なりゆきまかせ “天然色版 昭和の鉄道”  〈10〉

お召の機関士と“文通”

いまから53年前のちょうど今ごろ、昭和43年10月2日に越美北線にお召が走りました。福井国体の際に運転されたもので、DRFCメンバーとともに撮影に向かい、その様子については、“デジ青”にも記していますので省きますが、私はみんなと別れて、一人で越前花堂で下車しました。越前花堂~六条にある、北陸本線から離れて、左へカーブして山あいへ向かっていく区間へ向かいました。現地到着が13時ごろ、お召の通過まであと3時間近くあり、まだ撮影者も送迎の人たちも見当たらず、ゆっくり三脚を立てて、ひたすら待ちます。さっそく警察官が近寄って来て、持ち物検査、害のない人間と分かると、あとは、一緒にダベりながら過ごすと言う、のんびりした雰囲気でした。背後に踏切があって、徐々に近くの人たちが集まってきました。すると、そのなかから、一人のご婦人が近づいて来て声を掛けられます。お召列車の写真をあとで送ってもらえないかというご依頼。聞くと、ご主人のKさんは、お召牽引の次位機18651の機関士で、ぜひ主人の晴れ姿を記念に残したいと言うことです。たまたま、お召機関士の奥さんが近くおられたことの奇遇に驚き、快諾して、手帳に「足羽郡六条町‥‥」と住所を書いてもらいました。

秋晴れのもと目前を通過したのは88635+28651の牽く、越前大野発福井行きのお召列車、Kさんの乗っているのは次位の28651だった。

次位のお召機28651のキャブに座るKさん ▲▲御料車へも一瞬シャッターを切る。

後を振り返ると、日の丸を振る近くの人たちが。結局、カメラを持った遠来の人間は誰も現われなかった。昭和43年の福井国体のお召列車は、多様な牽引機だった。9/30東京→名古屋(新幹線) 名古屋→金津(EF5861、DE10、EF7035) 10/2越前大野→福井(88635+28651) 10/3武生→敦賀(EF7035) 10/4敦賀→上中(C58171) 10/5若狭高浜→豊岡(C58171、C58223+C5856) 10/6竹野→竹田→二条(DD543+DD541、C58223、DD541+DD543)と、牽引機は6形式12両に渡った。

機関区に立ち寄って先頭の88635を撮る。帰ってから、さっそく引伸しをして写真をKさんに送ると、折返し、几帳面な字で、便箋にびっしり書かれた手紙が届いた。それから何度も“文通”が続き、Kさんの機関士としての歩み、お召機関士に抜擢されてからの準備などが連綿と綴られていた。当時は、お召機関士の内情など公開されるはずもなく、貴重な情報源となった。結局Kさんとは会うこともなく、手紙のやり取りだけで終わってしまったが、Kさんはどうしておられるか、またお送りした写真がどうなっているのか、ふと思うことがある。

 なりゆきまかせ “天然色版 昭和の鉄道”  〈10〉」への8件のフィードバック

  1. 素晴らしいエピソードですね。
    恐らく、額に入れてお仏壇に飾っていたのでは・・・
    さすがに、年月が経過しているので・・・ご存命なら100才越えかと思います。きっと、ご子息が居られると思いますが、御尊父の晴れ姿をご存じかどうか?

    しかし、のんびりした時代だったのですね。
    1号編成が走っていた頃は、まだまだのんびりした空気は残っていましたね。私も、線路近くの路上で仮眠していても、トランクと後部座席を確認して、「気を付けて!」という感じでした。50人ぐらい集まっていましたが、殺気立つことも無く、和やかなモノでした。

    • 廣瀬様
      さっそくのコメント、ありがとうございます。機関士のKさんには直接会っていないものの、お召運転が終わってから、機関区で記念撮影があり、それを撮っています(雑誌「国鉄時代」56号にも載せました)。当時の私より20~30歳上に見えますから、いまも存命されているか‥‥。でも送った写真は、子や孫に語り継がれて、大事に残っていると思います。

  2. 総本家青信号特派員様
     いやぁー懐かしいですね。越美北線86の牽くお召し列車。
     故郷での国体開催、3回生だったかな? 藤本さんのご指導の下、このお召しの写真を撮りましたね。秋晴れの良いお天気でした。空気も澄んでいたような思い出があります。
     昭和天皇、香淳皇后のお姿が見事に捉えられていますね!
     足羽郡六条町のKさんとの交流、素敵なお話ですね。なんかドラマを見ているような・・・さすが総本家さん、天晴れ! Kさんはきっと今でも喜んでおられる事でしょうね。

     

    • マルーンさま
      ありがとうございます。当日はマルーンさんの福井の実家へ、メンバー押しかけて、たいへん失礼しました。でもお母さまに親切に招き入れていただき、おまけに、“上にぎり”までご馳走になりました。そのお蔭で、こんな貴重な出会いがあったものと思います。改めてお世話になりましたこと、御礼申し上げます。

  3. 総本家青信号特派員様
    いい話ですね。お召しの機関士は人柄がよく皆から親しまれた模範機関士であったと思われます。元国鉄の機関士の方に聞いた話ですが、お召しには動労でギャーギャー騒いでいるような人はまず抜擢されなかったとのことです。総本家さんも機関士の奥さんが誰に声をかけようか迷っている中で話を聞いてくれそうな好青年の鉄ちゃんと思われたのでしょう。

    • 準特急さま
      そうですね、お召の機関士に選抜されるには、運転の技量はもちろんですが、人間性も最重要視されます。手紙の文面を見ても、それがよく伺えました。私のようにギャーギャー言っている人間とは違います。そんな私に声を掛けてもらったのは、そこにいた唯一のカメラ人間かだったに過ぎません。それほど当時はお召と言えど、カメラを持った人間は少数でした。

  4. 鉄道マンの方との交流、今では考えられないようなエピソードで感激しました。NHKの「沁みる夜汽車」に出るようないい話ですね。越美北線には先月行ってきましたが、足羽川沿いを縫って走り、越前大野の広い盆地の風景、蒸機が走っている姿を見たかったと思いました。

    • 大津の86さま
      コメント、ありがとうございます。「沁みる夜汽車」、私もよく見ます。ちょっと演出が過ぎるけど、ホロリとさせられます。一度、国営放送局に提案してみようかなぁ。北陸本線に乗って、福井に着く直前、お召を撮影した越美北線の分岐カーブをいつも見るようにします。一面の田圃だったところが、工場、倉庫街になっていて、面影は感じられません。

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