ユースで巡った鉄道旅 -5-

雪の長野で寺に泊まる

前回は、旅館に併設されたユースを紹介しましたが、今回は寺院のユースです。広い寺院の部屋を利用したユースホステルは、全国にたくさんあり、私も各地で泊まった経験があります。ただ設備・食事ともイマイチのところが多く、いい目をした思い出は全く残っていません。

ここで採り上げたのは、長野・善光寺の中にあった塔頭の教授院というユースホステル。ここに泊まったのは高校2年のとき、最初で最後となるスキーに友人と飯山線戸狩へ行き、その後に一人で泊まったところ。だだっ広い部屋に、満足な暖房もなく、寒さに震えて眠ったことしか印象に残っていません。朝、出発しようとすると、濡れたままにした長靴が凍ってしまい、滑りそうになりながら、駅への坂道を急ぎました。

 

朝の長野駅で写した181系電車、長野発上野行「あさま」。昭和41年10月にデビューしてから1年余りしか経っていないから、モノクロ写真で見ても車体が輝いているのが分かる。ボンネットに太い帯を入れた181系を見たのは、これが初めてだった。151系に比べて、何か足りないと思ったら、低トンネル対応で運転台上部の前灯がなかったのだった。

長野駅舎は、まだ善光寺をイメージした寺院建築風だった。その後、1996年に長野新幹線に合わせて駅舎が新しくなった。このような地域色豊かな駅舎も今や少なくなってしまった。長野電鉄の駅もまだ地上だった。駅裏にも長野機関区、長野工場が広がっていたが、ここもすっかり撤去され昔日の面影はない。

  

長野駅で写したあとは、篠ノ井線姨捨へ向かった。その頃の「鉄道ファン」撮影地ガイドに紹介されたところで、陰影を利かせた記事のような写真を撮りたくてやって来た。篠ノ井線は寸前に旅客列車は無煙化されており、貨物のみが長野区の特徴あるスタイルのD51が牽いていた。姨捨のスイッチバックの駅構内、眼下に広がる善光寺平の光景、さすがは日本三大車窓のことはある雄大な風景だ。桑ノ原信号場へ向かっていると途中でトンネルがあり、高校生では一人で通り抜ける度胸もなく、急斜面を登って、トンネル上の道路を目指した。フーフー言いながら、下へ降りた途端に、D51の牽く貨物が迫ってきた。

スキーで訪れた飯山線、しかし、ここは蒸機に執心する高校生、まずは飯山機関区を訪れC56を撮影する。この日も、すごい雪、というか飯山線ではごく普通の降り方だろうが、駅はうず高い雪で埋まっていた。駅で写したのが、スキー臨時急行「信越銀嶺2号」C11211+旧型客車3両。この頃のスキー臨時列車には、地域名を冠した「○○銀嶺」の愛称が多かった。「信越銀嶺」は、上野を夜に出て早朝に豊野まで急行として運転、以降は普通となり、スキー場のある戸狩で終着となる。写真は、飯山駅に停車中の上り列車で、昼行列車で上野を目指す。飯山線は冬季にスキー列車で忙しく、機関車も他区から借り入れしてしのいでいる。この機も美濃太田区から借り入れられた。