京津線800型新塗装

6月の石坂線600型新塗装に続き、京津線800型1編成も8月8日より運用に入りました。8日から運用開始したと聞きつけて、先週の日曜日石山駅の引込線を見た帰りに、浜大津付近で待ち受けました。運用ダイヤを調べてもわからなかったため、待つこと3本目、新塗装色がやってきました。思っていたほどの違和感なく案外似合っているのかなという気がします。みなさんよくご存じで、1本前の通常塗装車の時には誰もいなかったのに、新塗装色が併用軌道に入るころにはどこからともなく10人程度の同業者が現れました。

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昔々のことー京都市電①

頼みもせんのに「画像処理ソフト」なるものを売りつけられた腹いせまぎれに、まず京都市電をあげてみようと思います。

京都駅前の2600型(2603+2604)の連結車です。
連結部
両方の車端部にあるのは、今でいう「転落防止柵」でゴムチューブ2本を専用の棒で突き刺したものでした。

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北方見聞録 北の大地、シベリア鉄道をちょっと見の旅 Part20 ウラジオストクのケーブルカー

【  ウラジオストクのケーブルカー Владивостокский фуникулёр)
極東連邦大学
の学生と観光客輸送のために1959年に建設が始まり1962年5月に完成した極東ロシア唯一のケーブルカーです。

全長;183m、運転速度;2m/秒、所要時間;1分30秒、上下差;70m、運転間隔;3分~5分、営業時間;7:00~20:00

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こんなモンしかありまへん![中学修学旅行編 その2]

韮山の反射炉を見学して沼津から京都に向かいます。

⑥御殿場線のD52

跨線橋を渡って向こう側のホームに行きたいのですが、許されません。次々といろいろな列車が出入りして 待ち時間も苦になりません。

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こんなモンもありまっせ!【中学修学旅行編】そのⅢ

中学の修学旅行は朝に京都を発って夕方に草薙?だったかで下車しました。その間の車窓がこのシリーズです。ゆっくりと “東下り”を楽しもうとしていましたが、会員諸氏が「隠し球」写真を次々と出し始めたので先を越されまいと急ぎます。

①国鉄袋井駅 静岡鉄道駿遠線ハニ1、ハ9、ハ22(西村雅幸氏解説)

走る列車からのぶっつけ本番ですから写っている方が奇跡です。大抵がブレていたり電柱が入っていたりですが恐れずに公開します!

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北方見聞録 北の大地、シベリア鉄道をちょっと見の旅 Part19 ウラジオストクのトラムに乗る、撮る

【 ウラジオストクのトラム 】
1912年10月9日に開業、1933年までは1,000㎜ゲージで建設運行されたが1934年からは1,524㎜に拡幅されました。1991年には総延長18.4㌔に達し最盛期を迎えましたが、車社会に負け廃線が相次ぎ、現在は1系統のみが残り運行を続けています。4タイプ26両が在籍しているはずです
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こんなモンしかありまへん![中学修学旅行編 その1]

米手作市様が「こんなモンありまっせ!中学修学旅行編」を連載されていることに背中を押してもらった気がして、私も恥ずかしながら昭和39年3月の写真を紹介させて頂きます。カメラはハーフサイズのPEN-Dでした。ネガをスキャンしようとすると ネガは八ツ橋状態で端が切れたり 鮮明な画像が得られません。しかしどうしようもないので、無理やりスキャンしました。眠たい画像で失礼します。

①下り特急「こだま」 草津~彦根間のどこかの駅

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北方見聞録 北の大地、シベリア鉄道をちょっと見の旅 Part18 シベリア鉄道 ウラジオストク駅を見る

第9日目 7月17日 その1
▲ 7:27 ホテルで朝食後はウラジオストク駅に向かいました。ホームにはかつてシベリア鉄道で活躍したEa型蒸気機関車が朝日を浴びて輝いていました。動輪は5軸ですので貨物用だったのか?
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カラフルDC-半世紀前、盛夏編

残暑お見舞い申し上げます。
昨年に続き『真夏の蒸機』を考え、記事も途中まで書いたのですが、もうひとつパッとせず、諦めて、DCにしました。以前加太のDCを投稿したのですが今回はそれ例外の場所です。炎天下になかなか来ない蒸機を待つ間、さっと通り過ぎたDC。高価なフィルムが勿体無くてあまり気乗りせずに撮ったDCですが、今はやはり貴重に感じるものです。DCの形式を私はよく間違えます。気を付けますが、間違いあればご指摘下さい。

先ずは米坂線。先だってより、蒸機39685の写真をさいたま市役所に飾って頂いていますが、それはこれと同じ場所の地上から撮ったもの。下の画像は山から俯瞰した準急『あさひ』です。仙台発仙山線、奥羽線、米坂線、白新線経由新潟行き。上下各2本あり、鉄橋とトンネルが続く深山幽谷地帯を行くキハ58系が画面左に進行します。一面緑でDCの色がよく映えます。同じ位置から撮った貨物列車の画像は蒸気も見えず、緑と黒だけ。見栄えがしませんでした。
▼米坂線 玉川口-小国間 607D 『あさひ1号』 1965.8.17      C1521 続きを読む

今日の尾道駅

湖畔の住人Y先輩から半世紀前のお宝映像が次々と披露され、次は何が登場するだろうと デジ青を開くのが楽しみな今日この頃です。先日紹介された尾道駅停車中に車窓から撮られたのであろう尾道鉄道を拝見し、早速プリントアウトした写真1枚を手にして 尾道駅へ行ってきました。

平成29年8月16日 尾道駅上りホームから見た尾道鉄道乗り場の一部

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北方見聞録 北の大地、シベリア鉄道をちょっと見の旅 Part17 サハリンからロシア本土のウラジオストクへ

今日はサハリンから帰路の旅となります。Part15でも述べましたように当初はユジノサハリンスクからの直行便で成田に帰るはずだったのですが、行程が決まって申し込んだ後で突然にオーロラ航空が6月18日からの休航を発表しました。発表前にもロシアに折角行くのだからウラジオストクにも寄りたいねと冗談ですが言っていましたので、これが現実となったのです。
NETさんのようにトランジットで帰国する事も選択肢だったのですが、次はいつ行けるか、もう行く機会はないかもしれないロシアです。一回ぐらいは行って見てみたい気持ちが大きくなりました。即決で2日間の追加滞在に賛成しました。
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石山駅の引込線

JR石山駅の周辺には大きな工場がいくつかあり2方向に専用引込線がありました。現在はいずれも廃止されておりその痕跡もだんだんなくなってきています。米手作市様の“こんなモンもありまっせ!中学修学旅行編その1”の最初の写真は東レ滋賀事業所の引込線を撮られたものでした。このあたりは在職時代によく歩いたところでしたので現在はどんな具合になっているのか久しぶりに訪れました。ついでにもう1か所の日本電気硝子引込線にも行ってみました。
訪れたのはこの地図の左側が東レ専用線、右側が日本電気硝子専用線でJRの線路から下方向と上方向に伸びているのがわかります。図中の番号は写真を撮った位置を表しています。

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昔々のこと

米手氏の小さな親切(大きなお世話)により、「こんなもんありまっせ」にちょこっと参戦してみることになりました。
ベテラン各氏のお目を汚すことになるのをお許しください。

これは誠にナマクラな写真で、自宅(四条堀川西入ル北側)前で、雪の朝に(何の意図もなく)西を向いて何となく撮ったものです。
1962年(昭和37年)頃のはず。まだワンマンカーになる前の600型7系統(四条通ー東山通ー九条通ー大宮通の循環線)です。

 

高岡、富山から暑さのお見舞いを申し上げます

台風5号が通り抜けた2017年8月9日の万葉線 高岡駅前の通りです。1日から7日の七夕祭りが終わり静かな町に「あさがお」がきれいに咲いていました。赤いアイトラム1006号が末広町から高岡駅へ走って行きました。
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北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part16 ユジノサハリンスク遊覧、サハリン鉄道最後の撮り鉄

▲ ユジノサハリンスク駅のヤードで静かに休む樺太最後の蒸気機関車、D51-4号機(日本車両製)です。
戦後の1949年(昭和24年)にソビエト連邦からの要望でD51形蒸気機関車30両が他の客車等と合わせて輸出されました。日本仕様と違っているのは防寒のための密閉構造と、形式と車両番号間にハイホンが入った表示をしてあることです。仲間たちが廃車されていく中、最後に残ったのはD51-4号機で観光列車に使用されていました。

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