風通し対策(続報)

米手作市様より「エルム」のご紹介があったところで、飯田線で見かけた風通し対策をご紹介します。今を去ること約46年前の7月、DRFCの飯田線合宿の際のひとコマです。まずは飯田駅で追い越したED196です。

昭和49年7月27日 飯田駅にて ED196

デッキ付き電機の場合、正面扉は貫通扉ではなく運転室扉ですから、駅で停車中に入換えなどもあるので 扉が開いていても不思議ではないのです。

さて暑い夏の日、市田から下平間を歩きました。飯田で追い越したED196がやってきました。運転室扉は開いたままでした。

同日 市田・下平間にて ED196

次に 伊那大島・上片桐間へ場所を移して撮影しました。ED195がやってきましたが、やはり扉を開けていました。

同日 伊那大島・上片桐間にて ED195

当時は運転助士との2人乗務のようですね。マスクもフェースシールドもしていませんし、運転席と助士席は離れているので、密接ではありません。飯田駅での写真を見ると、側面の窓は全開状態ですね。当時からコロナ対策をしていたとは思えません。やはり乗務員が涼をとるために扉を開けて走っていたのでしょうか。確かにそれもあったと思いますが、それよりも機械室の中にある抵抗器の放熱のためではなかったのでしょうか。山間部を走る飯田線とは言え、夏の日射しはきつく、ダラダラと登り勾配が連続する区間では、荷が少ないとは言え、負荷が大きかったような気がします。

ED17,ED18,ED19,ED26とEF10に会えた楽しい合宿でした。日本の隅々まで鉄路で貨物が運ばれていた時代のひとコマでした。

風通し対策(続報)」への6件のフィードバック

  1. 飯田線合宿暑かったですね。私はED194をとっていますが、貫通扉は閉まっていました。ところで扉を開けているのは電気機関車や気動車だけではありません。なんと飛行機も扉を開けて飛んでいました。私が1994年6月にドイツへ化学機械の展示会や企業訪問に行った時にドイツのミュンヘンからオーストリアのウィーンに移動した時に乗ったルフトハンザのフォッカー50が扉を開けて飛んでいました。国際線の飛行機ですよ。ただ扉と言っても客室と操縦席の間にある扉ですが。通路側の席だったので操縦席の窓から外が見えていました。着陸するときも扉が開いていたので滑走路が次第に近づいてくる様子がよく見え、まるで電車の運転席のうしろにしがみついているようでした。この視察団の団長をされていた大学の先生も通路側で見ておられて、飛行機を降りてから面白かったと話しておられました。平成6年のことですが何やらドイツでも昭和のようなのんびりしたことがあったのです。

    • どですかでん様
      実際に貴君が搭乗された体験談ですから、間違いないのですが、信じられませんネ。ミュンヘンからウイーンだと近いとはいえ約350Kmぐらいありますから、1時間ぐらいの飛行だったのでしょう。気圧が下がる高空ではなく、低空飛行だったのでしょう。フォッカー50の扉は、写真でも判るように横開きではなく、タラップを兼ねた「下開き」です。扉をブラブラさせながら飛んだことになりますし、滑走路を走る際にこすらないのでしょうか。ヘリや小型飛行機で窓を開けて下を見たりということは珍しくないのですが、扉を開けたまま飛ぶ旅客機というのは「のんびり」で済ませられる話なのか、驚きです。

      • あの~客室と操縦席の間にある扉ですので気圧には問題ないと思います。問題あるとしたら悪い奴が操縦席に乗り込んで操縦士を脅して日本まで飛んでいけという恐れがあります。考えてみると、とんでもない話です。しかも航空会社は、今はコロナ禍で大変なドイツを代表するルフトハンザなのですから。お騒がせしました。

        • どですかでん殿
          大変失礼しました。乗り降りする扉と勘違いしていました。操縦席の前面窓から前方が見えていたということですね。それなら納得です。お詫びにこんな写真を添えておきます。どこの駅でしょうかね。

          • 三河河合駅ではありませんか?ところで貫通扉が開いているED196と同じようにED194をとっています。その後のコマに駅の待合室を撮っているのがあるのですが、それには天竜峡という駅名標があるので天竜峡駅と思っていたのですが飯田駅で撮って天竜峡駅に戻ったのでしょうか。ちょっと足取りがわかりません。

  2. 扉を開けて飛ぶ『ルフト機』の話。
    小生もソックリの体験が有ります。旅行屋だった事から、飛行機にはゴマンと(自慢?)乗りましたが、3~4回経験しており、それはヤッパリ中形以下のプロペラ機によるローカル路線でした。
    もう3~50年も前の現役時代の事で、喜寿を越えた身にはどこの国のどの区間だったかはサッパリ思い出せません。
    ただ、即、保安上の不安がガーンと頭をよぎったのを鮮明に覚えており、『この中にハイジャック犯が居ったら、どうすんねん!』『こっちはお客さんを連れてんねんで!』と、毎回飛んでる間中『無事を祈ってた』ものです。(笑)
    今から思えば中距離ローカル線故、そんなに神経質にならなくても良かったのに。
    序でに言うと、ビビったけど面白かったのは、セスナ機クラスの小型機でグランドキャニオンのような所(健忘症?で、これも場所を思い出せず。多分、ニュージ―ランド内)を右に左に急カーブしながらの飛行は圧巻でした。
    以上、『電機の正面扉』の話からルフトハンザ機の話を経て、とんだ脱線コメントでご無礼をしました。

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