『HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス』の旅   第3弾 Part2 旅立ち

第1日目 12月11日

① 長岡天神 6:01(阪急・準急)⇒6:20 南茨木
② 南茨木 6:27(大阪モノレール)⇒6:52 大阪空港
③ 大阪(伊丹)空港 8:00(JL2001)⇒9:50 札幌(新千歳)空港

早朝のフライトです。遅れてはならないと気持ちが高まって一睡もできず夜明け前に自宅を出発して阪急長岡天神駅へと向かいました。

6:20 薄っすらと明るくなった伊丹空港に到着、チェックインを済ませてラウンジへと着きましたら前回とは違って朝からでも生ビールが飲めるようになっていました。

 

9:50 快適なフライトで新千歳空港に到着、滑走路には降雪はありません。

④ 新千歳空港 10:06(快速エアポート101号)⇒10:43 札幌

10:43 定刻に札幌到着、前回の紀行記で井原さんから間違っているよとご指摘のあった駅そば屋の「蕎麦紀行」の場所確認です。
前回、「札幌駅柵外コンコースの駅そばです。改札口を出てやや右正面にあります。」と投稿しましたが井原さんのご指摘通り柵内コンコースの7・8番線ホームと9・10番線ホームの間にありました。ここに訂正させていただきます。


▲ 11:00 先客が一人おられましたが11時開店と同時に一緒に入店しました。今日の朝飯は生ビール一杯だけでしたので海老天ざる大盛(1,350円)を注文、美味しく完食しました。そば湯も提供されます。立ち食いそばとは一味違った本格派のそば屋です。

⑤ 札幌 12:00(特急ライラック15号)⇒13:05 深川

▲ 札幌を出てしばらく行くと沿線は雪原になりました。青い空と純白の世界の中、789系特急ライラック15号は120km/hで快走します。札幌~深川 106.6kmを途中4駅を停車しながら所要時間65分で走破しますので平均速度は98.4km/hと特急の名に恥じない高速走行です。
始発ですので座れるだろうと自由席車に乗車しましたが乗車率は50%程度で空いていました。定刻13:05には留萌本線が分岐する粉雪舞う深川に到着です。札幌とは違ってホームは降雪で真っ白です。ところどころに除雪した雪がホーム上に積まれて小山になっています。北海道に来たなあとの実感が出てきました。ここで下車して乗換です。

☚  ホームにあった発車時刻表。
函館本線の上り下りとも赤数字の特急列車が半数以上を占めています。
右側の分岐する留萌本線は7本です。長万部のような山線行き4本と比べるとマシですが、典型的なローカル線には違いありません。

▲ 13:13 定刻に留萌からのキハ54 503運用の4926Dが入線してきました。結構多くの乗客があったようで降りられてきました。折り返し13:28発の留萌行きの4927Dとなります。乗客数は20数名ですが大半は私と同じく高齢の鉄ちゃんです。今日は土曜日で青春18きっぷも12月10日から利用できるようになっていますので乗り鉄客が多いのでしょうね。

運行表ですが大きく「速度注意!」のステッカーが貼ってあります。初めて見ました。最近スピードオーバーで走行した事件でもあったのかと疑いたくなります。ちなみにこの路線の最高運転速度は95km/hと結構速いものです。キハ54 500番台は車重減により最高許容速度110km/hに引き上げられています。かって重量ある石炭輸送列車が走行した路線ですので路盤がしっかりしているのでしょうね。

▲ 13:17 1番線ホームに先ほど乗車したのと同じ789系6両編成の特急ライラック24号札幌行きが入線してきました。前面下部に雪がへばり付いていますがそれほどではないようです。

⑥ 深川 13:28(留萌本線)⇒13:51 恵比島

▲ 13:28 深川を発車しますと降雪が強くなってきました。見る間に車窓は雪景色になってきました。
13:38 木造駅舎が残る秩父別に到着です。現在は1面1線ですが他の留萌線各駅がそうだったようにかつては運炭列車が多く交換のために相対式ホームがあった2面2線の駅でした。

【 恵比島駅 (明日萌駅) 】

▲ 13:51 恵比島に到着。ホームでは一人の若い鉄ちゃんが写真を撮っていました。どこから来たのか、列車にも乗車せずにおられました。次の列車は16:33の留萌行きです。車も駅前にはありませんのでどうするのでしょうね。
かつて平成11年に放映されたNHKテレビ小説『すずらん』の撮影地、恵比島駅は、ドラマの撮影のため昭和初期の駅舎を再現した明日萌駅(あしもいえき)として登場、現在もそのまま駅舎として使用されています。1910年(明治43年)11月23日、鉄道院留萠線深川~留萠間開通に伴い開業しています。
左側が明日萌駅、右側が実際の駅舎で貨車駅舎です。
1面1線の駅ですがかつては島式ホームもあり国鉄が1線を使用し、もう片方は留萌鉄道の駅として使用されていました。
【 留萌鉄道 】
硫黄分が少ない良質な石炭が採炭できた雨竜炭田の各炭鉱(昭和炭鉱、浅野炭鉱、太刀別炭鉱)から留萌港までへの運炭を目的に、留萌本線恵比島駅から幌新太刀別川を遡って昭和までの17.61kmを結びました。積出港の留萌港に近接するなどの好条件もあり活況を呈し、戦時中も強行出炭。敗戦と共に出炭量は激減するも、その後回復していきます。留萌鉄道の運炭車編成を国鉄の蒸気機関車が牽引して頻繁に運炭列車が走行したそうです。
昭和30年代になるとエネルギー革命の進展や安全対策に要するコスト増もあり、次第に経営が追い込まれ、1969年(昭和44年)年4月30日閉山、鉄道も廃止となりました。最盛期には約4,000人が暮らしたそうです。
▲ 駅前にあったロケにも使われた中村旅館(旧黒瀬旅館)、冬季は閉鎖中でした。

▲ バス停はどこかと探しましたら雪の中にポツリとバス停が立っていました。

⑦ 恵比島駅前 14:00 (沼田町営バス)⇒14:07 幌新温泉

駅前は他には何もないだだっ広い雪原です。車は走っていなく人通りもありません。町営バスは時間通り来るのかと一人で待ちました。
バスが見えた時はホッとしました。

14:07 今日宿泊予約を入れています「ほろしん温泉ほたる館」に到着。まずはチェックインです。

宿泊する目的は留萌鉄道で活躍したクラウス15号を見るためです。春から秋までは屋外に出して展示されていますが降雪のある冬季は車庫におさめてあります。前もって沼田町教育委員会教育課に電話を入れましたら学芸員の方が対応してくださりまして折角遠くから来ていただいておられるなら当日車庫を開けて見ていただけるようにしましょう。車庫のカギは宿泊されるほたる館が管理していますのでご覧いただけるように連絡しておきますとのありがたいお言葉をいただきました。HPから車庫の様子を見ますと大きなガラス窓があって採光は十分なようですが、写真が撮れるような奥行きがありません。

この炭鉱の運炭輸送に従事したのがクラウス15号です。1889年(明治22年)にドイツミュンヘンのクラウス機関車製造所で製造されて九州鉄道に輸入され、その後日本国有鉄道、東京横浜電鉄を経て昭和6年に北海道留萌鉄道(沼田町)にやってきました。石炭運搬等に活躍し、更に明治昭和鉱業所(沼田町)の貨物専用線で石炭貨車運搬用として昭和42年12月まで現役として活躍、現在日本に現存する小型蒸気機関車の中ではもっとも古いものです。

▲ 14:00 定刻に町営バスはやってきました。お客は私と乗って来られた町民のおじさん2名です。ほぼ一直線の坂道を約10分ほど走ると予約していた「ほろしん温泉・ほたる館」に到着です。思っていたよりも随分と大きな7階建てのホテルでした。早速チェックインしますと学芸員の方が案内に来てくださいました。

▲ ホテルの前がクラウス15が休む車庫です。学芸員の方がシャッターを開けてくださいました。

▲ HPを見ていましたので車庫で撮影するには狭いと今回は超広角11~16㎜レンズも持ってきましたがそれでもファインダーには収まりません。

【 クラウス15号の経歴 】
Krauss,Marafeld 製番2211、1889年九州鉄道に20両が輸入されたうちの4号機です。
1907-年に国有化され1909年に改番15号機となる。1925年に東京横浜電鉄渋谷~桜木町間の建設用として活躍、1931年明治鉱業昭和鉱業所に譲渡、留萌鉄道15号機となる。1967年休車、1969年昭和炭坑閉山により沼田町に寄贈、1970年沼田町文化財に指定される。1975年札幌泰和車両で動態復元され大井川鉄道に貸出、千頭~川根両国の「ミニSL」として動態保存、1989年沼田町農業記念館に保存、2010年沼田町ほろしん温泉ほたる学習館へ移転、2010年JR北海道から準鉄道記念物指定、2019年日本遺産「炭鉄港」構成文化財となっています。
現在同型17号機は那珂川清流鉄道保存会が引き取り保存、26号機が宇佐神宮境内に、防石鉄道2号機が防府駅近くの鉄道記念広場で静態保存されています。

▲ 車庫にある蒸気機関車をどうやって出し入れするのか聞いてみたかったのですが初めて見ます「機関車移動機」なるものがありました。学芸員さんの説明によると全国に2台しか現存しない。もう1台は展示されているだけで実際に稼働しているのはこれだけだそうです。クラウス15号機と同様に保存状態は極めて良好です。

「ほろしん温泉・ほたる館」
雪が降り続いています。温かい温泉に入りたくなってきました。また雪解けに来ればいいかと撮影を切り上げ部屋に向かいました。

▲ お部屋は明るく広い和室でとても綺麗です。快適でした。
▲ 15:00 昨夜は一睡もしていませんのでご自慢の温泉に入ってくつろぎました。

▲ 18:00 夕食は食堂です。柔らかい赤身肉の陶板焼き、お刺身はイカ、ホタテの炊き込みご飯、地物小鉢でした。今日の宿泊代は朝食も付いての、40%割引の6,360円也。これに別途全国旅行支援の1,000円クーポン3枚の3,000円分が付きますので、実質負担は信じられない3,360円です。前国旅行支援、続けて欲しいですね。Part3へ続く

『HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス』の旅   第3弾 Part2 旅立ち」への3件のフィードバック

  1. ぶんしゅう様

    いつも旅行記を拝見しております。記録が丁寧で、あたかも自分が行った気になります。

    南茨木で大阪モノレール線に乗り換えができるのは便利ですね。

    奈良市から伊丹空港に向かうとなると、大和西大寺か大阪上本町からバス利用になります。

    将来的には、大阪モノレールが瓜生堂まで延伸開業し、近鉄にも瓜生堂駅が開業するであろうと思われますが、まさか急行は停まらないでしょうから、やはりバス利用になることでしょう。

    • 奈良の駅名研究家様、コメントをいただきましてありがとうございます。
      奈良から伊丹空港へ行くのは大変そうですね、私の方はJRからモノレールに乗り換えられると阪急で行くよりも便利だと思っていますので贅沢なんですね。
      最近は商売熱心なJRですのに茨木と千里丘間にモノレールに乗り換えられる新駅を建設してくれないかなと密かに期待しています。

      • 確かにJR線と接続する駅があれば大津からも乗換1回で便利になります。モノレールが千里中央から南茨木に延伸する時にJRと交差するところにJRも駅を作って接続するという話がありましたが、駅間距離が短いということでJRが難色を示し実現しませんでした。今なら駅間が短くてもできたかもしれませんね。私は伊丹空港に行くときは茨木で降りて、歩いて宇野辺に行きモノレールに乗ります。これが一番安くて速い方法です。
        ところで私は以前宇野辺駅の近くに住んでいましたが、当時はモノレールがまだなくて、伊丹に行くのは不便でした。今なら乗り換えなしで行けるのですが、開通前に引っ越して恩恵にあずかることはありませんでした。

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