ハチロク御召の走った日 (2)

御召の回送を撮ったあと、少し六条駅寄りに移動し、本番の撮影を田んぼの中の直線区間に定めました。御召の撮影とあって、ありったけの機材を動員します。タクマー135mmを装備した虎の子アサヒペンタックスSVを、パチパチ三脚に着け、ゴム球のレリーズを付けてモノクロ一発必中、得体の知れないマミヤ製のEEカメラには、ブジカラースライドを入れて、手持ちで連写とします。待つこと2時間余り、近くの踏切の警報器が鳴ると同時に、はるか向こうから、赤白の日章旗が目に入りました。胸の高鳴りを感じる一瞬でした。

本務機88635、補機28651、2両のハチロクに牽かれた1号編成の御召列車は、音もなく近づいて来た。逸る心を抑えながら、まずレリーズでモノクロ一発、続いてカラーで連写する。秋の陽を受けて、御料車がまばゆいばかりに輝いているのだけは覚えている。
実は、この昭和43年に、別のところでハチロクの御召が予定されていた。それは、5月にあった秋田県の植樹祭での花輪線大館~十和田南間の御召である。ところが、その一週間前に発生した十勝沖地震で、すべては中止されてしまい、ハチロク御召も幻となってしまった。
それだけに、今回は、最後の蒸機御召ではないかとの噂が、多くの撮影者を集めた一因となった。ところが、案に相違して、その後も毎年のように各地で蒸機御召が運転される結果となり、ハチロクに至っては、翌年の松浦線でもさっそく御召を牽いた。

後を向くと、近所の人たちの歓迎の人波があった。写真撮影の準備をしている時だったが、ひとりの婦人から声を掛けられ、写真をあとで送ってほしいと言う。聞くと、御召の28651の正機関士である北さんという方の奥さんだった。その後、機関士の北さんとは何度か写真を交換し、御召運転の苦労など、いろいろな話を聞かせてもらった。

御召は福井まで運転されたあと、牽引機は福井機関区まで回送された。下車駅の越前花堂に機関区が隣接しているので、歩いてすぐに機関区へ駆けつけ、回送到着後の区員の記念撮影などから見ることができ、そのあとは、撮影用に開放された。ロッドが揃えられなかったのは残念だが、撮影には邪魔のない好適な角度である。
この本務の88635(御召では先頭を本務、次位を補機とする位置づけになっているようだ)は、前照灯以外は、完璧なハチロクだ。今まで、越美北線の貨物牽引の地味な仕事に従事していた同機だが、一世一代の晴れ姿を披露していた。