老いてますます盛んな乙訓の長老様と、先日東華菜館で食事をしました。
その時に「最近投稿が無く手持ちぶさたでさみしい」とお伝えしたら、「写真はまとめたがデータがわからんのや。いつどこで、何を撮ったのかが思い出せんのや。みんなに聞いてくれんか?」と言われ、後日お宅に伺って写真を持ち帰りました。
長老の書斎を見てビックリ!隠し部屋に本や資料が詰まっていましたが、これでも後輩達に進呈した残りだとか。まだまだあるので欲しい人があれば進呈するので見に来て欲しいそうです。お伝えしておきます。
写真は白い箱に分類されて山積みですが、そのデータが分からないそうです。今回の写真はその一部ですが、ご覧になって場所・車輌に関して・時期が分かる方は何でもかまいませんのでコメント欄へ書いてください。
写真は順不同です。
書いてくださるときは必ず写真の番号をまず記入してからお願い致します。
ではどうぞ!
まだまだ続きます。
⑦は三木鉄道のレールバス ミキ180形101か102のどちらかですね。場所はわかりません。⑧は北条鉄道フラワ1985形-3でしょうか。これも場所はわかりませんが、神戸電鉄狙いで行って、ついでに三木、北条へ立ち寄られたのではないかと・・・。三木鉄道は平成20年4月1日に廃止、フラワ1985は平成21年に形式消滅していますから、平成20年以前でしょう。
①は和歌山のミニ私鉄、紀州鉄道の終点西御坊駅です。キハ604は大分交通から1975年に譲渡されました。
②と③は同じく紀州鉄道の紀伊御坊駅です。キハ605は常磐炭鉱キハ21として誕生しましたが、岡山臨港鉄道に譲渡されてキハ1003となり、紀州鉄道には1984年にやってきました。1993年に小生が訪問した時も、同じ場所に留置されていました。
1989年に西御坊―日高川が廃止され、2000年にキハ604の運行が終了しておりますので、長老様が訪問されたのはこの間ではないでしょうか?
④と⑤は、南海の高野山ケーブルの新旧車輌です。どうやら定点比較をされたようですね。⑤の新型は、昨年3月からの運行なので、撮影されてから未だ1年経っていないのではないでしょうか。④の方は、導入されたのが東京オリンピック(もちろん1回目の!)の頃ですが、塗色が、1984年登場の南海30000系こうや号と揃えられているので、それ以降に撮られたのだと思います。この新旧車輌交替に際し、難波駅構内で高野山ケーブルの歴史展示が開催されることを、昨年デジ青で取り上げられたので、小生は見に行きました。大変遅ればせながら、御礼まで。
②は紫の1863様のコメント通り元岡山臨港のキハ1003です。私が昭和52年9月23日に岡南元町で撮ったキハ1003を添付します。この写真ではわかりませんが、妻面はキハ40000のように4枚窓なのですが、紀州へ行ってから3枚窓に、扉も折り戸に改造され、ブサイクになった印象です。
西村雅幸さん、紫の1863さん、宮崎繁幹さん、
ありがとうございます。さっそくデータに記録いたしますが、他にもエピソードがありましたら書き込みお願いします。
まだまだ続きますのでよろしく。
続報を心待ちにしております。
紀州鉄道の写真がありました。乗りましたがすごいシートでした。それで記念に撮っておきました。
オハ60・61よりましです!
どですかでん様
紀州鉄道のシートはおっしゃる通りで、物凄いものでしたね。乗り慣れたJRの電車のつもりで勢い良く座ったところ、痛い目にあいました。白熱灯のグローブが二列に並び、床板は木張りという、訪問した平成5年とは思えない骨董品に思えました。乗車したキハ604は昭和35年に新潟鉄工で製造され、当時すでに車齢33年を数えていたことになります。しかし外観はよく手入れされ、台車も古さを感じませんでしたが、乗り心地はそれなりのものでした。