しばらくぶりの再開です。
ここしばらく公用・私用でパソコンの前に座る時間が無く、その上スマホの態度が悪く、追放蟄居を申しつけて、新しいスマホに交換しましたが、アプリのインストールやデータのダウンロードなど、深夜作業が続いてバテました。
さあ、心機一転、再開します。
しばらくぶりの再開です。
ここしばらく公用・私用でパソコンの前に座る時間が無く、その上スマホの態度が悪く、追放蟄居を申しつけて、新しいスマホに交換しましたが、アプリのインストールやデータのダウンロードなど、深夜作業が続いてバテました。
さあ、心機一転、再開します。
第3日目 11月3日
今日は1日2回、干潮の前後約2時間のみ入浴可能な、海の中から湧き出ている珍しい温泉、「平内海中温泉」へと参ります。泉質は単純硫黄泉で神経痛、リウマチに効能あり、入浴の際は水着着用は禁じられている混浴露天風呂です。観光案内所で聞いておいた今日の干潮時刻は、8:53と到着時刻にピタリと合いました。
浴後はバスで宮之浦港へ向かいフェリーに乗船して鹿児島へと行く予定です。
① 高校前 8:04(屋久島交通バス)⇒9:20 海中公園
▲ 海中温泉は宿泊していますホテルからみて島の反対側にあります。バス乗車での所要時間は 1時間16分、路線バスにしては長い乗車です。
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今回は、都道府県名を含む駅名です。北広島(千歳線)、和泉鳥取(阪和線)のように、必ずしもその駅名が示す都道府県に位置していない駅名もあるのが興味深いですね。これを機に歴史的背景も学んでいきたいと思います。
では、早速いってみましょう。【2023/5/7加筆修正済み】
第2日目 11月2日 その2
① 屋久杉自然館 14:00(荒川登山バス)⇒14:35 荒川登山口
13:35 荒川登山口に向かう登山バスの発車時刻が近づいてきましたのでフロントのお嬢さんに発車するバス停はどこかをお聞きしますが、全く説明ができません。困ったものです。登山口行きのバスは1日3本で2本はお嬢さんが出勤前の早朝に発車しています。私が乗りたいもう1本が14時でこの時間から縄文杉へと向かう客は珍しいのかもと思いました。何とか聞き出し急いでバス停へ向かいました。
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過去のデジ青等で触れられていたら申し訳ありません。駅名にも疎い私ですが、道内完乗を目指して湧別迄行った昭和57(1982)年5月2日に途中に中湧別-湧別間に四号線という駅がありました。このような駅名は珍しいのですが、開拓時代の道路が近くの線路を跨いでいてつけたのではないかと勝手に推察しています。他には似たような駅名で宗谷本線も和寒-剣淵間にも東六線という駅があったようです。また、北海道のバス停に〇〇宅とか言うのがありました。これらは人口希薄と開拓が関連しているのかもしれませんが、わかりましたら教えてください。簡易停留場なのでしょう。駅名辞典のようなものがあったと思いますが、駅開設日や駅名の由来などが出ていたのではないでしょうか。
また、湧別ー中湧別間は何線だったのでしょうか。交通公社時刻表では湧網線に読めますが、弘済会の道内時刻表では名寄本線に読めます。何れにしましても今はなき路線で中湧別-四号線-湧別の4.9kmの盲腸線です。
四号線駅板 ▼
寂しい行先板と湧別駅のキハ22321 ▼

この年の春、鉄道界にとって大きな出来事があった。日本国有鉄道がJRグループに生まれ変わったのである。ところが、私はというとこの頃、鉄分が限りなく薄まっていた。
4月1日は、JR発足の記念すべき日だが、私のところにアルバイトにいそしんで買った中古のセダンがやってきた。余談だが、このセダンにはターボがついており、ターボチャージャーが過給すると、誇張もあるがジェット機が離陸するように加速した。この車を乗り回すことに夢中になり、ターボが「ヒューン」と音を立てて、景色が飛ぶのと同じく、私の「鉄道」も後ろに飛んで行った。(ような気がした。)
5月、もう一つ京都の鉄道界にとって大きな出来事があった。京阪電鉄の京都地下線開通である。当時の青信号56号を読み返すと、構想以来半世紀、工事着手以来丸8年、総事業費650億円をかけて~と書かれており、まさに大事業だった訳である。私はというと、鉄道同好会とは別に、テニスのサークルにも入っており、地上線最終運行の23日は、こちらのサークルの新歓コンパが三条河原町であり、最終運行どころではなかった。ということで、この年の春先から初夏にかけては全く鉄(写真撮影や乗りに行くこと)をしていない。
このように、鉄分は薄まっていたが、本能というか本性が呼び覚まされると立ちどころに元に戻るものである。読者のみなさんの中にも、鉄に出かけているのでなく、出張などの用務で遠出した際、線路や駅舎を見ただけで興奮した経験をお持ちの方は多いだろう。
テニスのサークル夏合宿は、河口湖だった。その下見に行った際、時間を見つけて富士急行の電車を撮影した。春から夏にかけて、いろいろなことがあったが、私は鉄道に回帰した。

1987年6月11日 富士急行5700型(元小田急2200) 河口湖
先月、旧一等展望車マイテ492が、京都鉄道博物館に収蔵されたとのことである。もともと大阪弁天町の交通科学館で展示されていたのだから元に戻ったというべきかも知れない。
1987年(昭和62年)10月4日、このマイテ492を繋いだ特別列車「同志社大学鉄道同好会30周年号」が走った。その時、私は3回生だった。この列車には、OBも大勢乗っていただき、後にOB会、クローバー会発足のきっかけの一つとなった、とも伺っている。当時、現役生としてこの列車の運行に少し関わった者としては、よかったと今でも思っている。ただ私は、この特別列車走行の企画運営の主軸として関わったのではなく、当日運営要員の1人として居たに過ぎない。このツアー列車の運行の記録は、昭和63年(1988年)発行の青信号57号に詳しく書かれている。今読み返しても、事前の各種準備から当日の仕切りまで主導的な役割を担った会員と、その取り組みに助言をし、見守ったOBの熱い想いが伝わってくる。これ以上の記録はないと思っているので、私が担当した宮原区から京都駅までの送り込み回送添乗のみ少し後で触れたい。

1987年10月4日 宮原客車区
第1日目 11月1日 その2
▲ 13:24 空港前のはずれにあった屋久島観光案内所、おばさんが一人で切り盛りされていました。まずはバスのフリーきっぷ、屋久杉自然館から登山口の荒川までの往復バスきっぷの購入、平内海中露天風呂が入れる干潮時間を聞いておかねばなりません。 続きを読む
【 変更予約できるマイレージ空席がない 】
中国のナローゲージ訪問に一緒に行っておりました一路順風さんから昨年、屋久島に走る森林鉄道があるが一緒に行ってみないかとのお誘いを受けました。OKを出して航空券やホテル、レンタカーの手配を終えましたが出発直前になって牽引機のDLが故障して運休となりました。年代物のDLの交換部品は特殊で容易に確保できず一時は3月には確保との情報も入りましたが、誤報でまだまだ延期せざるを得ませんでした。
最初にJALマイレージ予約した航空券の有効期限は1ケ年ですが現在11月1日で延長した予約が入っています。JALに電話しますと11月末には失効しますが残念ですが有効期限内のマイレージ席の空席はありませんとの事です。キャンセルしてもわずか600マイル程度しか戻っては来ません。新たに正規購入するには、42,590円もする航空券です。貧乏性の私としてはそんなもったいない真似は出来ません。時間はたっぷりとありますので次回訪問できるようになった時のためにマイレージ航空券は生かして下見に行くことにしました。
第1日目 11月1日
① 長岡天神 9:32(阪急・特急)⇒9:59 十三 10:03(急行)⇒10:13 蛍池
② 蛍池 10:26(大阪モノレール)⇒10:29 大阪空港
▲ 9:32 9時過ぎには余裕をもって自宅を出て阪急・長岡天神駅へ、十三で宝塚線に乗り換えて蛍池へ、大阪モノレールに乗り換えて伊丹空港に到着です。
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2020年11月23日にC5744を投稿して以来およそ2年ぶりの同一テーマでの投稿である。掲載できる写真が枯渇してきているが動態保存機も含めできる限り発表していきたい。
久しぶりの今回は東京JR新橋駅前に鉄道発足100周年を記念して昭和47(1972)年より鎮座しているC11292である。SL広場として知られており待ち合わせなどに利用されているが、街の景観はどうあれこれ以上の目印はない。
この機関車は多少機関車趣味に覚えのある人には戦時設計の粗悪車と感じるはずである。角張った砂箱、蒸機溜がそれを物語っているし、除煙板も改造をうかがわせる。
生まれは昭和20(1945)年2月と私と同じ年である。日本車両名古屋の製造で廃車されるまで姫路(私の記憶では姫路1区)から出たことがないという。播但線や姫新線を嫌というほど走り回ったことであろう。兵庫県に縁のある私も播但線はC55、C57を撮りに行ったことはあるが、姫路近郊の通勤列車牽引のC11はほとんど撮ったことがなく姫新線に至っては乗ったことがない。ところが関東のクモハ73106東ウラさんがこの機関車を撮っておられたので発表させていただく。
1970.3.24 播但線溝口 ▼

My beautiful picture
1970.3.24 姫路区 ▼

My beautiful picture
2022.10.26 新橋駅前のC11292で今年塗り替えが行われた 戦時設計スタイルの角張った二つのコブが特徴 ▼

2022.10.26 同機説明板 ▼

いよいよこれからが本番の「京都市電編」です。
写真は開通間もない京都市電を市内各所で撮影したものです。
それだけに京都にゆかりのある我々は撮影場所を正確に言えなければなりません。
幸いにも京都の風景は他都市に比べて変化が少なく、今でも当時と変わらない町並みが残っているところもあります。よーく写真の細部を見て何処で撮られたのかを言い当ててください。地元ですからどの方角からどの方角に向かって撮ったのかも、現在の同じ場所の写真があれば貼って比較させてください。
撮影時期も大体でもいいので教えてください。
では、はじめ!
トンと“デジ青”に疎遠状態が続いています。「デジ青投稿なんて、習慣化すれば何でもない」と吹聴しておきながら、用事が立て込むと、全く習慣化できません。時に優しく、時にきびしく、いつも意見を頂戴する、約1名の方からも「ええ加減に出さんかい」とメール連絡を受けています。とくに老人の場合は“投稿があるのは生きてる証拠”にもなりますから、生存証明のためにもセッセと書くことが大事です。
さて、デジ青に“駅”テーマがあふれて何よりだと思います。なにしろ駅へ行かないことには鉄道に乗れませんからね。「鉄道に乗らない鉄道ファン」へのアンチテーゼでもあると高齢者らしい見方をしています。そこで高齢者も乗せてもらって“駅”テーマと思った次第ですが、少し趣向を変えて、郵便局で押される記念の消印〈小型印〉を絡めた話題です。
タイトルの「道東の駅」とは、釧網本線、根室本線のこと、昨2021年は、郵政事業150年、根室本線(釧路~白糠)開通120周年、根室本線全通100周年、釧網本線全通90周年と、道東の鉄道では記念の年となりました。そこで駅近くにある郵便局44局で独自の記念消印を作成、駅と郵便局が地域とともに歩んだ歴史を振り返ることになりました。押印期間は2022年9月で終了しましたが、ほぼ全郵便局の消印を、郵便依頼でコンプリートすることができました。釧網本線、根室本線と言えば、私にとっては54年前に初めて訪れて以来、何度か乗り降りをした、思い出深い路線です。なかなか現地まで行くことができない今、当時の風景と消印をセットにして、道東の駅を語ってみたいと思います。▲郵便局のHPから「小型印のごあんない」
今回が節目の10回目です。いよいよ、タグ一覧にも「駅名喫茶店」が登場したかと思います。タグをつけた投稿回数に比例して、フォントサイズが大きくなる仕様ですので、目立つサイズまでは頑張って投稿を続けたいと思います。
さて、年末が近づき、ぼちぼち年賀状作成といったところでしょうか。第10回目では、干支の動物(の漢字)を含む駅名をまとめてみました。なお、「子」という漢字も今回は対象駅としました。
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【遠野市】 39.337849, 141.538413 2021年9月26日撮影
オハフ46 2005
遠野に行くと、駅前の池で河童が寛いでいたり、座敷童などもいるそうであるが、それよりも非常に珍しい客車を見ることができる。以前はビヤステーション恵比寿、その後目白倶楽部にいたので東京近辺の方はよくご存じであろう。展望デッキ廻りはSLやまぐち号のオロテ35・スハテ35よりバランスが良いと思う。「無限」という小さいテールマークまである。台車はTR23ではなくTR11で、阿寒炭坑と鉄道館のオハ62 95がはいていたものだそうである。現在グーグルマップでは阿寒炭坑と鉄道館に台車は見えない。
車内には鬼滅の刃の衣装や小道具が多数陳列してあり、コスプレ用品を取り扱っていたのかもしれない。
撮影後、遠野駅に戻って上りのSL銀河をゆっくり見学でき、花巻では駅近くの材木町公園でデハ3も見られて良かった。
◆スハ43 122(1952年新製 川車)→(1962年改造 大宮工)オハ47 65→(1966年改造 大宮工)オハフ46 2005→1985年廃車。
2022年11月1日(火)、愛知県の愛・地球博記念公園内にジブリパークが開園しました。開園を記念(?)いたしまして、今回は「公園」を含む駅名をまとめてみました。皆様の「公園」にまつわる思い出話をお聞かせくださいませ。【2022/11/05 加筆修正】

話題が古すぎるのか、若い方からの反応がイマイチで、少しガッカリしている所ですが、気を取り直して国鉄編を投稿します。時代で言えば国鉄より鉄道省が正しいのかも知れません。
今回も撮影場所、車種、撮影時期など、分かることはなんでも教えてください。