市電が走った街 京都を歩く 伏見・稲荷線⑫

竹田出橋

この竹田出橋で名神高速道路の下をくぐりました。前記のように、もともとの竹田街道は少し西を流れる高瀬川に沿って通じていて、そこに架かっていた橋を井手橋と言い、それが転化して“出橋”となったと言われています。この付近から西が、古来の竹田の中心で、今でも歴史を感じさせる家並みが残っています。旧ルート時代の停留場名も竹田で、明治45年の移設時に竹田出橋となりました。

 

【竹田出橋 今昔対比①】

名神高速道路の南側にあった竹田出橋。右は現況。

 

 

南行きの停留場は、名神高速道路の真下にあった。

竹田久保町~竹田出橋を行く。電柱に貼られたアジビラも時代を物語る。

【竹田出橋 定点対比②】

白板を下げて回送される502号、背後の名神高速は防音壁も何もない、むき出しの高速道路だった。市電のすぐ左側を反対方向へ走る自動車が連なって疾駆していくのが分かる。左の写真は、平成の時代、81号系統の行き先の横大路車庫もなつかしい。

 市電が走った街 京都を歩く 伏見・稲荷線⑫」への1件のフィードバック

  1. 白板を付けて、「急」板を付けたままの「回送」表示の502号ですが、これは後部です。前部を撮った写真を見ますと、「故障」表示でした。いずれにしろ「急」板は不要のはずですが、よほど急いでいたのでしょうか。

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