運転日が増えたことと、運転経路が変更されたため、更には下り列車は平日と休日で約1時間ずれたダイヤになったことから、撮影場所の選択肢が増えて 急に忙しくなりました。近作をご紹介します。まずは呉線を行く上り列車から。
竹原市忠海町は江戸時代のある時期、内陸部の三次藩領の町となり、藩の外港として栄えた町で、藩主が江戸へ参勤交代する際はこの港から瀬戸内海を船で往き来しました。エトセトラが渡っている短い鉄橋は、川ではなく、江戸時代に人工的に掘削して作られた内港の入口で、三呉線の鉄橋が架けられ、船の通行ができなくなるまで町の奥まで大きな帆船が出入りしていました。写真では小さくて見づらいですが、立派な常夜灯が建っており、ここが港の入口であることを示しています。今では、ウサギの島として有名になった大久野島へのフェリー乗り場として賑わっています。
築堤と防波堤の間は国道185号線なのですが、丁度クルマが途切れてラッキーでした。安芸幸崎から須波を経て三原手前までは瀬戸内海を眺めて走る区間です。先に報告しましたが、エトセトラはなぜか安芸幸崎で約6分間 運転停車します。現在のダイヤでは次の須波駅での交換列車はないため、安芸幸崎での無意味な運転停車をせずに、風光明媚な区間をゆっくり走れば良いのにと思います。スジを引く担当者は沿線の景色などは頭にないのでしょうし、沿線自治体の観光担当部署や観光協会も駅での歓迎行事には熱心ですが、こういうことには無頓着なような気がします。先般、三原市観光課の担当者にこの区間の徐行運転を提案しました。後日JRから来年3月のダイヤ改正で考えるとの回答を得たと言う話を聞きました。雨が降ればすぐに15Km/hの徐行運転をする区間なのに、チグハグな感じがします。
休日ダイヤでは尾道発13:45、三原発13:59であることはわかっていましたが、糸崎は通過するものと思っていました。しかし13:54に到着し、約2分間運転停車しました。遠くなのでよく見えませんでしたが、乗務員が交代したようにも見えました。
手前の川は沼田川の支流、仏通寺川です。2年前の豪雨災害時までは土砂が堆積し、川の中に木が生えていたり、荒れ放題の川でした。そのため堤防が崩れたり、道床が流されるなど不通区間だった場所です。2年経ってようやく復旧工事が終わりに近づいています。
実はこの写真は失敗作です。もう少し早くシャッターを切ったのですが、なぜかシャッターがおりず、顔が隠れてしまいました。画面に占める空の割合が多いと、AUTO撮影では露出設定などがうまくゆかないのかもしれません。改めて撮りなおそうと思っています。この橋は備北から広島空港を結ぶ道路として開通し、V字谷の沼田川を一気に越える橋として建設されたものです。歳をとると高所恐怖症がひどくなってきて、この橋をクルマを運転して渡る際には、こうして高さを知っているだけに足元がモゾモゾする感じがして、渡りたくない橋です。
最近ではエトセトラ狙いのご同業者が増えてきたように思います。地の利とマイカーによる機動性を生かして、これからも沿線を走り、四季の風景を記録に残そうと思っています。