立野を中心に、豊肥本線、高森線を撮る
今回は九州の中央部、豊肥本線・高森線(現・南阿蘇鉄道)の初冬の風景です。両線が交わる立野の前後には、大規模なスイッチバックがあったり、高い橋梁が存在します。昭和40年代、蒸機の牽く客貨列車も多くあって、よく訪れていました。ところが、両線とも2016年4月の熊本地震で、大きな被害がありました。その後に各地で発生した災害に隠れ勝ちですが、復旧作業が遅々としていて、現在でも不通が続いています。
今回のカラーは、昭和46年12月、同47年11月を合わせたものです。▲豊肥本線は、立野を出発すると、三段式のスイッチバックで、阿蘇の外輪山をよじ登って行く。スルーできない、文字通りのスイッチバック式だが、その赤水寄りにも、好適なカーブが続いている。列車は1794レで、立野で停車時間があるため、まず到着前を撮って、駅で停車中を押さえる。そして、外輪山の方向へ直登して、スイッチバック付近のカーブ地点に着き、朝陽を受けた96の勇姿をとらえた。
▲当時の豊肥本線は、旅客列車は、日中はDC化されていたが、朝夕に96の牽く列車が残っていた。貨物は日中でも運転されていてた。外輪山の中腹から貨物を見下ろすと、下のほうに立野の街が見えて、改めて、スイッチバックで登って行かなければならない、付近の地形を思うのだった。▲改札口の向こうに外輪山が広がる宮地駅。沿線の中枢駅で、当駅を始終発とする列車もある。かつては、機関区設備もあったが、当時でもターンテーブルや側線が残り、廃車体も置かれていた。▲赤水~立野の普通列車。立野で下車すべきところ、寝過ごしてしまい、仕方なく、次の赤水で下車した。しかし、ここからも外輪山特有の姿を展望することができる。キハ20系、55系で混成された編成。▲豊肥本線では、昼間は蒸機牽引の旅客はないはずなのに、赤水を発車する、96+客車2両が見えて、あわててカメラをセットした。臨時列車かと思ったが、客は無く、回送列車だった。▲立野駅構内、二面四線の構造だが、二本のホームは、ずれて設置されている。C12の牽く高森線の列車が発車待ち。
地震による被害は、豊肥本線では、肥後大津~立野~阿蘇27.3kmで大規模な斜面崩壊が起こり、現在でも、運転を見合わせていて、2020年度内の再開を目指している。いっぽうの南阿蘇鉄道は、とくに立野~長陽で、二つのトンネルの崩壊・亀裂、鉄橋の桁も損傷、線路流出があった。中松~高森は、運転再開しているが、残り区間は2023年の夏に全通の予定。
▲立野から分岐する高森線。トレッスルの立野橋梁を渡る。高森線は、一日6往復のうち、朝夕の熊本直通の2往復がDCで、あと4往復がC12が牽いていた。本数が少ないため、列車に乗ってしまうと、もうあとが撮れない。そのため、鉄橋で写すと、全く違う光景の外輪山バックに写すため、二駅、三駅先まで、線路上をずっと歩き通したものだ。
▲終点の高森駅で折返しの発車を待つ下り列車。駅から5分のところにユースホステルがあり、ここに泊まって朝晩の列車の発着を写したものだ。
▲長陽付近で外輪山をバックに行く128レ、高森線では、高森へ向かう上り列車が逆向になる。私は、タンク機の場合、逆向のほうが、写真的には好きだ。
総本家青信号特派員様
相変わらず文章も写真もうまいですね。母方の祖父、祖母の墓が内牧の北の外輪山の下にあり、熊本地震で墓石が倒れましたので先日修復したところです。赤水にも遠い親戚があります。豊肥本線のキューロクの客車列車は修学旅行のバスの中で撮っただけで、その10年後にKAWANAKAドライバーのスカイラインで鉄鈍爺さんとこの辺りに寄っています。雨模様で高森線は追っかけで何とかなりましたが、スイッチバックのキューロクはダメでした。高森駅のカーブ、立野の鉄橋も懐かしいです。近年、この辺りに撮りに行きましたが、立野のスイッチバックの急勾配はそのままでしたが、2両編成の185系気動車特急は物足りませんでした。また、動画撮影にも向いた三段スィッチバックは蒸機時代は凄かっただろうなと想像しました。足が遠のいたのはC58、キューロク、支線のC12、宮津線とメンバーが似てますね。
準特急様
コメント、ありがとうございます。お褒めの言葉を頂戴し、恐縮です。準特急さんからは、豊肥本線沿いに、親戚縁者ゆかりの場所がたくさんあると聞いていましたが、立野を越えた、内牧や赤水にもあるとは知りませんでした。このあたりは、ほんとに良い撮影地に恵まれていたと、改めて思います。地震後、なかなか復旧が進まず、たまたまスイッチバック付近の現状をネットで見ましたが、まだ荒れた状態が続いているようです。「動画撮影に向いたスイッチバック」とお書きですが、数年前、DC特急の後部に張り付いて、立野から赤水まで、スイッチバックのジグザグを動画撮影して、改めて33‰勾配の凄さを感じています。
立野界隈が出てきたので、半世紀前の準特急先輩、鉄鈍爺さんとこの辺を雨の中うろついたのを思い出しました。雰囲気がええので、その後も1人で車で戻りました。
さて立野の鉄橋が出ていますが、これとは別に第一白川鉄橋というデカいアーチ橋があり、国内ではこれよりでかい鉄橋のは只見川のものがあるのみといいます。
就職したときに会社の先輩から、この橋はデカくて気温差によって朝晩で伸びが違ってうまいことリベットの穴が一致しないので建設が大変やった。そこで見張りを立てて、日が昇り鉄骨が伸びて穴が一致したときに、それーっと鋲を打ったんやで、と自慢げに聞いた。ほうなるほど、それならそれを見に行ってきますと、仕事をサボって行ったことがある。もち論そんな穴は分かるわけもなく汽車旅を満喫した、というイニシエのことを思い出した次第。この鉄橋も破損しており修復は大変そうです。早い復旧を願うばかりです。
KAWANAKAさま
立野の思い出、ありがとうございます。第一白川鉄橋は、写真を撮った立野鉄橋の少し先にありますね。当時は、水面からの高さが日本で一番高い鉄橋だったと思います。山影にあって、陽が差し込む時間帯が限られていたと思うのですが、それが、リベット打ちの際の鋼材の伸縮に影響するとは思っていませんでした。KAWANAKAさんが勤務されていた会社の貴重な写真・資料を、自主的に?収集・保管されているとも聞きました。また、追々に公開していただければと思います。