【899】旧満鉄のジテ

[880] 早川昭文氏投稿の3コマ目写真を要望書込をしたところ、田野城氏からお尋ねが出た。これは拙老に花を持たせようとの温かいお気遣いに違いないが、当方は待ってましたとすぐさま反応し、お誘いにのることにして以下の講釈を。

清朝の廃帝溥儀を傀儡皇帝として強引に満州国の建国宣言をしたのが1932年3月1日。南満州鉄道(以下「満鉄」とする)は1930年以来ガソリンカーを導入していたが、1935年に到り、一挙6編成1~6のディーゼル電気列車を登場させた。一端に500馬力ディーゼル機関と発電機、暖房ボイラーを搭載、手荷物室も備えた流線型ジテ、次いでロハフ、ハフ、他端にやはり流線型の端面を持つハフセの4両が固定編成で、ジテ、ハフセの端面側台車に計4個の150馬力電動機。ジテを除く客車部分は3車体4台車の連接式である。ハフセの「セ」とは制御室の意味である。

右からジテ+ロハフ+ハフ+ハフセ

6両中4両のジテにスルザー(スイス)製6LDT25、2両が新潟鐵工所製KD6を搭載し、同じ馬力(標準460、最大550)でも前者が4.2t、後者5.88tの中速(現在なら低速)機関である。定員は2等28、3等260、計286人、製造は6編成とも日車で、電気関係は1~4が芝浦、5、6は日立。

勿論これは我国及び満州国の国威発揚を目的とした猛烈な「背伸び」での大デモンストレーションで、鳴り物入りの華々しい登場ではあったが、運転整備132t、電動機が150馬力×4とあっては、そんなに速度が出るはずがない。定員乗車時の重量1t当り機関出力(馬力)で比較すると、登場時点の特急「はつかり」5.78、キハ43000系が3.88、キハ42000が4.69、キハ41000が3.86という数字になり、これに比しこのジテは3.42だった。江若キニ9~13ですら3.45、出足が悪くラッシュに使えなかった東京横浜電鉄キハ1~8が5.00だったのである。キハ42000はご存知東海道線の試験走行で空車だが108kmの記録(1935年7月16日)があり、キハ41000でも100kmに達した記録がある。

多大の期待を背負いながら、現実にジテが投入されたのは特急ではなく、大連-大石橋間の各停仕業=表定速度47.1kmの運行である。その後日本で出現したキハ43000系も機関の未熟と出力不足(上記数値は3.88)が主因でものの役に立たず、国鉄工作局エリート技術者はすべてを燃料事情に帰してウヤムヤに誤魔化してしまった。

なお満鉄と国鉄工作局技術者とは犬猿の仲で、国鉄側はキハ43000に期待をかけたはずだが、結局派手な試験をすると馬脚が表れると知った工作局は、ロクな走行テストもせずに、2両のキハ43000は戦災後浜松工場通勤客車代用に落ちぶれていた。中間のキサハ43500だけは電車の仲間入りし、飯田線で予備、最終キサハ43800→キサハ04301として関西線で生涯を終えている。

なお満鉄では1943年になって、2編成のジテ列車からハフセを外して背中合わせにし、かつ両端のジテの両台車を動台車として試験走行した。すなわち機関出力1000馬力、電動機1200馬力で、ジテは当然スルザー機関搭載車を選んだ筈である。この際は時速100kmを保てたのだが、あくまで試験に止まったのは、到底経済的に成り立つものではなかったからである。

そのジテ列車だが、中華人民共和国になって、ジテを捨て、両端を旧ハフセに、各車3扉と多客化改造し、撫順炭坑の通勤電車に化けていたのであった。ベンチレーターもグローブ式に替えられている。誕生以来実に73年が経過しているから、その長命ぶりというか、保ちの良さ、いや保たせの良さにはホトホト関心嘆息するほかはない。写真で見る限りそう荒れ果ててもおらず、面影は充分に残している。

旧満鉄のジテ” への3件のコメント

  1. 旧南満州鉄道の電気式気動車が生き残っていたのには驚きました。
    新聞社あたりが飛びつきそうなネタですね。
    流線型のほぼ同じ構想の鉄道省キハ43000系が短命だったのに対し
    電車に改造され70年以上生き残るとは、数奇な人生もあったものです。
    43000の中間車が電車の仲間入りをしてさらにキサハになり、この転変も
    驚きますが、関東鉄道や小湊鉄道で電車から気動車の仲間になった連中が
    いました。
    いずれも1960-70年代の懐かしい話で車両が足りなかった時代はものを大切に
    使うという発想は当たり前でした。
    北海道には客車を気動車にしたのもいました。

                 ◇

    最近、鉄道に対する従来の発想をできれば払拭しようと思っています。
    電気式気動車やDF50などは「早すぎたハイブリッド」、テクノロジーの
    進化した今の技術で造り直したら、と思うのはファンの楽しみかもしれません。
    また、中之島線駅内装の大胆な木材の使用をみて、難燃化や安全基準のために
    かつて鉄道の土俵から追放した木材というマテリアルのことを考えて直す時代が
    来ているのではと思いました。
    JR九州の新型特急885系あたりから高級感を出すための部分使用が見受けられます。次世代の鹿児島延長「のぞみ」はこの傾向を採用し落ち着いたトーンになるようです。
    戦後あれだけ目の敵にし、古臭いとして追放に躍起になった木製という言葉、
    今は新鮮な人間的で親しみの湧く素材に受け止められているようです。
    90年代に自動車の内装様式として英国製やイタリー製の高級車の革とウッド
    を用いたインテリアが大きな影響を与えたのがここに至っていると思われます。

    イギリス辺りはいまでも多くの木工などできる職人が職業としており
    木造車両を復元や仮に新製するのも可能なのでは、そんな風に考えると
    まだまだ日本は過去の経験や資源を活かしきっていないのでは、と思いました。

  2. こんばんは
    満鉄ジテは電気式気動車を戦後電車に改造ということになりました。
    しかし昨今インドネシアで電車を電気式気動車に改造という逆のパターンが出ております。
    片方の先頭車の半室にディーゼルエンジンと発電ユニットを積み、給電するシステムです。
    KRDEと呼ばれます。
    当然定員は減りますが、まだ使える電車を非電化区間で使う、有効利用ということで注目されるべきであると思います。
    ただし1Mなんで勾配には弱いようです。

    満州国が傀儡か、どうかですが、満州人は本来モンゴル人に近い、漢族よりDNA的には近いです。
    清朝も末期になってくると皇帝も満州語(文法はモンゴル語、日本語に近い)すら苦手、馬にも乗れないということになってしまい、いわば”漢化”されてしまったのですが、明らかに漢族とは別です。

    モンゴルが独立してならないという人はいないことを考えると満州人が独立国家を作ったというのは一理あると思います。

  3. ピンバック: ディーゼル機関車スレッド鉄懐版

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