駅名喫茶店(第15回:〇〇港)

〇〇港といっても、今回は〇〇空港を除外としました。筆者は、いつかフェリーさんふらわあに乗船してみたいと思っております。まずは、南海フェリーでもよいかもしれませんが。

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駅名喫茶店(第14回:わ行の駅名)

9,000を超える駅名ですが、わ行となると65駅名しかございません(奈良の駅名研究家調べ、誤りがあればご指摘願います)。そこで今回は、その65駅名をすべてご紹介します。読者の皆様はこの中でいくつの駅を訪ねたことがあるでしょうか。

山陰本線には和知駅があります。

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迷惑な「瑞風」

2017年から運行が始まったJR西の豪華寝台列車「トワイライトエクスプレス瑞風」はコロナ禍でも運行が続けられてきたように思います。私も何度か撮影に出向きましたが、乗るものではなく、見るもの、撮るものという高嶺の花です。昔風に言えば、電気式気動車ですが、電車風に言うと4M6Tです。寝台列車ですから寝台車にはエンジンを搭載せず静粛性を確保する代わりに、両先頭車(キイテ87)、ラウンジカー(キラ86)、食堂車(キシ86)の4両の床下に発電用のディーゼルエンジン(コマツ製SAD140HE-3)を2基ずつ搭載し、計8基のエンジンで発電機を駆動し、すべての電力をまかなっています。長時間停車時でも、空調などのために常時発電するため、エンジンを止めることはありません。撮影しやすい尾道駅での長時間停車を撮りに行った際に、その騒音の大きさに驚いたものです。案の定、夜間長時間停車の糸崎駅周辺住民からの苦情が新聞に載りました。

令和4年12月1日 中国新聞朝刊

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 道東の“駅”を「記念消印」で巡る  ⑦

釧路湿原のなか、車窓に釧路川を眺めながら、細岡に到着する。いかにも道東の駅らしい、ゆったりとして、きれいに掃き清められた駅だった。C58 127の牽く、網走行きの混合列車と交換する。

細岡 (ほそおか)

広大な釧路湿原を眺めて到着する。昭和2年の開設、駅名の由来は、鉄道建設の際に監督官の姓であるとする説もある。当時は二線の相対式の駅構造だった。通過する釧路発根室標津・小樽行き「大雪3号」。

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ここはどこ?わたしはだれ?京都市電編 ④終

それでは続けて参ります。

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駅名喫茶店(第13回:名鉄の駅名)

今回は、デジ青ではあまり話題にあがることのない名鉄です。多種多様な路線を抱えており、近鉄にも負けない路線網を保有している会社であるといえます。その分、駅名も多いですね。

難読駅名もいくつかあります。

今は廃駅の「西中金」をどこで切って読むか分からず、「さいちゅうきん」と読んだことは、今でも反省しております。

では参りましょう。

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保存蒸機とその現役時代(49)C621

昔の乗り物絵本には大抵C62の「つばめ」や「はと」が出ていた。それを写真に実現した山科の鉄道写真界の人間国宝佐竹先輩には毎度のことながら羨ましき限りである。もっとも今の若い方には撮れただけでもええやないかと言われそうであるが今回はそのC62のトップナンバーである。私の撮影時(1963-1964年)の山陽本線は架線が張り巡らされていたが走るホテルと言われた20系ブルートレインは何れもC62牽引で、撮影可能な下り1列車「さくら」、7列車「みずほ」が広島運転所(旧広島第二区)、3列車「あさかぜ」、5列車「はやぶさ」は下関区の担当であった。また、その他の急行列車もC62若しくはC59が牽引し、正しく夢のような時代であった。この様な中でトップナンバーC621は一度も優等列車牽引に巡り合わなかったのは残念である。しかし、トップナンバー故なのか広島で保存の後に梅小路の京都鉄道博物館に静態で保存されている。訪問した日は何れも雨だった。

C621略歴:1948(昭和23)年 1月 日立製作所笠戸工場にて落成 製造番号1921

新製後広島第二区に配属、1950(昭和25)年8月から1957(昭和32)年9月のおよそ7年間は宮原区で特急「つばめ」、「はと」など主力列車を牽引したが、再び広島に配属され1967(昭和42)年7月に同区で廃車となった。

1963(昭和38)年3月27日 下関 221列車柳井発門司行きを牽引後機関区へ向かう▼

1964(昭和39)年7月23日 横川-己斐(現西広島)229列車大阪発門司行き ▼

1968(昭和38)年3月27日 下関 C621ナンバープレート▼

2011年4月23日 小雨煙る中、屋外展示中のC621 ▼

2022年11月13 日 ホームカミングデイ総会の直前に撮影 北海道にいたC551と庫に並んで展示中 ▼

 

 道東の“駅”を「記念消印」で巡る  ⑥

標茶に到着したC58 127の牽く釧路発網走行き630レ、標茶からは標津線が分岐し、中標津を経て根室標津までの69.4キロと、中標津から根室本線の厚床まで47.5キロ、計100キロ余りが標津線だった。写真のように多くの乗り換え客で賑わっていた(1969年9月)。

標茶 (しべちゃ)

昭和2年の開設、昭和の時代は根室標津方面への標津線が分岐していたが、平成元年に廃止された。駅前には「道東鉄道発祥の地」の碑があると言う。これは、釧網本線の開業より、もっと早く、明治20年に釧路鉄道が、硫黄の積み出しで釧路川の河港の標茶まで開通している。また標茶町営簡易軌道が各方面に延びていたが、昭和46年に廃止されている。

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撮った写真の楽しみ方:本にしてみるネタ

おひさしぶりです。88年度生のこぱんだの保護者です。
今回は、「撮った写真の楽しみ方」というネタです。

娘と撮影 続きを読む

お城と電車(11)江戸城

江戸城と言えば太田道灌が築城(1457年長禄元年)したと習った記憶がある。その後、徳川の本城として家康、秀忠、家光三代が改修、各地の諸大名を総動員(こきつかった)して広大な城郭をつくりあげた。天守は1607年慶長7年)につくられたが明暦の大火等で現存していない。過去にNHKブラタモリでも江戸城が放映されたが敷地は日本一でどこまで続いていたのかのかよくわからない。

2003.5.1 西の丸のシンボル伏見二重櫓と続き多聞櫓 ▼

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 道東の“駅”を「記念消印」で巡る  ⑤

緑 (みどり)

昭和6年の開設、当時の駅名は上札鶴だった。上斜里村が、清里町に改称された際に、行政地名も、上札弦から「緑町」に改称され、駅名も昭和31年4月に同時に改称された。「緑」にとくに由来はなく、佳字であることから選ばれたのだろう。「色」に由来する駅名なら第一に選ばれるはずだ。これも調査は、奈良の駅名研究家さんに任せたい。

初めて訪れた昭和43年、緑で交換するDE10の牽く貨物列車、当時、客貨混合はすべてC58牽引、逆に貨物はDE10化されていた。

緑郵便局の記念消印、こちらも駅舎が描かれている。

 

 

 

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 道東の“駅”を「記念消印」で巡る  ④

なかなか連日更新とは行きませんが、釧網本線の駅めぐり、続けます。

清里町 (きよさとちょう)

昭和4年の開設で、当初は村名に合わせた上斜里だった。昭和30年に町制を敷き清里町となり、駅名も改称した。本来なら「清里」のはずだが、小海線の清里と区別のため、「町」を付した駅名とした。北海道で「町」や「市」を付した駅名は比較的少ないと思われるが、奈良の駅名研究家さんの報告を待ちたい。

清里町50年間の定点対比、カーブした対向式のホームは変わらない。ホームの待合室や樹木は無くなってしまった。何よりも、50年前には、これだけの男女高校生の乗降があったのには驚く。

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ここはどこ?わたしはだれ?京都市電編 ③

反応が少ない中、紫の1863さんや乙訓の老人の甥さんにがんばっていただいております。感謝申し上げます。

続けて参ります。

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上越路のEF5861

11月15日にデカンショまつり号氏が大宮鉄道博物館にEF5861が保存されたことをご紹介頂きました。この記事を拝見し、そう言えば 私が4年間高崎で過ごした際に61号機に出会ったことを思い出し、写真を探してみました。平成12年から13年に撮影していました。当時の所属区名板は「田」、田町でした。

平成13年1月6日 上越線井野駅を通過する「EL&SL水上号」。先頭はC58363。次位がEF5861。

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屋久島の森林鉄道初見参 Part6 鹿児島市電に乗る

第4日目 11月4

今日は夜のJAL便で帰宅しますが日中の時間はたっぷりとあります。鹿児島市電は前々回に4日間をかけて撮影に励みましたので同じ写真を撮るのもどうかと思いました。今日は全線を乗り鉄しながら変化がないかどうかの確認です。
前々回の訪問は4年前の2018年4月27日からでした。車両等の説明は前々回の訪問記をご覧ください。今回は省かせていただきます。
▲ 7:39 ホテルで朝食後、いづろ通りに出て撮影開始です。2両しかいない9700形のトップナンバーが来ました。

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 道東の“駅”を「記念消印」で巡る  ③

クローバー会「ホームカミングデー」の感動の余韻に浸る間もなく、デジ青復帰します。集まりでも、デジ青について述べさせてもらいましたが、投稿する側からすれば、あれこれ議論する前に、とにかく投稿を続けることが最善の道だと思い、私もセッセと載せて行くことにします。

浜小清水

大正14年の開業、当初は「古樋」という駅名だったが、市街地の小清水が、8キロほど内陸側にあるため、「浜小清水」と改称された。急行が健在な頃は停車駅で、駅も二面三線の交換駅で、側線も多かった。いまは対向式の二線駅になっている。浜小清水を発車する網走行き、C58+客車3両、側線には多くの貨車が留置されていて、貨物扱いも多かったことが分かる。左手のオホーツク海には流氷が広がる。
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駅名喫茶店(第12回:近鉄の駅名)

ネタが見つからない訳ではございませんが、今回は会社ネタでいきましょう。まずは、私の地元を走る近鉄です。いろいろな話題を提供しますので、皆様、コメント欄で盛り上げてください!

近鉄駅名読みがな数ランキング第3位

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1987年を振り返る(その4)

10月4日、同志社大学鉄道同好会30周年記念号では、宮原客車区から始発の京都駅までの送り込み回送の添乗を担当した。ここでの用務と言えば、荷物の積み込み、確認と向日町区でのサボ取り付けくらいしかない。これを同じ85年度生のK氏と一緒に行うのが仕事であった。

1987.10.4 宮原客車区

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EF58 61 鉄道博物館に収蔵

EF58 61が鉄道博物館に収蔵され、期間限定でお召装備で展示されているとのことで、11月5日、新潟車両センターの公開の帰りに、大宮で途中下車して、行ってまいりました。

展示場所は、入り口正面です。さすがに他の展示車両と異なり周囲を硝子板が囲ってありますので、なかなか撮影づらい状態で展示されています。その上、入れ代わり立ち代わり写真を撮る人がいるので、なかなかタイミングが難しいです。

15時過ぎ行ったのも、閉館まで粘って、人がいなくなったらとの思いでした。

待っていると偶然、外を後継のE655系「なごみ」が通過しましたが、突然のことでタイミングを逸してしまいました。

窓の外の茶色い線がE655系「なごみ」です。

どうやったら、うまく撮影できるか? いろんな場所から検討してみました。2階からは、上の写真にあるように車体に梁がかかります。

下に戻ろうと下りのエスカレーターに乗ったとき、閃きました。

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1987年を振り返る(その3)

9月6日、秋田の大学の友人を訪ねることになり、青春18利用なので、大垣夜行340Mで東京まで出て、上野から常磐線に乗り換え、北上する。日立電鉄に乗るため、大甕で降りる。上野から鈍行では約2時間半の道のりである。

1987.9.7 鮎川から大甕まではほぼ常磐線と並走

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