「東北展」の途中に寄りたい 市電遺跡ふたつ

佐竹さん「東北展」は12日(月)まで好評開催中ですが、ある方からは「ぜひ行きたいが、写真展に付加して、“こんなもん、おまんねん”とクローバー会らしい、いちびり企画はないのか」と厳しい叱責をいただきました。それならと、ひと・まち交流館京都のすぐ近くで見られる、あまり知られていない京都市電関係の遺跡を紹介しましょう。会場への行き帰り、ちょっと寄って見られたら、どうでしょうか。
橋の下に見えているのは?


高瀬川に残る京電の痕跡
まずは、会場から北へ徒歩3分のところ、木屋町五条付近にある、京都電気鉄道(京電)木屋町線が走っていたことを示す煉瓦積みの橋台跡へ行ってみよう。 京電木屋町線は、七条停車場前(京都駅前)から木屋町二条までの間、明治28年に開通した。 その後、京都市に買収されるが、ほぼ並行して市電河原町線が開通することになり、昭和2年に廃止された。  高瀬川を渡る歩道橋の下に残る、京電木屋町線の煉瓦積みの橋台跡、一般的なイギリス積みだが、そのあとで補修が加えられている。

くだんの橋台は、木屋町線が五条通(もちろん当時の五条通の道幅は狭かった)を横断し、高瀬川を斜めに渡るところにある。 現在は、同じ位置に歩行者用の橋が架かり、橋台はその下に、護岸の一部として組み込まれている。 橋の下に潜り込んで目立ちにくいところにあるが、高瀬川に降りれば、両側の橋台を観察することができる。 京電の煉瓦構造物は、堀川通でも数ヵ所で見られるが、そのほかでは珍しいことで、100年以上前の京電の歴史の証言者として貴重な存在だ。

このように、両側の煉瓦積みの位置が食い違っていて、木屋町線は高瀬川に対して斜めに渡っていたことが分かる。木屋町線の写真・絵葉書は数少ないが、そのうちの一枚は、まさに単車が高瀬川を斜めに渡っているシーンがある。
その歩道橋を北から南に見る。煉瓦橋台は手前の直下にある。木屋町線跡は、ビルと公園に囲まれた歩行者道路となって、広い五条通を横断して、斜めの道路となって河原町通に合流している。木屋町線は河原町通をしばらく走り、ひと・まち交流館付近から西へ振って、京都駅前方面に向かっていた。

 

 

 

木屋町五条上る付近。木屋町線は右側の木屋町通を進んで行った。ただ、当時の写真を見ると、高瀬川沿いをギリギリに走っており、護岸はその後に嵩上げされたようだ。高瀬川は大正9年まで舟運が盛んだったが、左手の細い道は、綱を持って舟を引き上げる舟曳きが通った道の名残り。

最後の市電施設でカフェする
もうひとつは、会場から河原町通を南へ約3分、市バス河原町七条南行き市バス停留場の真ん前にある建物だ。この建物、いまはリノベーションされたカフェになっているが、元を正せば、市電の架線修理車の車庫・資材置き場だった。当時は「内浜架線詰所」の名で呼ばれ、市電の架線が断線すると、修理車両がすぐに駆けつける拠点となっていた。 市バス「七条河原町」停留場の真ん前にある、昭和2年建築、コンクリート2階建ての「内浜架線詰所」

京都市電にゆかりの建物としては、2015年に解体された九条車庫(のちの市バス車庫)の事務所が最後かと思われていたが、思わぬところに市電ゆかりの建物が残っていることが分かり、その後、京都市の資産有効活用のプロポーザル方式によって、近くで茶筒製造を行う開花堂がカフェとして再生を行うことになり、昨年から営業を始めた。京都市電の歴史を伝える近代化遺産として、カフェ営業後に国の登録有形文化財にも指定された。

昭和53年の市電廃止後は倉庫として使われていた。右手は車庫で扉があったようだが、現在は長手のガラス窓がはめられて大幅に改修されているが、それ以外は当時のまま。人気のカフェのようで、つぎつぎに観光客が店内に入っていく。こんなところに場違い、と言っては失礼だが、いま京都では、あらゆるところで、リノベーションされた店舗が増殖している。

 

 

市電時代に架線詰所があったとは全く認識していなかった。まさか写していないだろうと、半信半疑で探したところ、なんと街路樹に隠れてはいるが、中央に上部が見えている写真を見つけた。「七条河原町」の停留場看板に、5号系統市電、200号乙系統市バスも写った、“全部載せ”の写真だった。右の写真は、架線修理車、市電末期は架線の保守も行き届かなかったのか、出動するシーンをよく見かけたものだ。

 

 「東北展」の途中に寄りたい 市電遺跡ふたつ」への2件のフィードバック

  1. 聡本家青信号特派員様 
    『最後の市電施設でカフェする』は目から鱗でした。
    小生、毎年春(桜)や夏(祇園祭や送り火)に京都を訪問しており、至近の渉成園にも立ち寄ったりしておりますが、内浜架線詰所は全く知りませんでした。
    50年程前、関西在住時には予備校通学で毎日市電で内浜を経由していたのに、その時も全く気付きませんでした。
    『東北展』にはタイミングが合いませんが、今年も京都観桜を予定しており、是非立ち寄ってみたいと思っております。

  2. 河さま
    さっそくコメントを頂戴し、ありがとうございます。私自身も市電時代には全く気が付いていませんでした。だいたい架線修理車は、車庫に置かれているのが常で、独立して詰所があったとは意外でした。新聞紙上を賑わしたのも近年のことで、ほとんど知られていなかったようです。
    毎年、京都観桜へ来られていることお聞きしています。お時間ありましたら、ぜひ市電の面影を感じていただければと思います。居心地のよさそうな、オシャレな店内ですよ。

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