがついていたことである。このことはなぜか妙によく覚えているのである。とにかく、今日は元町駅まで行ってみることにする。ちょうど山陽電車の直通特急姫路行が間もなく発車である。

三宮へは山陽電車で。子供の頃はこんなことはなかった。姫路まで行けるのである。

 電車は地下から明るいところへ顔を出すと、淀川を渡る。そうすると電車は姫島駅を通過して、なんばからの阪神なんば線との合流駅の大物駅を通り、尼崎駅に到着する。ふと見ると変な茶色の電車が停まっていた。近鉄の奈良線開業100周年記念デボ1形塗装色の車両であった。乗ってる電車が山陽電車、外には茶色のデボ1形色近鉄電車と、相互乗り入れ線区は面白い。面白くないのがJRである。サンダーバード?が天王寺駅で大和路線の電車と並んでいたり、雪の降る城崎にくろしお?が到着したり、なにがなにやらさっぱり・・・

 阪神電車は通勤で使ったことがある。新入社員は(男子社員のみであるが)1か月の寮生活で研修を受けることになっていた。その寮は打出にあった。だから阪神電車で梅田と打出を一カ月間ほど通勤していたのである。そんなこともあったなあ~と思いながら乗っていると、外の景色は次第に六甲の山並みが迫って見えてきた。神戸に向かうのと、京都に向かうのとでは見える景色が違う。電車で30分か40分ぐらいの間にある三つの都市が異なった景観や風土であることがいつも不思議な感じがする。それぞれのところに行く道中の景色が違うのも面白い。

 地下線に入ってしばらくすると「神戸三宮」に停車する。雰囲気のいい駅である。帰りにちょっと寄って行こう。そして、次が下車駅の元町である。ところで元町駅で下車したのであるが、改札口が東側と西側にあるようだ。どちらの改札口に行ったらいいのかちょっと思案して東側にした。終点の駅ではなく中間駅のようである。子供の頃に乗った時は終着駅であったが、終着駅という雰囲気はなかったように記憶する。改札口はなんとこれといったありふれたもので、地上に出るとJR元町駅にすぐに通じる。JRは高架なのでホームにあがる階段が改札口すぐにある。天井の照明が印象的である。そして、阪神電車の地下駅へ下りる階段は昭和の雰囲気であった。

ハットするようなホームへの階段。神戸らしいホームへ通じる階段である。

昭和に戻ったような感じの地下駅への入口。

阪神電車で梅田に戻るのであるが、西側の改札口に行くことにした。階段を下りて改札口に向かう時にふと見ると、両側に飲食店が並んだ通りがあった。東側ではわからなかったが、両側に通じる通路になっていた。次第に消えゆく昭和の通りである。

しめ飾りがかざられている。夜ともなると酔客が通りをゆらりゆらりと歩いているのだろうか。

 元町駅で写真を撮る。普通電車が来るのであるが、旧塗装かもしれないと思ったが新塗装であった。それでも写真を撮る。次の電車に乗るのであるが、元町駅の看板を入れてこの電車を撮ることにしようと苦心してポジションを決める。狭いホームで安全に他の人に迷惑をかけないようにするのは難しいがこれも写真撮影の楽しみのひとつと思えばよいのである。こういう時は広角35mm換算で25mmの威力を発揮する。地下駅でもストロボなし(こんなところでストロボは厳禁)で手ブレなしで撮れるのがすごい。さすがソニーである。しかもそんなに高級でないカメラである。チョイ撮りはこれに限る。

元町の駅名票をいれて写真を撮る。梅田行の特急に乗って三宮へ。

 梅田行特急に乗って神戸三宮に行く。ここでとりあえず降りて駅の写真を撮る。到着したホームの隣には近鉄電車が停まっている。奈良行きの快速急行であるが、今日は次の特急で梅田に戻ることにした。この駅は天井の梁と柱がアーチ状につながっている。一見、ごちゃごちゃしているようであるが照明と壁や柱の色で落ち着いた感じである。神戸三宮駅はいい駅である。しばらくすると奈良行き快速急行は出発していった。

近鉄電車が停まっている三宮駅。神戸から奈良に乗り換えなしで・・・

赤いテールライトが微かに見える。近鉄電車は奈良に向かって行ったのである。

阪神電車の新塗装はいい配色と思う。それぞれ好みもあるが旧塗装よりいい感じ。

 梅田行の特急が来た。さて、帰るとするか。座席が空いていないので山側のドアのところに立つ。ロングシートの電車で外を見るには立っているのがいい。移動して、どちら側もみることができるからである。進行方向が変わると、同じところなのに違って見える。バスではこのようにはいかないような気がする。やはり電車や汽車で車窓から見るのが一番である。だから、どんなところでも鉄道の旅は楽しいのである。窓が丸い駅がちらっと見えた。このようなチラッと見えて、あれっと思って去って行く方を振り向くのも電車に乗ることの楽しみのひとつである。また、今度は武庫川線のホームをチラッと見る。ホームには帰宅すると思われる人の姿が見える。もう一回チラリズム。淀川を渡る手前で見た簡単な船着き場。この船着き場はひょっとしたら電車と一緒に撮るといいかもしれない。そんなことを考えていると野田を過ぎて地下線に入り終着駅の梅田駅到着である。

乗っていた特急は折り返して姫路へ

 1月4日の半日の旅であった。

 ところで、発端となったNゲージの模型というのは

これで知ったのは3両固定編成ですべて動力車のとんでもない高性能な特急電車であったこと・・・

しかし、この電車が動力化されて走り回るのはいつになることやら・・・

なぜか今年は阪神電車から」への4件のフィードバック

  1. 常識的に地下鉄では駅の拡張(特に幅)はできない。阪神の三宮は狭く、さらにその一つ東側の春日野道の狭さと言ったらなかった。電車通過の際の猛烈な風でホームの客は吹き飛ばされそうで、自己の安全を確保する手摺が設けられていた。これは国道2号線の下をオープンカットしたからである。その後国道幅は拡幅されたが、長らく地下はそのまま。ところがところが、今では三宮、春日野道とも駅の幅が広げられていて快適である。これは国道の表面から新たにオープンカットしたからで、当然工事期間は長かったし、工事費も極めて高額だったはず。かつてはその上を路面電車も走っていたのだが。
    阪神春日野道はかつて神戸製鋼と川崎重工の工場通勤駅で、猛烈に多数の乗降があった。それでいてホームの狭さと隧道風、列車通過時の衝撃などなど、事故が起こらないのが不思議なくらい。で、毎年総評(というもんがありました。「昔陸軍今総評」といわれた)からの要望書に、必ず「労働者の命が極めて危険にさらされている阪神春日野道駅を改善すること」があった。その回答も必ず「地下駅のため如何ともしがたい。危険解決には駅を廃止するしかない」であった。労組側は、駅の廃止は困ると一旦取下げるが、翌年はまた同じ要望と回答の繰り返しであった。
    大阪地下鉄の梅田駅の拡幅は、工事当初から将来を見込んでとてつもない規模の地下構造物を作ってあったからで、これは市電が黒字で、膨大な地下鉄建設費を自前で賄えたから可能であったのである。現在のように起債と国、県(府)の補助金で辛うじて建設できる地下鉄なら、いくら将来のためであっても、このような「先見の明」は許されず、会計検査院も目を三角にする。
    道路幅に工事のための余裕があって金さえかけられれば、既存の地下駅も広げられることは分かったが、逆に高架鉄道となると、かえって不自由のようである。阪急中津は神戸、京都線に挟まれているからどうしょうもないのだろうが、春日野道は金さえかければ、とは思うが、JR新快速と「昼特切符」にやられっぱなしで手も足も出ない在版私鉄に、その気も金もないのであろう。せめて阪急三宮はもう少し何とかしてほしい。梅田との格差がひどすぎよう。

    • 湯口先輩、コメントありがとうございます。コメントに書かれていた改修工事に関連して検索をすると、その改修工事の状況がよくわかりました。今の駅で見えている天井の梁は改修工事で天井板を撤去した時に1933年(昭和8年)に地下駅開業当初の梁が見つかったのを利用したものなので、駅全体の雰囲気がレトロモダンなものになっているのもなるほどと思いました。改修総工費は約153億円だそうです。また、春日野道駅の改良工事についても神戸市東部新都心のHAT神戸の最寄り駅というきっかけがなければ改良されていないのではないでしょうか。三宮の阪神と阪急とJRの駅で人がどのように集まっているかもう一度行ってみようかと思っています。なにぶん、神戸にはあまり行っていないので。

  2. 湯口先輩の仰るように地下鉄道と高架鉄道の拡幅改修は困難中の困難工事と言われてきました。しかし最近の技術の進歩は資金さえあればそれも不可能ではないことを証明してくれました。とはいえあの阪神春日野道が広くなったと聞いても俄かには信じられない思いで、一度見分に行かねばと思っています。百聞は一見にしかず、です。
    ところで高架化工事の際に準備工事を事前に施工していた例をご披露しましょう。もちろん京阪の事例ですが。
    昭和40年代後半に守口(現守口市)~寝屋川信号所(萱島駅の東方、車庫出入庫線東端)間の高架複々線化工事が行われましたが、途中の古川橋駅は将来の線増に備えた構造とされました。当時は朝ラッシュ時の輸送量はますます増えるとの予測に基づき、高架化と同時に複々線化が計画されました。輸送力を増強(今や死語。隔世の感あり)するには列車の増結や増発などの方法がありますが、京阪の場合京都方面において駅の前後に踏切があってホーム延伸即ち増結ができないという箇所があり、もっぱら増発によって対応していました。戦前からの守口~京橋間の複々線を生かし、当時既に私鉄界最大の一時間当たり34本という列車を運転していました。このため通過(急行)線はほぼ2分毎の運転となっていて、将来は比較的空きのある緩行線への通過列車増発が考えられていました。
    そのため古川橋駅の大阪行きホームの下部構造は、将来線路が増設され列車が通過しても大丈夫なように頑丈に造られています。計画ではホーム部分に新たに停車用線路を敷き、更に南側にホームを張り出すというものでした。古川橋を通られる際には一度見て下さい。
    同様の計画は森小路駅にもあったようです。同駅だけが他駅と構造が異なっていますが、主に事故・不通時の乗り換え用でもあったほかに、将来の追越線線増も考慮されていたようです。
    なお緩行線への通過列車運転は、前記萱島以西の複々線化完成時から通過線を準急以上に明渡し、区間急行の守口→京橋間で実施されていますが先行普通の追い抜きは無く、後ろをトロトロと走るダイヤで、通過線列車の所要4~5分に対し7~8分とほぼ倍になっていて、停まらないだけという形で運転されています。
    旧国鉄時代の大規模施設のお陰で戦後のラッシュ輸送にある程度対応できたのですが、鉄道というインフラの場合は余裕と無駄の境界が難しいといわざるを得ませんね。昨今のように効率化だけで判断してはいけないように思います。

    • 1900生先輩 コメントありがとうございます。森小路の駅はそういうことだったのですか。通学の時に通過するたびに、この駅だけ違っているのを不思議に思っていました。興味深い話ありがとうございます。

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