髙加速・髙減速が主題のこのシリーズは中学生時代の思い出と重なります。もともと電車の知識がないのに新しい電車が出来たというと乗ってみたくなるのが悪いくせ。私の基準は阪神のジェットカーなのでこれと比べたら加速・減速が物足りなかった。もっとも曲線のせいなのか阪神と比べたら京阪は最高速に到達するまでに減速していたように思います。ただエコノミカル台車(誰が言ったか犬の骨)は乗り心地が悪かったのも記憶に残っています。
余談ながら、2000系を丁寧に撮っておけば今年の年賀状に使えたのに、とくやしんでいます。
台車の件でちょっとだけ。2000系が完成した当初は犬がかじる骨のようなエコノミカル台車ではなく、円筒軸箱守装置のコイルバネが取り付けられたKS58とリンク式(アルストームタイプ)軸箱支持装置(当然コイルバネ装着)のFS-327Aです。関さんも説明文に書いておられるように1960年に増備されたものからエコノミカル台車をはいていました。私も通学でよく乗りましたが乗り心地はそんなに大差がなかったような気がします。
半世紀前の同好会のボックス、連日京阪と阪急のヨイショ合戦が行われていました。
特にミンデンの台車(車軸の両側を板バネで保持、台車の軸離と全長は長めになる)については、
阪急ファン「そんなん、見んでんも良い(=エエに決まっとる!)」
京阪ファン「見んでも良い!(曲線の多い所で不向き、床下スペースを圧迫)」
と口角泡を飛ばしていました。
なお京阪ファンの中には後妻連もとい語再連(=語学再履修者)が居て、ドイツ由来の言葉にアレルギー反応を起こしている節もありました。
犬の骨の乗り心地に関して他の方々の感想はいかがでしょうか?
私はゴツゴツした感じを持っていますが・・・
1900生さんや無印不良品さんなど、元京阪連幹部はどうお感じになりましたか?聞かせて頂きたいものです。
しばらくご無沙汰しておりました。なにかとヤボ用が多く、一旦読んでしまうとドツボにハマるデジ青を中々開けませんでした。
先刻、米手作市さまから「どないしとるねん。京阪2000系が載っとるやないか」とお叱りを受けて大いに恐縮しております。このままでは「さてはこの寒さで持病の〇”が悪化したのか!」と言いふらされそうな恐怖を覚えましたので、末席から一言申し述べます。
「犬の骨」に関しては小生もどですかでん様同様、そう遜色はなかったように思っていました。とはいえアルストム式や直線区間でのミンデン式と較べると、ポイント部などでは米手さまの仰るゴツゴツした振動があったのも事実でした。正直、長距離用でない通勤車なら安上がりのエコノミカルでも充分、と思ったものでした。
閑話休題。高加速・高減速に関しては特に阪神ジェットカーと較べると、残念ながら設計値(構想値)ほどの「高」ではなかったようでした。当時9ミリゲージを愛して孤軍奮闘されていたT石さんが、よく発車時の物まねを「うぃ~んといって動く」と仰っておりましたが、これからもわかる通りとても高加速とはいいがたいものでした。しかし旧来車に比べると「高」であることに変わりはなく、昭和40年台半ば頃まで、昼間時の枚方折返しの「区間急行」は2000・2200系が限定充当される高加減速スジとして、列車番号を( )でくくったダイヤがひかれていたものです。
また関先生のご説明にもありますが、端子電圧150Vというモーターは回生のためとはいえ、そのベラボウに高い電流値のため、一部では「京阪の1500V昇圧が遅れた原因だ」といわれたものです。
昭和38年4月の淀屋橋延長以降、輸送量はドンドン増えて6両編成では賄いきれなくなりつつありました。そこで7連化も計画されたのですが、このとき問題になったのがこの高電流でした。変電所で監視している事故電流(架線断線その他によるデッドアース時に流れるもの)と、主として2000系の起動時の電流値の見分けがつかなくなってきて、事故時における電源遮断が問題視されていました。
ところで鉄鈍爺さま、「見んでも良い」はミンデンの韻を踏んでいるのですね。やっと気が付きました。面白い。
もう一つ、誤解を解いておきますが、語再連の方々の中には小生のように、その外国語に親しみたいとして再履修した人も居たことをお忘れなく。20年ほど前に独りでドイツを巡ってきましたし、今もバッハの宗教曲に親しむのに大変役立ておりますので、決してムダではなかったのですぞ。
帰ってきた1900生さん、持病の悪化との噂が東京まで行き渡っていたとか。何よりです。
この歳になりますと音信がなくなると「死んだ」「ボケた」という結論になりますので時々投稿して下さい。
あの乙訓の長老でさえ「近く投稿するから準備しとけ!」とのお言葉をのたまっておられます。
遅まきながら一言加えさせていただきたく。
小生は1967年(昭和42年)に1年弱の間だけ運転士をしていました。
台車については皆さんのおっしゃる通り、決して乗り心地のいいものではなかったと思います。特にポイントを渡るときのゴツゴツ感は顕著だった記憶があります。
ただ、当時は減圧式の制動器(ブレーキ)の車両しかなかったときに、この2000や2200は電磁直通空気ブレーキであったため、特に夏の昼下がり時なんかは これが担当車としてくるとホッとしたものです。
(ブレーキをかけるときに、減圧式は空気圧計を見ながらブレーキ管から一定の空気を抜き、減速度をみながらそのままでは強く止まるので、階段式に空気圧を緩めて、最後の最後は空気圧をゼロまで戻してショックなく止めることが求められました。車両ごと編成ごとにブレーキの効き方のクセもあり これは新米にとっては常に結構緊張を強いられるものでした。
ところが電磁直通式はとりあえず右手を右方向に回せばブレーキが効き、ちょっとずつ左へ戻していけば止まるという仕組みで、新米でもあまり緊張を強いられないものでした。
上手く説明できてませんが、要は新米運転士に優しい車であったということです)
無印不良品(決して不良品ではありません!)様、1900生様
運転経験者の貴重なご意見をありがとうございます。これは当会の特権だと思いますが、京阪に関しては肝の話が直接聞けることです。
阪急に関して運転経験のある会員はおられたのでしょうか?マルーンさんは運転されてたのかな?