こんなモンしかありまへん![中学修学旅行編 その1]

米手作市様が「こんなモンありまっせ!中学修学旅行編」を連載されていることに背中を押してもらった気がして、私も恥ずかしながら昭和39年3月の写真を紹介させて頂きます。カメラはハーフサイズのPEN-Dでした。ネガをスキャンしようとすると ネガは八ツ橋状態で端が切れたり 鮮明な画像が得られません。しかしどうしようもないので、無理やりスキャンしました。眠たい画像で失礼します。

①下り特急「こだま」 草津~彦根間のどこかの駅

②米原駅のED30  通る度にここで休んでいたような・・

京都から豊橋まで行き、飯田線に入ります。

③飯田線のED194

④中部天竜駅?のED1711

列を離れて駅構内を走り回って、先生に叱られたような・・・

⑤中部天竜駅?のED18

ED17,18,19と初めて見る機関車に興奮しました。飯田線の準急はモハ80系4連、各停は流電52系や42系だったと思います。そんな定期列車にいきなり中学生の集団が200人以上乗り込むのですから、超満員で身動きがとれなかった思い出があります。飯田線を抜けて中央線を甲府へ、そして富士五湖から沼津へと向かいました。中央線はD51牽く客レで まだスイッチバックの駅が多くあったように思います。(つづく)

こんなモンしかありまへん![中学修学旅行編 その1]」への3件のフィードバック

  1. 西村雅幸様
    いいですねぇ!
    ED19は取り損ねた一台です。手元にある「写真で見る国鉄電気機関車」
    杉田肇氏編纂1959年版によると、W・H製でEF53が出来るまではお召し専用機として活躍したそうです。うらやましい。ED18は三両しかないゲテモノです。よく撮っておきましたね。

  2. 西村様 中学の修学旅行で飯田線の電車に乗るなんて、なんでこのようなマニアックな計画になったのですか。何やら怪しい地理の先生が計画したのでしょうか。喜んだのは西村さんだけだったのではないのですか。

    • どですかでん様
      おっしゃる通りで非常にマイナーなコースでした。1泊目は飯田線の湯谷温泉で、200人もが泊まれる大きな宿はありませんので、何軒もの宿に分宿しました。鉄道好きの同級生が何人かいて、数名だけが盛り上がっていました。中学でも高校でもすばらしい地理の先生に恵まれたおかげで、今の自分があるようにも思えます。

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