皆様のお陰で、駅名喫茶店も第18回を迎えました。年内には第20回まで書けたらよいですね。当初はネタで困るかと思っていましたが、皆様からたくさんのリクエストを頂戴し、むしろネタが多く、執筆の優先順位をつけるのが難しい今日です。
さて、今回は東海道五十三次の駅名をまとめてみました。宿の名は果たして駅名として、どれほど残っているのでしょうか。まとめてみました。
今回の執筆にあたり、準特急様の温かいご支援を賜りました。改めて御礼を申し上げます。
江戸(日本橋) 東海道五十三次(1)お江戸日本橋から出発、美味しくて居心地のいい街|ハッケン!ジャパン (hakken-japan.com)
日本橋(東京メトロ銀座線、東西線、東京都交通局浅草線)
1. 品川宿 旧東海道品川宿まち歩き | しながわ観光協会 (shinagawa-kanko.or.jp)
北品川(京急京急本線)
2. 川崎宿 川崎宿とは|東海道川崎宿起立400周年記念サイト (kawasakishuku400.jp)
川崎(東海道本線、京浜東北線、南武線)
3. 神奈川宿 神奈川宿歴史の道 横浜市神奈川区 (yokohama.lg.jp)
神奈川(京急京急本線)
4. 保土ケ谷宿 保土ケ谷宿の成り立ちと特色 横浜市保土ケ谷区 (yokohama.lg.jp)
保土ヶ谷(横須賀線、湘南新宿ライン)
5. 戸塚宿 旧東海道戸塚宿 横浜市戸塚区 (yokohama.lg.jp)
戸塚(東海道本線、横須賀線、湘南新宿ライン、横浜市営地下鉄ブルーライン)
6. 藤沢宿 藤沢宿の紹介 | ふじさわ宿交流館 (fujisawashuku-kouryukan.com)
藤沢(東海道本線、湘南新宿ライン、小田急江ノ島線、江ノ島電鉄線)
7. 平塚宿 東海道平塚宿をめぐる | テーマ別スポット | 湘南ひらつかナビ|平塚市観光協会 平塚観光情報サイト (hiratsuka-kankou.com)
平塚(東海道本線、湘南新宿ライン)
8. 大磯宿 史跡で辿る、東海道宿場町コース「大磯宿編」 – 神奈川県ホームページ (pref.kanagawa.jp)
大磯(東海道本線、湘南新宿ライン)
9. 小田原宿 小田原宿を歩く (mlit.go.jp)
小田原(東海道新幹線、東海道本線、湘南新宿ライン、小田急小田原線、箱根登山鉄道、伊豆箱根鉄道大雄山線)
箱根関 箱根関所・箱根関所資料館|箱根町観光協会公式サイト 温泉・旅館・ホテル・観光情報満載! (hakone.or.jp)
箱根湯本(箱根登山鉄道)
箱根湯本(箱根登山鉄道):箱根宿からはだいぶ離れています。
三島(東海道新幹線、東海道本線、伊豆箱根鉄道駿豆線)
沼津(東海道本線、御殿場線)
原(東海道本線)
吉原(東海道本線、岳南電車)
新蒲原(東海道本線)
由比(東海道本線)
興津(東海道本線)
新清水(静岡鉄道静岡清水線)
新静岡(静岡鉄道静岡清水線)
安倍川(東海道本線)
該当なし
藤枝(東海道本線)
島田(東海道本線)
金谷(東海道本線、大井川鐵道)
該当なし
掛川(東海道新幹線、東海道本線)
袋井(東海道本線)
磐田(東海道本線)
浜松(東海道新幹線、東海道本線)
舞阪(東海道本線) 最寄り駅は弁天島(東海道本線)
新居関 新居関所・史料館【特別史跡新居関跡】/湖西市 (city.kosai.shizuoka.jp)
新居町(東海道本線)
新居町(東海道本線)
該当なし
二川(東海道本線)
豊橋(東海道新幹線、東海道本線、飯田線、名鉄名古屋本線)
御油(名鉄名古屋本線)
名電赤坂(名鉄名古屋本線)
藤川(名鉄名古屋本線):「道の駅藤川宿」があります。
東岡崎(名鉄名古屋本線)
知立(名鉄名古屋本線、三河線):高架化工事が行われています。
鳴海(名鉄名古屋本線)
伝馬町(名市交名城線)
桑名(関西本線、近鉄名古屋本線、養老鉄道)、西桑名(三岐鉄道北勢線)
近鉄四日市(近鉄名古屋本線、湯の山線、四日市あすなろう鉄道線)
河曲(関西本線)
加佐登(関西本線)
亀山(東海道本線、紀勢本線)
関(関西本線):「道の駅関宿」があります。
該当なし
該当なし:「道の駅あいの土山」があります。
水口石橋(近江鉄道本線)
石部(草津線)
草津(東海道本線、草津線)
大津(東海道本線)
京都三条大橋 https://www.jinriki.info/kaidolist/tokaido/otsu_sanjoohashi/
三条(京阪京阪本線、鴨東線)
宿の名前が駅名に残っていないのは、江尻宿、府中宿、鞠子宿、岡部宿、日坂宿、見附宿、白須賀宿、吉田宿、石薬師宿、庄野宿、坂下宿、土山宿でした。なお、池鯉鮒宿は知立(ちりゅう)で残っているとし、カウントには含めませんでした。
鉄道系人気YouTuberのスーツさんが、東海道五十三次を自転車で旅された動画がアップされています。動画の存在は存じていましたが、視聴はありませんでした。これを機に、拝見してみようと思います。
奈良の駅名研究家様
何もお手伝いできず申し訳ありません。立派な53次案内ができましたので桑名からの残りの未踏破の宿を歩きたいと思います。駅名と同じ宿なら何となく安心感がありますが、駅名にない江尻とか白須賀とか鞠子とかにロマンを感じます。そいう意味では土山宿などどんな所か見てみたいです。ところで、昨日は半世紀ぶりに寒風の中猿沢の池のあたりを散策しました。
準特急様
デジ青でのご報告を楽しみにお待ちしております!
土山は車でないとしんどいかもしれませんね。道の駅がある場所は、列車では行きづらいことが多いです。
猿沢池。おん祭りに来られていたのでしょうか。中谷堂の高速もちつきは御覧になられましたか。
「きんなら」近辺は奈良の魅力満載です。
奈良の駅名研究家様
東海道五十三次の駅名の整理有難うございます。東海道の日本橋から箱根宿までは正月の箱根駅伝で中継されますので地名は特に身近に感じます。
今年は新橋(品川)-横浜間に鉄道が開通してから150年になりますが、開業時の官設鉄道には鶴見-横浜間に神奈川が存在していました。その後、2代目横浜が、1915年に地下鉄高島町駅付近に移転し、初代が桜木町に改称しました。関東大震災で倒壊した2代目を復旧させるため3代目として1928年に現在地に移転し、初代、2代、3代と順次北上することにより、ついに神奈川から約1kmしか離れていない位置に移動してしまいました。その煽りを受けて、開業56年目にして日本で二番目に古い神奈川は同時に廃駅の憂き目にあいました。
箱根宿は箱根湯本より「箱根」は付いていませんがも最寄り駅としては小涌谷(箱根登山鉄道)の方が近いと思います。吉原は、開設当時は鈴川と命名されましたが、1956年に宿場名と同じ吉原に改称されました。江尻宿は、東海道本線の清水が1889年の開業時、江尻と名付けられたのでこの時点では宿場名と一致していました。1926年に江尻が約300m東京方の現在地に移転したのに伴い、1934年に清水に改称されました。
東海道は、箱根峠(小田原宿-三島宿)、宇津ノ谷峠(鞠子宿-岡部宿)、小夜の中山峠(金谷宿-日坂宿)、鈴鹿峠(坂下宿-土山宿)などいくつもの峠を越えますが、鉄道は勾配が苦手なためこの区間が東海道と離れています。小夜の中山峠の日坂宿は少し無理がありますが、最寄り駅として東海道本線菊川でよいのではないでしょうか。東海道本線建設時、日坂村の住民らから、特産の茶葉産業への悪影響を懸念した根強い反対運動(鉄道忌避)が起こり、それと対照的に堀之内村の住民らは積極的な誘致活動を行ったために現在のルートに決まったとする伝承が残されていますが、他の鉄道忌避伝説と同様、この地において鉄道忌避が起こったことを示す証拠はないようです。1889年に堀ノ内として開業し、1956年に吉原と同時に菊川に改称しています。
見附宿の南方の中泉村に中泉が設置され、見附と中泉は1940年に合併して磐田町となり、1942年に駅名も磐田に改称されました。舞阪は、1888年に9月1日に馬郡(まごおり)として開業し、同年12月1日に舞坂に改称、さらに1940年「舞阪」に改称したので「舞坂」宿とは一致しなくなりました。鉄道ではないですが亀山から草津まで国道1号を国鉄バス亀草本線が運行していた時は、伊勢坂下、近江土山というバス停留所がありました。
近世東海道の西の起点は京都三条大橋であるという考えが大勢ですが、幕府は京ではなく大坂までの街道を一体整備したので、東海道五十七次という考え方もあります。西の起点は大坂高麗橋になりますが、この場合の東海道は京都中心部へは入らず、大津宿の西側の追分から、山科盆地を南西方向へ向かって現在の名神高速道路(旧東海道本線)に沿って京都東山を越え、途中、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の4カ所を通ります。対応する駅はすべて京阪電気鉄道京阪本線になるようです。
準特急様のような計画的な行動ではないですが、私も思いつくたび途中下車をして一つの宿場間を歩いています。写真は、興津宿(興津)-江尻宿(清水)間の清見寺の総門と本堂の間の境内を横切る東海道本線の熱海行です。
快速つくばね様
コメントありがとうございます。
今回は宿の名前が駅名に残っているかのレポートなので、記載した駅が必ずしも最寄駅とは限らない場合がございます。
箱根湯本も然り、品川宿跡も地図で確認する限り、新馬場(京急京急本線)が最寄駅と思われます。
また、東海道五十三次でまとめあげたため、五十七次に関しては、番外編としていつかご紹介しようと思います。以上、悪しからずご了承ください。
なお、伝馬町ですが、2023年1月4日より「熱田神宮伝馬町」に改称されます。
快速つくばね様
深い見識をいつも拝見しています。つくばねさんも、ひと駅分の街道歩きを楽しんでおられるとのこと、私も思い出したように歩いています。本当は、準特急さんのように、江戸から京まで、歩ければいいのですが、とても、体力・気力が伴いません。なら“ええとこどり”しようと、史跡が多く、街道の面影が残る区間を歩いています。以下記事は、同じように興津宿の周辺ウォークです。
https://drfc-ob.com/wp/archives/74883
いまは、その近くの由比や蒲原と言ったメジャーどころや京都周辺のみですが、準特急さんから、旧街道の面影が残る区間も聞いていますので、少しずつ、歩いてみたいと思っています。
総本家青信号特派員様
ご丁寧なコメントありがとうございます。
「18きっぷで東海道を巡る」拝見いたしました。すべてのことを言い尽くされていますね。私は小さい頃から『鐡道唱歌』に興味を持っていまして途中下車をした時は、歌の中に詠まれた名所にはなるべく訪問するようにしています。清見寺も東海道篇の第19節に「世に名も高き興津鯛、 鐘の音ひゞく清見寺」とあるので参拝しました。
訪ねて初めて分かったのですが、この地は旧東海道で最も山と海が迫った狭隘な土地で古代から清見関(きよみがせき)が置かれていました。また第20節「三保の松原田子の浦」の万葉集に詠まれた「田子の浦」の場所も探していたのですが、富士市にある東田子の浦駅やヘドロ公害で有名になった田子の浦港に行ってもイメージが湧きませんでした。調べてみると古代から中世にかけての田子の浦は、由比から薩埵(さった)峠の下の海岸、興津、清見関付近の静岡市清水区の地名であることが分かりました。納得をしたのですが、現在の田子の浦から清見潟、袖師海岸までは、東名高速や国道バイパスによる道路拡張と清水港造成のための海岸埋め立てにより、当時の景勝地の状景を思い浮かべることもできませんでした。
写真は東海道本線、国道1号と東名高速が交差する薩埵峠付近です。旧東海道は、東名高速の薩埵トンネル入り口の上を通っています。
奈良の駅名研究家様
東海道本線で宿場名と同じ駅名がもう一つあったことを忘れていました。現在の愛知御津ですが、1888年の開設時は御油宿の近くだったので「御油」と名付けられました。1945年に豊川海軍工廠(後の国鉄豊川分工場、現在の日本車輌製造豊川製作所)の空襲で破壊された駅が1948年に再建され、所在地も宝飯郡御津町になっていたので駅名も改称することになりました。常磐線の水戸との混同を避けるため当初は三河御津という案もありましたが、三河御津、三河大塚、三河三谷と続き紛らわしくなるので「愛知御津」に決定しました。近鉄大阪線の弥刀はどうすればよいのでしょうか。
この駅があったので現在の名鉄名古屋本線の「御油」は、1926年「本御油」として開業し、こちらは国鉄の改称を受けて1949年に待っていたかのように「御油」に改称しています。
皆さんの素晴らしい写真・対話をいつも楽んでいる者です。
愛知県に縁が有りましたのでひとこと。
岡崎宿の最寄りは美合駅ではなく東岡崎駅(いずれも名鉄)であると思います。
岡崎二十七曲り碑が宿場の東入口ということで、ご理解頂けるかと思います(https://www.google.co.jp/maps/place/%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E4%BA%8C%E5%8D%81%E4%B8%83%E6%9B%B2%E3%82%8A%E7%A2%91/@34.950663,137.1813906,18z)。
「デジ青」の皆さんの素晴らしい写真・絵・記事には大変感謝しております。これからもよろしくお願い申し上げます。
淮様
いつもありがとうございます。
ご指摘の通りで、完全な誤りでした。早速訂正させていただきました。
東岡崎は、私の幼少期の思い出が詰まっている地です。岡崎城や動物園(象のはなこ)にはよく足を運びました。家の前を名鉄が走っており、なかでもブルーライナーは印象に残っています。
今度はゆっくり岡崎宿を巡ってみたいものです。